婚約破棄されたので、もう私が支えるのはやめます

ふわふわ

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第三十一話 ざまあの始まり

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第三十一話 ざまあの始まり

王都の社交界において、本当に恐ろしいのは大声の断罪ではない。

公の場で怒鳴られれば、まだ反論の余地がある。
泣いて訴えれば、同情を買うこともできる。
けれど、静かに席を外されること。
当たり前のように呼ばれなくなること。
何かを決める場に、自分の名前だけが最初から入っていないこと。

それが、本当の意味での“終わり”に近い。

そして今、ミレイユとアルヴィスの周囲で起き始めていたのは、まさにそれだった。

数日後、王宮では交易祭に向けた最終調整のため、小規模な打ち合わせがいくつも開かれていた。

表向きはただの確認会。
だが実際には、誰がどこまで信用されているかが、そのまま形になる場でもある。

ミレイユは、その日の午後になって初めて、その一つに自分が呼ばれていないことを知った。

「……どういうこと?」

王宮内の控えの間で、呼びに来た侍女へ問い返す。

「本日の南方伯家との席次確認は、王妃殿下付きと東部侯家側、それから交易祭実務方のみで行われると……」

侍女の声は丁寧だった。

丁寧であるぶん、余計に残酷だった。

実務方のみ。

つまり、王太子の隣に立つはずの娘は、実務ではない。
いてもいなくても同じ。
いや、むしろいないほうが余計なことを言わずに済む、ということだ。

ミレイユは顔色を変えた。

「殿下はご存じなの?」

「はい。殿下も別室にて別件のご対応中と伺っております」

別件。

こちらも同じだった。

アルヴィスもまた、南方伯家との実務調整から外され、王妃側を通して話が進められている。
そのこと自体が、すでに十分すぎるほどの失墜なのに、本人たちはまだ“自分を飛ばして勝手に話が進んでいる”程度にしか思っていない。

ミレイユは爪が食い込むほど扇を握りしめた。

また外された。
また呼ばれなかった。
また、“ここにいなくていい人”として扱われた。

どうして。

王太子に選ばれたのに。
王太子の隣に立っているのに。
どうして誰も、そのことだけでは足りないみたいな顔をするの。

「……下がって」

低く言うと、侍女はすぐに頭を下げて退いた。

一人になる。

控えの間は静かだった。
整えられた椅子、冷め始めた茶、外から微かに聞こえる人の足音。

その静けさの中で、ミレイユは自分が少しずつ“必要のない人”へ押しやられていく感覚に耐えきれなくなっていた。

同じ頃、アルヴィスもまた別の意味で苛立ちを募らせていた。

王太子の執務室ではなく、その横の小会議室。
通された場所自体が、以前より一段軽くなっている。

王妃付きの女官が、必要な確認事項だけを簡潔に伝える。

「交易祭当日の南方伯家との接触は、まず王妃殿下側で整えます」

「なぜだ」

アルヴィスがすぐに不機嫌を露わにする。

だが女官は表情を変えない。

「先方の意向です」

「私が王太子だぞ」

「承知しております」

その返答が、いっそ空虚ですらあった。

承知している。
だがそれと、任せるかどうかは別の話だ。
そう言外に告げているのと同じだった。

アルヴィスの顔が歪む。

「母上は、どこまで私を外すつもりなのだ」

「外す、というお考えは適切ではないかと」

「なら何だ!」

女官は一礼して言う。

「今は、王宮全体を滞りなく動かすことが優先でございます」

それ以上でも以下でもない。

王太子の機嫌。
王太子の面子。
王太子の“真実の愛”ごっこ。
そんなものより、交易祭を無事に回すほうが優先だと、王妃側はもう露骨に示し始めている。

アルヴィスは答えを失った。

反論しようとしても、反論のしようがない。
現に、自分が関わるたびに何かがこじれているのだから。

会議室を出たあとの回廊で、アルヴィスは偶然ミレイユと鉢合わせた。

「殿下……!」

ミレイユは今にも泣きそうな顔で寄ってくる。

「私、席次確認に呼ばれませんでしたの……!」

それを聞いた瞬間、アルヴィスの中で苛立ちが爆ぜた。

慰める余裕などない。
自分自身も外されているのだ。
しかもその事実を、今まさに突きつけられたばかりで。

「だから何だ」

思わず冷たく返してしまう。

ミレイユが目を見開く。

「え……」

「いちいちそんなことで騒ぐな」

言った瞬間、周囲の空気がわずかに止まった。

近くを通っていた侍女たちが目を伏せる。
書記官が足早に通り過ぎる。
つまり、見られている。

だがアルヴィスはもう止まれなかった。

「最近のお前は、何かあるたび泣きそうな顔ばかりだな」

ミレイユの顔から血の気が引いていく。

王太子に選ばれた娘。
真実の愛の相手。
守られるべき可憐な少女。

その役が、今の一言で音を立てて崩れた。

「殿下……私は……」

「少しは黙っていろ。余計なことを言うからこうなる」

完全に責任を押しつける言い方だった。

しかも、人目のある回廊で。

ミレイユの目に涙が溜まる。
だが以前のように、その涙が場を支配することはなかった。

周囲の者たちは皆、見ていた。

王太子が、真実の愛の相手を、少しの不都合で切り捨て始めている。
そう見えるには十分だった。

アルヴィスはそこでようやく周囲の視線に気づいたのか、舌打ちして去っていった。

残されたミレイユは、ただその場に立ち尽くす。

泣きたい。
悔しい。
でも今ここで泣いたところで、以前のように誰かが“可哀想”とは言ってくれない気がした。

なぜならもう、皆知っているからだ。

この娘は、泣けば守られるだけの被害者ではない。
自分の欲しさのために姉を削り、場を乱し、今は王太子にまで鬱陶しがられている娘なのだと。

その頃、クラウゼン公爵家の補助室では、まったく別の空気が流れていた。

午後の光が机を照らし、エレノアは交易祭関連の最終席順案に目を通している。
その横では、レオンハルトが王都側との返書に短く修正を入れていた。

静かだった。
だがその静けさは、王宮のような張りつめたものではない。
動くべきものが動いている場所の静けさだった。

「南方伯家、やはりこの位置を望んでいますね」

エレノアが書類を見ながら言う。

レオンハルトが頷く。

「ええ。正面ではなく、少しずらした前列。立てられていると分かる位置で、なおかつ東部侯家には“譲っていない”と見せられる場所です」

「絶妙ですわね」

「絶妙だから面倒です」

その返しに、エレノアは少しだけ笑う。

「でも、こうして言葉にできれば整えられます」

レオンハルトが視線を上げる。

「ええ。言葉にできれば」

その短いやり取りの中に、今のエレノアの立ち位置がそのまま表れていた。

かつて王宮で誰にも拾われなかった“細かいこと”。
それを今は、目の前の相手とそのまま言葉にして整えられる。

それだけで、自分がどれほど違う場所へ来たかが分かる。

そのとき、家令が入ってきた。

「旦那様、王宮側より席順の最終確認が届いております」

差し出された書類に、レオンハルトが目を通す。
そしてごく自然に、それをエレノアへ渡した。

「どう思いますか」

エレノアは一読しただけで頷く。

「これでよろしいかと。王妃殿下側が主導されているぶん、無駄な自己主張もなく、顔も立っています」

「王太子側は?」

「ほぼ外されていますね」

その言葉に、家令がわずかに目を伏せる。

誰も大げさには言わない。
けれど、それが事実だった。

交易祭の核心から、王太子が静かに外されている。
これ以上余計なことをされぬように。
そして何より、王宮の失態をこれ以上広げぬように。

レオンハルトは短く息を吐いた。

「始まりましたか」

「ええ」

エレノアも静かに答える。

「ここからが、本当の意味でのざまだと思います」

口にしてから、自分で少し驚いた。

こんな言い方をするつもりではなかったのに。
けれど、不思議としっくりきた。

断罪される。
怒鳴られる。
涙を流す。
それだけなら、一時の痛みで済む。

だが、本当に効くのは違う。
席を外されること。
決定の場から遠ざけられること。
“いなくても回る”と示されること。

それこそが、今、アルヴィスとミレイユに始まっている“ざまあ”なのだ。

レオンハルトはその言葉を聞いても、咎めることなく頷いた。

「ええ。もっとも静かで、もっとも長引く形でしょうね」

その通りだった。

侯爵家で義妹が泣いても、王太子が怒鳴っても、もう流れは変わらない。
実務の場から外され、信頼を失い、呼ばれなくなる。
その積み重ねが、これからじわじわと二人を追い詰めていく。

そして、それを止めるためにエレノアが戻ることはない。

夕刻、仕事を終えて補助室を出る前に、エレノアは窓辺で少しだけ立ち止まった。

王都の空は淡く暮れ始めている。
遠くに見える王宮の塔も、茜色に染まりかけていた。

王太子の失墜。
義妹の断罪。
父の後悔。
侯爵家の崩壊。

ひとつずつ、もう動き始めている。
だがそれでも、自分の胸の内は妙に静かだった。

復讐を果たしたという高揚ではない。
誰かを叩き落とした快感でもない。

ただ、ようやく物事が本来の重さで返り始めた――それだけの実感。

「……始まりましたわね」

誰に聞かせるでもなく呟く。

選ばれたつもりで奪った者が、実は何も支えられないと知られること。
偉そうに切り捨てた者が、自分こそ周囲から切られ始めること。
それが、彼らにとっての本当のざまだ。

レオンハルトが後ろから静かに声をかける。

「帰りましょうか」

エレノアは振り返り、頷いた。

「ええ」

そしてそのまま、迷いなく歩き出す。

もう振り返る側ではなく、先へ進む側として。
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