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第三十四話 義妹が失ったもの
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第三十四話 義妹が失ったもの
ミレイユが本当に失ったものに気づき始めたのは、首飾りを返されたことよりも、そのあとの静けさだった。
誰も責め立てない。
誰も大声で怒鳴らない。
けれど、誰も前のようには扱ってくれない。
それがどれほど息苦しいかを、彼女は少しずつ思い知ることになる。
侯爵邸の朝は、以前と同じように始まる。
侍女が起こしに来る。
水差しが用意される。
朝食の時間が告げられる。
カーテンが開き、光が差し込む。
けれど、同じに見えるその一つ一つが、もう前とは違っていた。
まず、侍女たちの目が違う。
かつてのように、機嫌を損ねぬよう怯えながらも、どこかで“可哀想なお嬢様”として甘く扱ってくれる空気が薄れていた。
今はただ、必要な礼を尽くし、余計な感情を交えず、一定の距離を保っている。
それは無礼ではない。
だが、優しくもない。
「お着替えを」
差し出されるドレスの色味が、以前より少し落ち着いたものになる。
「今日はこれではなくて、もっと明るいものを」
ミレイユが不満げに言うと、侍女は目を伏せたまま答えた。
「本日はご予定がございませんので、動きやすいものを選ばせていただきました」
予定がない。
その一言が、ひどく胸に刺さる。
以前のミレイユなら、今日はどこの茶会があるか、王宮へ顔を出すか、どの夫人が自分に声をかけるか、そういうことで頭がいっぱいだった。
今は違う。
王宮への出入りは最低限に制限されている。
侯爵もヴィオラも、もう“少し顔を出しておけば”とは言わない。
むしろ、余計な場へ出てまた何か言われることを恐れているのが見て取れる。
つまりミレイユは、守られているのではない。
閉じ込められているのだ。
朝食の席に出ても、空気は重かった。
侯爵は新聞代わりの報告書を広げたまま、ほとんど娘を見ない。
ヴィオラは何か話しかけようとしては、侯爵の顔色を見て言葉を飲み込む。
エレノアの姿はない。すでに公爵家へ向かったあとらしい。
その“不在”が、今では以前よりはっきりと席の上に形を持っていた。
沈黙の中で食器の触れ合う音だけが響く。
耐えきれず、ミレイユが言う。
「……お姉様は、今日も公爵家へ?」
侯爵は顔を上げずに答えた。
「ああ」
「毎日、ですの?」
「そうだ」
たったそれだけの会話なのに、妙に苦しかった。
毎日。
エレノアはもう、自分の場所へ通っている。
侯爵家に居ながら、この家の空気に縛られず、自分の役目を持って外へ出ている。
それに対して自分はどうだ。
王太子の隣に立ちたかった。
王宮で羨ましがられたかった。
お姉様のものを欲しがって、手に入れたつもりだった。
なのに今、自分の一日は、何の予定もない朝食の席から始まる。
「……殿下は」
思わずその名を口にすると、侯爵の眉がぴくりと動いた。
「何だ」
「最近、お会いしておりませんの」
それは事実だった。
交易祭以降、アルヴィスからの言葉はほとんどない。
高価な首飾りを贈ってきたことはあった。だがそれも家に返された。
それ以降は、王宮から呼ばれることも減り、私的な手紙も途絶えた。
ミレイユには、それが信じられなかった。
あれほど“真実の愛”だと言っていたのに。
舞踏会の夜、皆の前で自分の手を取ったのに。
どうして、こんなにあっさり遠のくのか。
侯爵は苦々しく言う。
「殿下も今は、それどころではない」
それどころではない。
つまり自分は今、“優先順位の低いもの”へ落ちたのだと、その一言で分かってしまう。
ミレイユはスプーンを持つ手をぎゅっと握りしめた。
朝食のあと、自室へ戻る。
広い部屋。
整えられた化粧台。
並ぶドレス。
香油とリボンと宝石箱。
少し前まで、これらは“手に入れたもの”の象徴のようだった。
お姉様より愛されている証。
可愛い自分にふさわしいもの。
そう思っていた。
けれど今、部屋に並ぶそれらは、どれも妙に空っぽに見える。
ドレスを着ても、出る場所がない。
宝石を飾っても、見せる相手がいない。
香りをまとっても、誰も甘くは見てくれない。
「……どうして」
ぽつりと呟く。
欲しかったのは、こういうことではなかった。
もっと簡単なもののはずだった。
王太子に選ばれて、みんなに羨ましがられて、お姉様より上に立ったと思いたかった。
それだけだったのに。
なのに今、自分のまわりにあるのは、重く冷たい沈黙ばかりだ。
昼過ぎ、廊下の向こうで若い侍女たちの声がした。
ごく小さなささやき。
けれど、ミレイユの耳には妙にはっきり届いた。
「……やっぱり、エレノア様がすごかったのね」
「公爵家でもお仕事なさってるって……」
「王妃殿下まで名を出されたそうよ」
「ミレイユ様は……」
「しっ」
次の瞬間には声が消える。
聞かれてはいけないと思ったのだろう。
だが遅い。
ミレイユの頬がかっと熱くなる。
お姉様がすごかった。
王妃殿下まで名を出した。
では私は何だというの。
そう言いたいのに、言えない。
反論できるだけのものを、自分が何も持っていないからだ。
扉を開けて侍女たちを叱りつけることもできた。
だが、それをすればますます“そういう娘”として見られるだけだと、今のミレイユにも少しは分かっていた。
分かっているのに、胸の内の苛立ちは消えない。
そのとき、ノックのあとヴィオラが入ってきた。
「ミレイユ」
母の顔もやつれていた。
以前のような華やかさはなく、どこかいつも怯えているような目になっている。
「何ですの」
つい、声が硬くなる。
ヴィオラはそれに傷ついたような顔をしながらも、無理に微笑もうとした。
「少しだけ、お茶でも一緒にどうかと思って」
「……結構です」
即答だった。
ヴィオラの顔がこわばる。
「そんな言い方をしなくても」
「では、どう言えばよろしいの?」
ミレイユは母を見る。
「お母様が少しならいいとおっしゃったから、今の私があるのでしょう?」
その一言に、ヴィオラが息を止める。
「ミレイユ、私は……」
「お母様はいつだってそうよ。あとで困ると、そんなつもりじゃなかったって」
声が少しずつ震える。
怒りなのか、悲しみなのか、自分でも分からない。
「でも私は、もう困っているの。お姉様は公爵家で認められて、お父様もお母様も最近はお姉様のことばかりで、殿下も会ってくださらない」
ヴィオラが目を伏せる。
反論できないのだ。
ミレイユは唇を噛んだ。
「私が欲しかったのは、こんなことじゃなかった」
その言葉に、ヴィオラの肩が小さく揺れる。
けれど、それ以上かけられる言葉は持っていないのだろう。
慰めるには遅すぎる。
叱る資格もない。
だからただ、立ち尽くすしかない。
それを見た瞬間、ミレイユの胸に妙な空虚さが広がった。
お母様でさえ、もう私をどう扱っていいか分からない。
その事実が、何より痛かった。
夕方になり、侯爵邸の応接間へ一通の手紙が届いた。
王宮からではない。
かつてミレイユと親しくしていた若い伯爵令嬢からだった。
ヴィオラが少しだけ明るい顔で「ほら、まだこうして気にかけてくれる方が」と差し出す。
ミレイユは胸の奥に小さな期待を抱いて封を開いた。
だが中の文面は、穏やかで丁寧で、そしてどこまでも遠かった。
――最近はご体調も優れないとうかがいましたので、どうかご自愛くださいませ。
――しばらくはご静養なさったほうがよろしいかと存じます。
――また時機を見て、お目にかかれましたら。
また時機を見て。
それは、今は会わないという意味だ。
しかも“ご静養なさったほうが”という言い方まで添えて。
表向きは気遣い。
だが実際には、“今のあなたと関わるとこちらまで面倒になる”という距離の取り方でしかない。
ミレイユは手紙を持つ指先を震わせた。
「……会ってくださらないのね」
ヴィオラが何か言いかける。
だがミレイユはそれを待たず、立ち上がった。
「少し、一人にしてくださいませ」
それだけ言って部屋を出る。
廊下を歩きながら、ようやく分かってきた。
自分が失ったのは、王太子の隣の席だけではない。
皆が“可愛いから”“まだ若いから”と少しずつ甘くしてくれていた、その余白。
少々の失言やわがままを見逃してくれていた、その時期。
泣けば庇ってくれると思えた、その空気。
それが全部、もう戻らない。
そして、それを奪ったのは誰かではない。
自分自身だ。
お姉様から奪ってきたつもりだった。
でも、本当に削っていたのは、少しずつ自分の足元だったのかもしれない。
自室へ戻り、鏡の前に立つ。
映るのは、以前と変わらぬ顔立ちのはずの少女。
けれどその顔には、もう“守ってあげたくなる可憐さ”より、疲れと苛立ちと怯えのほうが濃く出ていた。
「……こんな顔」
ぽつりと呟く。
どうして、こんなことになったの。
問いは何度も胸に浮かぶ。
だがもう、その答えも少しずつ見えている。
欲しいと思った。
手に入れたかった。
だから奪った。
でも、奪ったものの重さも、それを支える力も、自分にはなかった。
その結果、王太子は遠ざかり、社交界は距離を置き、家の中ですら自分は扱いに困られる存在になっている。
ざまあ。
もし誰かがそう呼ぶのなら、今の自分こそがその真ん中にいるのだろう。
けれど、その痛みはまだ“教訓”には変わっていない。
ただただ、苦しいだけだ。
泣いても戻らない。
怒っても変わらない。
可愛く見せても、もう前のようには通じない。
ミレイユはゆっくりと椅子へ腰を落とした。
部屋は広いのに、やけに息苦しい。
窓の外では、夕暮れがじわじわと色を深めていた。
その暗さが、まるで今の自分の立場そのもののように思えた。
義妹が失ったもの。
それは首飾りでも、茶会の招待でもない。
もっと曖昧で、もっと大きくて、そして一度失うと二度と同じ形では戻らないものだった。
ミレイユが本当に失ったものに気づき始めたのは、首飾りを返されたことよりも、そのあとの静けさだった。
誰も責め立てない。
誰も大声で怒鳴らない。
けれど、誰も前のようには扱ってくれない。
それがどれほど息苦しいかを、彼女は少しずつ思い知ることになる。
侯爵邸の朝は、以前と同じように始まる。
侍女が起こしに来る。
水差しが用意される。
朝食の時間が告げられる。
カーテンが開き、光が差し込む。
けれど、同じに見えるその一つ一つが、もう前とは違っていた。
まず、侍女たちの目が違う。
かつてのように、機嫌を損ねぬよう怯えながらも、どこかで“可哀想なお嬢様”として甘く扱ってくれる空気が薄れていた。
今はただ、必要な礼を尽くし、余計な感情を交えず、一定の距離を保っている。
それは無礼ではない。
だが、優しくもない。
「お着替えを」
差し出されるドレスの色味が、以前より少し落ち着いたものになる。
「今日はこれではなくて、もっと明るいものを」
ミレイユが不満げに言うと、侍女は目を伏せたまま答えた。
「本日はご予定がございませんので、動きやすいものを選ばせていただきました」
予定がない。
その一言が、ひどく胸に刺さる。
以前のミレイユなら、今日はどこの茶会があるか、王宮へ顔を出すか、どの夫人が自分に声をかけるか、そういうことで頭がいっぱいだった。
今は違う。
王宮への出入りは最低限に制限されている。
侯爵もヴィオラも、もう“少し顔を出しておけば”とは言わない。
むしろ、余計な場へ出てまた何か言われることを恐れているのが見て取れる。
つまりミレイユは、守られているのではない。
閉じ込められているのだ。
朝食の席に出ても、空気は重かった。
侯爵は新聞代わりの報告書を広げたまま、ほとんど娘を見ない。
ヴィオラは何か話しかけようとしては、侯爵の顔色を見て言葉を飲み込む。
エレノアの姿はない。すでに公爵家へ向かったあとらしい。
その“不在”が、今では以前よりはっきりと席の上に形を持っていた。
沈黙の中で食器の触れ合う音だけが響く。
耐えきれず、ミレイユが言う。
「……お姉様は、今日も公爵家へ?」
侯爵は顔を上げずに答えた。
「ああ」
「毎日、ですの?」
「そうだ」
たったそれだけの会話なのに、妙に苦しかった。
毎日。
エレノアはもう、自分の場所へ通っている。
侯爵家に居ながら、この家の空気に縛られず、自分の役目を持って外へ出ている。
それに対して自分はどうだ。
王太子の隣に立ちたかった。
王宮で羨ましがられたかった。
お姉様のものを欲しがって、手に入れたつもりだった。
なのに今、自分の一日は、何の予定もない朝食の席から始まる。
「……殿下は」
思わずその名を口にすると、侯爵の眉がぴくりと動いた。
「何だ」
「最近、お会いしておりませんの」
それは事実だった。
交易祭以降、アルヴィスからの言葉はほとんどない。
高価な首飾りを贈ってきたことはあった。だがそれも家に返された。
それ以降は、王宮から呼ばれることも減り、私的な手紙も途絶えた。
ミレイユには、それが信じられなかった。
あれほど“真実の愛”だと言っていたのに。
舞踏会の夜、皆の前で自分の手を取ったのに。
どうして、こんなにあっさり遠のくのか。
侯爵は苦々しく言う。
「殿下も今は、それどころではない」
それどころではない。
つまり自分は今、“優先順位の低いもの”へ落ちたのだと、その一言で分かってしまう。
ミレイユはスプーンを持つ手をぎゅっと握りしめた。
朝食のあと、自室へ戻る。
広い部屋。
整えられた化粧台。
並ぶドレス。
香油とリボンと宝石箱。
少し前まで、これらは“手に入れたもの”の象徴のようだった。
お姉様より愛されている証。
可愛い自分にふさわしいもの。
そう思っていた。
けれど今、部屋に並ぶそれらは、どれも妙に空っぽに見える。
ドレスを着ても、出る場所がない。
宝石を飾っても、見せる相手がいない。
香りをまとっても、誰も甘くは見てくれない。
「……どうして」
ぽつりと呟く。
欲しかったのは、こういうことではなかった。
もっと簡単なもののはずだった。
王太子に選ばれて、みんなに羨ましがられて、お姉様より上に立ったと思いたかった。
それだけだったのに。
なのに今、自分のまわりにあるのは、重く冷たい沈黙ばかりだ。
昼過ぎ、廊下の向こうで若い侍女たちの声がした。
ごく小さなささやき。
けれど、ミレイユの耳には妙にはっきり届いた。
「……やっぱり、エレノア様がすごかったのね」
「公爵家でもお仕事なさってるって……」
「王妃殿下まで名を出されたそうよ」
「ミレイユ様は……」
「しっ」
次の瞬間には声が消える。
聞かれてはいけないと思ったのだろう。
だが遅い。
ミレイユの頬がかっと熱くなる。
お姉様がすごかった。
王妃殿下まで名を出した。
では私は何だというの。
そう言いたいのに、言えない。
反論できるだけのものを、自分が何も持っていないからだ。
扉を開けて侍女たちを叱りつけることもできた。
だが、それをすればますます“そういう娘”として見られるだけだと、今のミレイユにも少しは分かっていた。
分かっているのに、胸の内の苛立ちは消えない。
そのとき、ノックのあとヴィオラが入ってきた。
「ミレイユ」
母の顔もやつれていた。
以前のような華やかさはなく、どこかいつも怯えているような目になっている。
「何ですの」
つい、声が硬くなる。
ヴィオラはそれに傷ついたような顔をしながらも、無理に微笑もうとした。
「少しだけ、お茶でも一緒にどうかと思って」
「……結構です」
即答だった。
ヴィオラの顔がこわばる。
「そんな言い方をしなくても」
「では、どう言えばよろしいの?」
ミレイユは母を見る。
「お母様が少しならいいとおっしゃったから、今の私があるのでしょう?」
その一言に、ヴィオラが息を止める。
「ミレイユ、私は……」
「お母様はいつだってそうよ。あとで困ると、そんなつもりじゃなかったって」
声が少しずつ震える。
怒りなのか、悲しみなのか、自分でも分からない。
「でも私は、もう困っているの。お姉様は公爵家で認められて、お父様もお母様も最近はお姉様のことばかりで、殿下も会ってくださらない」
ヴィオラが目を伏せる。
反論できないのだ。
ミレイユは唇を噛んだ。
「私が欲しかったのは、こんなことじゃなかった」
その言葉に、ヴィオラの肩が小さく揺れる。
けれど、それ以上かけられる言葉は持っていないのだろう。
慰めるには遅すぎる。
叱る資格もない。
だからただ、立ち尽くすしかない。
それを見た瞬間、ミレイユの胸に妙な空虚さが広がった。
お母様でさえ、もう私をどう扱っていいか分からない。
その事実が、何より痛かった。
夕方になり、侯爵邸の応接間へ一通の手紙が届いた。
王宮からではない。
かつてミレイユと親しくしていた若い伯爵令嬢からだった。
ヴィオラが少しだけ明るい顔で「ほら、まだこうして気にかけてくれる方が」と差し出す。
ミレイユは胸の奥に小さな期待を抱いて封を開いた。
だが中の文面は、穏やかで丁寧で、そしてどこまでも遠かった。
――最近はご体調も優れないとうかがいましたので、どうかご自愛くださいませ。
――しばらくはご静養なさったほうがよろしいかと存じます。
――また時機を見て、お目にかかれましたら。
また時機を見て。
それは、今は会わないという意味だ。
しかも“ご静養なさったほうが”という言い方まで添えて。
表向きは気遣い。
だが実際には、“今のあなたと関わるとこちらまで面倒になる”という距離の取り方でしかない。
ミレイユは手紙を持つ指先を震わせた。
「……会ってくださらないのね」
ヴィオラが何か言いかける。
だがミレイユはそれを待たず、立ち上がった。
「少し、一人にしてくださいませ」
それだけ言って部屋を出る。
廊下を歩きながら、ようやく分かってきた。
自分が失ったのは、王太子の隣の席だけではない。
皆が“可愛いから”“まだ若いから”と少しずつ甘くしてくれていた、その余白。
少々の失言やわがままを見逃してくれていた、その時期。
泣けば庇ってくれると思えた、その空気。
それが全部、もう戻らない。
そして、それを奪ったのは誰かではない。
自分自身だ。
お姉様から奪ってきたつもりだった。
でも、本当に削っていたのは、少しずつ自分の足元だったのかもしれない。
自室へ戻り、鏡の前に立つ。
映るのは、以前と変わらぬ顔立ちのはずの少女。
けれどその顔には、もう“守ってあげたくなる可憐さ”より、疲れと苛立ちと怯えのほうが濃く出ていた。
「……こんな顔」
ぽつりと呟く。
どうして、こんなことになったの。
問いは何度も胸に浮かぶ。
だがもう、その答えも少しずつ見えている。
欲しいと思った。
手に入れたかった。
だから奪った。
でも、奪ったものの重さも、それを支える力も、自分にはなかった。
その結果、王太子は遠ざかり、社交界は距離を置き、家の中ですら自分は扱いに困られる存在になっている。
ざまあ。
もし誰かがそう呼ぶのなら、今の自分こそがその真ん中にいるのだろう。
けれど、その痛みはまだ“教訓”には変わっていない。
ただただ、苦しいだけだ。
泣いても戻らない。
怒っても変わらない。
可愛く見せても、もう前のようには通じない。
ミレイユはゆっくりと椅子へ腰を落とした。
部屋は広いのに、やけに息苦しい。
窓の外では、夕暮れがじわじわと色を深めていた。
その暗さが、まるで今の自分の立場そのもののように思えた。
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