『追放された公爵令嬢は戦場で微笑む ~見捨てられた婚約と、ざまぁの反逆劇~』

ふわふわ

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第2章 祝福の鐘と、裏切りの軍靴

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 馬車が国境を越えてから、どれだけの時が経っただろう。石畳から土の道へ、また整備された大通りへと変わるたびに、景観が違って見える。時折、窓から差し込む太陽の角度が変わることで、旅の長さを実感した。

 アンナとともに乗った馬車は、ガレラスタ王国へと至る街道を淡々と進んでいく。途中、国境の関所にて必要書類を確認され、しばらく滞在する場面もあったが、正式な婚約者としての招待状が提示されると、係官は目を丸くして平身低頭、即座に通してくれた。

 ガレラスタ王国――私が今後暮らすことになるこの国は、エルシオン王国よりもやや温暖な気候らしい。そう聞いてはいたが、旅の途中ですでにそれを肌で感じる。冬の訪れが遅く、草花の緑が深い季節が長いとガイド役の騎士に教わった。

 やがて宿場町に立ち寄り一夜を明かしてから、さらに半日の道のりを進むと、視界の先に高くそびえる城壁が見え始めた。白を基調としながらもところどころに赤茶色の石が混じった様式で、王都の外周をぐるりと囲んでいる。城壁の向こう側には、幾重にも連なる塔や宮殿らしき建物の尖塔が覗いていた。

「……あれが、ガレラスタの王都……」

 窓からその光景を見つめる私の横顔に、アンナが「はい」と力強くうなずく。 「とても活気があると聞いていますよ。到着したら、ぜひご覧になってください」

 そうして馬車は城壁の門をくぐり、舗装された大通りへと入っていく。両脇にはずらりと並ぶ店々や市井の人々の姿。色鮮やかな衣装を身にまとった若い娘たちや、屈強な体格の男たち、行き交う荷車に乗る商人。露店には香辛料や果物らしきものが盛られ、活気にあふれた声が飛び交っていた。――確かに、噂どおりの豊かな都だ。

 私は窓辺からその景色を眺めながら、心の奥に静かな緊張を覚える。これから私は、この国の王子フォルテ殿下と婚約をし、いずれは結婚する。形式上とはいえ、私はこの国の一員になっていくのだ。自分が置かれた立場を再認識するにつれ、自然と背筋が伸びる思いがする。

 しばらく進むと、大通りの突き当たりに、より高く、そして豪奢な造りの城館が見えてきた。門がいくつも重なるようにして配置され、衛兵の数も多い。そこがガレラスタ王国の王城――フォルテ王子やガレラスタ国王が住まう中心地なのだろう。

 馬車が衛兵に合図を送り、ゆっくりと門を通り抜ける。先導する騎士たちの姿が見え、どうやら私たちは歓迎されているようだった。やがて石造りの広い中庭へと案内され、馬車が止まる。

「ご到着、お疲れさまでした」

 扉が開かれ、案内役の騎士が恭しく手を差し伸べる。私はアンナとともに馬車から降り、城の正面を見上げた。そこはエルシオン王国の宮殿よりもやや小ぶりではあったが、装飾は緻密で、中世的な荘厳さと独特の優美さを兼ね備えている。玄関前には数名の衛兵が両脇に並び、私を出迎えるべく姿勢を正していた。

 すると、ほどなくして正面扉から一人の人物が歩み出てくる。その人物――細身の騎士服を纏い、背筋を伸ばした佇まい。少し長めの淡い金髪を束ねた青年は、柔らかながらも涼しげな碧眼をしていた。

 私は瞬時に悟る。この人こそが、私の婚約者となるフォルテ王子なのだと。

 王子が私の前へと歩み寄り、一礼した。 「遠路はるばる、お疲れさまでした。私はフォルテ・ガレラスタ。ガレラスタ王国の第二王子であり、あなたの婚約者となる者です。ジョゼフィーヌ・アルテリア様、お目にかかれて光栄です」

 穏やかな声色と、礼儀正しい態度。けれど、その奥にはどこか人を見極めるような、冷静なまなざしを感じた。私は少し躊躇しながらも、公爵家の令嬢として培ってきた礼儀作法を思い出して会釈する。

「初めまして。ジョゼフィーヌ・アルテリアと申します。突然の縁談に驚いておりますが、こうしてお迎えくださり、ありがとうございます」

 いわば私を受け入れてくれる側なのだろうから、最低限の感謝は伝えねばならない。そう思うのに、なぜか胸の奥がざわつく。政略結婚――それが私をこの国へ連れてきた最大の理由。けれど、この王子はどんな思いで私を迎えようとしているのだろうか。

 フォルテ王子は私をまっすぐ見つめながら微笑んだ。その笑みは淡いもので、人懐っこいというよりは上品な印象を受ける。 「まずは旅の疲れを癒やしていただきたい。部屋を用意しておりますので、ごゆっくりお休みください。お話はそのあと、ゆっくりと――」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」

 私は軽く頭を下げ、アンナとともに案内されるまま城内へと足を踏み入れる。豪奢な廊下は、暖色の絨毯が敷き詰められ、壁には歴代の王族や騎士の肖像画が飾られていた。高い天井からは太陽の光が降り注ぎ、窓からは中庭に咲く花の鮮やかさが見える。

 ――こんなに美しい場所で、私は何をするのだろう。何ができるのだろう。

 複雑な思いを抱えたまま通された部屋は、広く、使い勝手のよさそうな寝室だった。小さな応接セットや執務机も用意されている。窓からは城下町を一望でき、遠くの山々が青く霞んでいた。

「お嬢様、いいお部屋ですね。明るくて眺めも素敵で……」 「……そうね。とても丁寧にもてなしていただいてるわ」

 アンナの言葉に微笑みを返すが、心の奥は依然として落ち着かない。私はこれから、ガレラスタ王国の王宮で婚約者としての“任”を負わされる立場。今までは父やメリンダに翻弄されるばかりだったが、ここへ来たら来たで、また別の重圧や思惑が待っているのかもしれない。

 荷ほどきを手伝ってくれているアンナが、ふと不安そうに私を振り返る。 「お嬢様……大丈夫ですか?」 「うん、少し休んだら大丈夫。ありがとう、アンナ」

 そう言って笑みを作りながら、私はベッドの端に腰掛ける。ふかふかのクッションに沈む身体を感じつつ、頭の中では、次に待ち受けることを考え始めた。

 ――フォルテ王子との面会、婚約の顔合わせ、そして今後予定されている結婚式。それから、ガレラスタ王国の貴族たちとの挨拶も欠かせないだろう。私に与えられた時間は、それほど多くはないはずだ。

 自分の置かれた状況はわかっている。だが、私自身はまだ、フォルテ王子という人物をほとんど知らない。もしも彼がエルシオン王国と何らかの取引をしているのなら、私という駒をどのように扱おうとしているのか――考え出すと不安は尽きない。

 しかし、今は休めるときに休んでおかなければ。そう思い、私はアンナにひと声かけ、軽く目を閉じた。長旅の疲れと相まって、意外なほどすぐに意識が薄れていく。


---

 次に目を開けたとき、外はすでに夕暮れを迎えていた。窓から見える西の空が茜色に染まり、城内の壁や調度品までほんのり赤みを帯びている。

 軽く伸びをすると、ドアをノックする音が聞こえた。アンナが返事をすると、現れたのは王宮の侍女らしき女性。年の頃は二十代後半ほどだろうか、堅苦しすぎない柔和な表情で、けれど礼儀正しい所作が印象的だった。

「失礼いたします。私はベルナと申します。殿下の命により、ジョゼフィーヌ様のお世話を仰せつかりました。夕餉(ゆうげ)の時間となりましたので、ご準備をお手伝いさせていただきます」

 そう言って丁寧に一礼する彼女に、私は軽く会釈を返す。まさか新たに専属の侍女が付けられるとは思わなかったが、これも王宮での慣習だろうか。

「ええ、よろしくお願いします、ベルナ。私の侍女のアンナも一緒ですが……構いませんか?」 「もちろんです。アンナ様にも色々と教えていただきながら、お嬢様にお仕えしたいと思います」

 にこやかな笑みを見せたベルナは、やわらかながらしっかりとした物腰で、手際よく夕食会の服装を整えはじめた。アンナと連携し、私に合わせてドレスを選んでくれる。

 薄いピンクのドレスは、袖と裾に繊細なレースがあしらわれ、胸元には小さな宝石が散りばめられていた。エルシオン王国のドレスに比べると若干軽やかで、色使いも優しい印象だ。私は彼女たちに手伝ってもらいながら身支度を進め、鏡の前で軽くポーズを取ってみる。

「……なんだか、この国の衣装って少し違いますね」 「はい。ガレラスタ王国は、暖かい気候の影響もあって、生地を軽く、動きやすくしていると聞いています。お似合いですよ、ジョゼフィーヌ様」

 ベルナの言葉に、私は照れながらも礼を言う。アンナも「素敵です」と小さくうなずいてくれた。
 そして準備が整い、ベルナの先導で部屋を出る。夕食は王族や上級貴族などが集まる大広間で行われるらしい。そこにはフォルテ王子も出席すると聞いている。

 ――夕餉の席で、私はどんな言葉を交わすのだろうか。

 そう考えるだけで、やや緊張が高まる。今までは父やメリンダの顔色を窺いつつ、仕方なく結婚を受け入れたという思いが強かった。けれど、ここに来てみると、フォルテ王子がどんな人物かによって、私の今後は大きく変わるだろう。
 裏を返せば、彼にどんな思惑があろうと、私はその流れに巻き込まれざるを得ない。
 ――それなら、せめて自分の目で彼を確かめなくては。

 そんな決意を胸に、私は通された広間に足を踏み入れた。
 豪華なシャンデリアが眩く輝き、長いテーブルにはすでに料理が並び始めている。ワインの香りとオーブンで焼かれた肉の香ばしさが微かに漂う。
 室内には十数人ほどが席につき、談笑している。その多くがガレラスタの王族や貴族たちだろうか。私の姿に気づいた何名かが、穏やかな笑みで挨拶をしてくれる。

「ようこそ、ジョゼフィーヌ様。あなたがお越しになるのをお待ちしておりました」

 声をかけてきたのは、年配の男性。髪は白く、しかし背筋はしゃんとしており、装飾の施された紋章入りの衣服をまとっている。近くにいた侍女の一人が耳打ちしてくれたところによると、ガレラスタ国王の弟、つまりフォルテ王子の叔父にあたる人物らしい。
 私は軽く礼をして答える。

「お会いできて光栄です。まだ何もわからない私ですが、どうかよろしくお願いいたします」

 そんなやり取りをしていると、部屋の奥からフォルテ王子が姿を見せた。やはり先ほどと同じ、どこか柔らかい雰囲気の笑みをたたえている。私のほうへ歩み寄り、さりげなくエスコートの姿勢を示す。

「来てくださって嬉しいです。どうぞ、こちらの席へ」

 促されるまま、私はテーブルのほぼ中央、王子の隣の席へ座る。
 周囲にはすでに席についている貴族や、フォルテ王子の兄にあたる第一王子、そして王妃らしき女性の姿も見えるが、国王の姿は見当たらない。話によると、国王は今、要職の会議で多忙を極めているらしい。

「ジョゼフィーヌ様、エルシオン王国からこちらへ来る途中で、何か不便はありませんでしたか?」

 王子の問いかけに、私は丁寧に答える。 「国境の関所で少し手続きをしましたが、それ以外は特に問題なく……皆さま親切にしてくださって、ありがたかったです」

「それはよかった。ガレラスタは温暖な気候ゆえ、エルシオンとは勝手が違う部分もあるかと思いますが、何かあれば遠慮なく私に言ってくださいね」

 そう告げる王子の表情は穏やかだ。その瞳からは悪意や下心を感じることはできず、むしろ私を気遣ってくれているようにも見える。私はわずかに胸を撫で下ろした。
 ――少なくとも、嫌な相手ではなさそう。そう感じられただけでも、心が少し軽くなる。

 その後、テーブルの上には数々の料理が運ばれてきた。焼きたてのパンとバター、魚のスープ、スパイスの効いた肉料理、フルーツを贅沢に使ったデザート……どれも見目美しく、豊かな香りが食欲をそそる。

 周囲の会話は社交辞令めいた話題や、最近の王都の様子、ガレラスタとエルシオンの違いなど、当たり障りのないものが中心だった。私は初めこそ落ち着かない心持ちだったが、この国の貴族たちが思った以上に歓迎してくれているのを感じ、とりあえずは安心していた。

 そんな中、ふとフォルテ王子がワイングラスを手に取り、立ち上がる。
 その動きに、広間の視線が一斉に王子へと集まった。

「皆さま、本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。ここにエルシオン王国の公爵令嬢であるジョゼフィーヌ・アルテリア様を、私の婚約者としてお迎えいたしました。両国の友好の証として、また我々自身の幸せのために――どうか温かい祝福をいただければ幸いです」

 さらりとスピーチを済ませ、王子は私を見つめながら優しく微笑む。その姿は、まるで私との縁談を心から歓迎しているかのようだ。
 周囲の貴族たちも拍手を送りながら、声をかけてくる。 「おめでとうございます、フォルテ殿下」
「ジョゼフィーヌ様、いらっしゃいませ。末永くよろしくお願いいたします」

 私は多少気恥ずかしさを覚えながらも、立ち上がって礼を述べる。 「皆さま、本日はお招きいただきありがとうございます。エルシオンから来たばかりで不慣れな点も多いですが、どうかお見知りおきくださいませ」

 そう言い終えたとき、広間はやんわりと暖かな空気に包まれた。拍手の音が波のように広がり、私は一瞬、本当にこれが政略結婚の席なのだろうかと思うほど、和やかな雰囲気を感じる。
 だが同時に、不安が胸をかすめる。――あまりに“うまく”いきすぎではないか、と。

 もちろん、ガレラスタ側は私を歓待している。両国の関係修繕がかかっているからだろう。もし私が不満を抱いて逃げ出すようなことがあれば、政治的な問題が再燃しかねない。だからこそ、こうして丁寧にもてなしてくれているに違いない。
 そして、エルシオン側――特にガレリア王や私の父も、私を送り込むことで何かを得ようとしている。私ひとりを差し出して、どのような利益があるのかはまだわからないが……少なくとも、私は“捨て駒”として見られていたように思う。

 ――そうは言っても、せめて私を迎えてくれている人々に失礼のないよう振る舞うのが、今の私の務めだ。
 押し寄せる不安を封じ込めながら、私は笑顔を保ち、グラスのワインを少しだけ口にした。


---

 夕食会が終わり、席を立つときにはすっかり夜になっていた。フォルテ王子が私を送り届けると言い、連れ立って広間を後にする。アンナとベルナは少し離れたところで控えている。

 広い廊下を歩きながら、王子が口を開いた。 「今夜はゆっくり休んでくださいね。長旅の疲れもまだ残っているでしょうし……」

「はい。お気遣いありがとうございます。今夜は本当に楽しい時間を過ごせました」

 私がそう返すと、王子は軽く笑う。その仕草はどこか優雅だが、私にはまだ、心の奥底を測りかねている感覚があった。
 ――この人は、本当に私との婚約を望んでいるのだろうか。
 その疑問を抱いたまま、私は王子と部屋の前まで歩いた。振り向く王子の視線に少しだけ戸惑いを覚えながらも、言葉を探す。

「フォルテ殿下……ひとつだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「構いませんよ。何でもお聞きください」

 王子は静かにうなずく。その態度は誠実そうだが、私の胸は微かな緊張を伴って早鐘を打つ。

「殿下は……なぜ、私との婚約をお受けになったのですか? お会いするのは今日が初めて。私のことを何もご存じないでしょうし、私も殿下のことを詳しく存じ上げてはいません。けれど……突然の縁談で驚かれませんでしたか?」

 遠慮がちにそう問いかけると、王子はふっと笑みを和らげる。そして、ゆっくりと口を開いた。

「確かに驚きましたよ。最初はエルシオンから“公爵令嬢を婚約者に”という話が舞い込んできて……正直、唐突すぎると感じました。ですが、私は国が決めた方針にはできるだけ沿いたいと思っていますし、“公爵令嬢”という身分以上に、あなたがどんな女性なのか気になったんです」

「どんな……女性、ですか」

「ええ。実は、私が信頼するある情報筋から、“ジョゼフィーヌ・アルテリアは非常に聡明な人物であり、公爵家の家政や領地管理を陰で支えている”と聞いていたんです。正直、興味が湧きました」

 その言葉に、私は思わず目を見張る。私が家の書類や領地の管理を手伝っていたことを、わざわざ知っている人物がいるなんて――思い当たるのは、父の補佐官や交易ギルドの関係者くらいかもしれない。
 王子は続ける。

「もちろん、政略結婚という形になりますが……あなたがもし本当に優秀で、かつ心優しい方であれば、国との関係修復だけでなく、ガレラスタにとってもプラスになる。そう考えたんです。それに、エルシオン王国とガレラスタ王国が良好な関係を築くためにも、私は自分ができることはしたい――そう思っていましたから」

 彼の言葉に嘘はなさそうだった。少なくとも、私を“捨て駒”として扱うような冷徹さは見られない。むしろ、真摯に国のことを考えている王子なのだろう。
 私は少し安心すると同時に、奇妙な胸の痛みを覚える。――こんなふうに“普通の人”のように歓迎してもらえるなんて、思ってもいなかったからだ。

「……そうだったのですね。ありがとうございます、正直ほっとしています。私もこちらへ来るまでは、不安で押しつぶされそうでしたから」

「うん、わかります。でも、これから一緒に過ごす時間はたっぷりあります。あなたのことをもっと知っていきたいし、もし嫌でなければ、私のことも知っていただきたい」

 そう言ったフォルテ王子の笑顔は、穏やかで優しい。私の曇りがちな心が、そっと解放されるようにも感じられた。
 ――私の人生は、決して望んで選んだものばかりではない。だけど、この国でなら、少しは自分らしく生きられるかもしれない。そんな期待が、ほんのわずか芽生える。

「はい。よろしくお願いいたします、フォルテ殿下」

 王子と軽く言葉を交わして別れ、私は部屋へと戻った。アンナが笑顔で出迎えてくれる。

「お嬢様、お疲れさまでした。殿下とどんなお話をされたんですか?」

「……少しだけ、お互いのことを知るためのお話をね。うん、想像していたより、ずっと誠実そうな方かもしれない」

 素直にそう思える相手だった。アンナが安堵の表情を浮かべるのも無理はない。
 今はただ、このまま結婚式の準備を進めていけばいいのだろうか。私にとっては望まぬ政略結婚であっても、フォルテ王子がまともな人なら、まだ幸せに近づく可能性もある。
 そう考えた矢先、胸にチクリとした痛みが走る。――私の母国は、本当に私の幸せを願っているのだろうか。そうではないとわかっているのに、私は今さら何が不安なのだろう。


---

 翌朝から、私の“婚約者としての生活”が始まった。城内の案内を受け、各施設を見学し、職務に関わる人々とも顔合わせする。ベルナやアンナが世話を焼いてくれるおかげで、慣れない環境でも支障なく過ごせていた。
 フォルテ王子とは、早朝の散策や昼の庭園散歩など、ほんの合間を見つけては一緒に過ごす時間を作るようにしている。国にまつわる諸々の話を聞く中で、彼の誠実な一面がますます感じられた。

「ここ、ガレラスタでは農地の整備を積極的に行っていてね。季節を問わず収穫できる作物を増やすことで、領民の生活を安定させようとしているんだ」

 王子が庭のベンチに腰を下ろしながら説明する。辺りには色鮮やかな花々が咲き乱れ、穏やかな陽射しが注いでいた。

「それは素晴らしいですね。食糧事情が安定すれば、人々の暮らしも豊かになります。エルシオンでも同様の取り組みをしている領地はありますが、まだ十分ではないように思います」

「そうですか。もしよければ、あなたの知識や経験が活かせる場面もあるかもしれません。ぜひ意見を聞かせてください」

 王子の言葉に、私は軽くうなずく。
 ――なんというか、こうして話をしていると、ただの“政略結婚”にとどまらず、共に国を良くしようという前向きな意志を感じる。もしかしたら、フォルテ王子は私を純粋にパートナーとして歓迎してくれているのかもしれない。

 だが、その一方で、私は日増しに強くなる違和感も覚えていた。
 ――まるで、あまりに都合よく進みすぎているような気がする。
 エルシオン王国側も、ガレラスタ王国側も、私の婚約をあたかも“平和の架け橋”として押し出している。けれど、実際に領土問題が解決したわけではない。私の存在によって、表面的に休戦や協定が進んでいるだけのような……そんな気がしてならなかった。

 ――いったい、ガレリア王は何を考えているの?
 父やメリンダが望むのは、私の追放だけだったのか、それとも……?
 答えはわからない。けれど、そんな不安を抱えながらも、私はフォルテ王子との結婚式へ向けて準備を進めていた。


---

 そして、ついに婚礼当日。
 思った以上に早い段取りで日程が組まれ、挨拶まわりなど慌ただしく過ごすうちに、あっという間にその日が訪れた。ガレラスタ王国の人々は、大勢が王都の大通りへ繰り出し、祝福のムードを漂わせている。
 “エルシオン王国との友好の証”として、ガレラスタ国王が大々的に宣伝したのだという。私にとっては重圧が増すばかりだが、それでもウェディングドレスに袖を通した自分の姿を鏡で見ると、少しだけ気が引き締まる。

「……私、ちゃんと笑えているかしら、アンナ?」

 ドレス姿で姿見に映る自分を見つめながら、そっと呟く。アンナは私の背中を優しくさすりながら頷いた。

「とても素敵ですよ、お嬢様。まるで本物のお姫様のようです」

「ありがとう……そう言ってもらえると、心強いわ」

 ベルナも隣で「大丈夫です。殿下もきっと喜びますよ」とほほ笑んでくれる。
 確かに、こうして見ると、私は幸せそうな花嫁そのものだ。けれど、この結婚は愛だけで結ばれるものではない。政治的思惑が渦巻く中、私は無邪気に喜べるほどの余裕はなかった。

 控室を出ると、華やかに飾られた回廊を抜け、広い教会へと通される。ガレラスタ王国の伝統的な挙式を行うとのことで、国を代表する司教が式を執り行うらしい。
 教会の扉の前で一旦待機していると、外から音楽の調べが聞こえてくる。ヴァイオリンや管楽器の優雅な旋律が、私の鼓動をさらに高めた。

「ジョゼフィーヌ様、こちらへどうぞ」

 係の者の合図に従い、扉がゆっくりと開かれる。
 その奥には、長いバージンロードがあり、左右の席には貴族や招待客がずらりと並んでいる。視線が一斉に私へと集まると、歓声と拍手が起きた。
 バージンロードの先には、フォルテ王子が立っている。いつもよりさらに格式の高い礼服に身を包み、静かに私を待ち受けていた。――視線が合うと、彼は柔らかく笑みを浮かべる。

(大丈夫、ちゃんと歩ける……)

 自分にそう言い聞かせながら、私は歩き出す。アンナやベルナ、そしてその他の侍女たちがドレスの裾を整えてくれていて、私はそれに合わせて慎重に足を運ぶ。
 胸が高鳴る。拍手の音が耳を包み、周囲の景色が何か絵画のように感じられる。非現実的な光景――けれど、これが私の現実だ。
 王子の元へ辿り着くと、彼は軽く手を差し伸べ、私の手を取ってくれた。冷や汗をかいていた私の手を、彼は少し驚いたように見つめ、クスリと笑う。

「緊張、してるんですね」

「……はい。すみません、いろいろと」

「いいんですよ。大丈夫、私がいますから」

 その言葉に、少しだけ心が落ち着く。――このひととなら、もしかして本当に……。
 そんな淡い希望を抱き始めた、そのときだった。

 ――突然、教会の扉が激しく開け放たれ、大勢の足音がなだれ込んできた。

「な、なんだ……?」

 驚きと混乱の声があちらこちらで上がる。私もフォルテ王子も、司教や周囲の貴族たちも、その方向に目を向けた。すると、鎧姿の兵士らしき者たちが踏み込んでくる。
 だが、見覚えのある紋章だった。――エルシオン王国の紋章を掲げている。
 王都の外から軍が侵入してきたのか。なぜ、結婚式の最中に?
 兵士たちのリーダー格らしき人物が、尖った声で叫ぶ。

「エルシオン王国の名において、ここに宣戦を布告する! ガレラスタ王国は我らの正当なる領土を侵害し、和解のための手立てを怠った! 今こそ、我が国がその不義を正す時!」

「宣戦布告……? 嘘でしょう……」

 私は耳を疑う。まさか、両国の和解のために私を婚約させたのではなかったのか。どうして今、エルシオン軍がガレラスタに攻め入ってくるのか。
 騒然とする教会内。フォルテ王子が激昂し、声を張り上げる。

「何の真似だ! そもそも両国は和解に向けて――」

 しかし、兵士たちは聞く耳を持たない。むしろ、結婚式を狙ったかのように乱入してきた様子だ。教会の外からは叫び声や武器のぶつかる音、爆音のような衝撃音が響き、戦闘が始まっていることを示している。

「嘘よ……こんな、こんなの……」

 動揺する私の横で、ガレラスタ側の騎士たちも剣を抜いて応戦しようとする。来賓たちはパニックに陥り、悲鳴が飛び交い、教会は一瞬にして修羅場と化した。
 フォルテ王子は私の肩を引き寄せ、周囲の騎士たちに指示を出す。

「ジョゼフィーヌ様を守れ! 安全な場所へ!」

 騎士が頷き、私の腕を取る。けれど、私はその腕を振りほどきながら叫んだ。

「待って! これは一体どういうことなの? 私がここに来たのは、両国の友好のためだったのに……!」

「落ち着いて! 今はとにかく安全を確保しないと!」

 王子の必死の声が聞こえる。私は頭が真っ白になりつつも、必死に現状を把握しようとした。
 ――なぜエルシオン軍が、今、攻撃を仕掛けてきた?
 ガレリア王は、私をただ利用するためだけにここへ送り込んだのか? 結婚式を偽りの友好演出として、その隙に奇襲をかける算段だった……?
 もしそうだとすれば、私は最初から“見捨てられた”のではないか――。
 そんな疑念が頭をよぎり、寒気が走る。

「ジョゼフィーヌ様、ここは危険です! 早く避難を!」

 騎士の声に、ようやく我に返る。フォルテ王子も私の手を引き、後ろの出口へと走り始めた。教会の正面はすでにエルシオン軍の兵士たちが押し寄せ、混乱の極みにある。
 幸い、サイドの扉から外へ逃げる通路が確保されていた。王子が近衛騎士を伴い、私を誘導する。走りながらも、私の頭は混乱と怒りでいっぱいだった。
 ――父もメリンダも、そして王ガレリアも、最初からこれを仕組んでいたのか。私を“和平の人質”と見せかけ、油断させるために。
 私を通して本当にガレラスタとの親交を深めたかったのではなく、ただ隙を突いて攻め込むための偽りの和平工作だったとしたら――。

「ふざけてる……っ!」

 思わず声が漏れる。フォルテ王子が私に視線を送り、心配そうに口を開く。

「ジョゼフィーヌ様……あなたは、今回の奇襲を知らされていないんですね?」

「もちろんです! 私だって、今日は……結婚式……だったのに……」

 最後の言葉が震えてしまう。悔しさと悲しみが混ざり合った感情が噴き出しそうになるのを、なんとかこらえて走り続けた。
 ――ここまで私はただの傀儡だったのだ。父もメリンダも、私の幸せなんて微塵も考えていない。むしろ“目障りだから、片付けられるなら片付けてしまえ”とまで思っていたかもしれない。
 そんな絶望に、胸が締め付けられる。それでも、今は逃げなくては命の危機がある。フォルテ王子も、王宮の人々も、私を敵としてではなく一人の人間として守ろうとしてくれている。

「ジョゼフィーヌ様、ご安心を。私はあなたを裏切ったりはしません。今回の侵攻は明らかに理不尽です。ガレラスタは……私は、あなたを大事にします」

 熱を帯びた王子の言葉。私は泣きそうになりながらも、なんとか顔を上げる。

「ありがとう、殿下……。私も、何があってもあなたを裏切ったりしません」

 そう誓うしかなかった。もう、母国と呼べるものなど、何も残っていない。私を捨て駒にした王と父とメリンダに対して、どうしても許せない怒りがこみ上げてくる。
 ――私を捨てた報いは、必ず受けさせてやる。

 そんな決意を胸に秘めながら、私はフォルテ王子とともに燃え盛る戦場へと逃れた。
 婚礼の祝福の鐘が、皮肉にも戦火による裏切りの合図となったその瞬間から、私の運命は再び大きく転がり始めたのだ。

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