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第23話 形式という名の取引
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第23話 形式という名の取引
中央から届いた文書は、
一見すると丁寧で、穏やかだった。
だがその行間には、
はっきりとした意図がある。
――立場を、固定せよ。
曖昧な状態は、
中央にとって扱いづらい。
とくに、戦時下ではなおさらだ。
「確認、というより……
圧ですね」
執務室で文書を読み終え、
タニアはそう結論づけた。
アークは、椅子に深く腰掛けたまま、
天井を見上げる。
「正妻を明確にしろ、か」
「はい。
下賜された姫を曖昧な立場で
屋敷に置くのは、
都合が悪いのでしょう」
タニアの口調は、淡々としている。
怒りも、皮肉もない。
ただの分析だ。
「従えば、
中央は安心する」
「従わなければ?」
「余計な干渉が増えます」
それは、
脅しではなく、
予測だった。
アークは、
しばらく黙って考える。
「……形式だけでいいか」
「はい」
即答だった。
「形式は、
こちらの自由を奪いません」
「だが、
名は残る」
「残します」
タニアは、
視線を逸らさずに言う。
「名がある方が、
交渉しやすい場面もあります」
それは、
後宮で学んだ知恵だった。
肩書きは、
鎧にも、
刃にもなる。
使い方次第だ。
数日後、
屋敷に中央の使者が到着する。
形式確認のための、
簡素な儀。
豪奢な式ではない。
だが、
公的な場だ。
使者は、
書状を読み上げる。
「――よって、
タニア殿を
アークトゥルス侯爵の正妻と認める」
その言葉が、
部屋に落ちる。
使用人たちは、
静かに頭を下げた。
すでに、
受け入れられている。
儀が終わり、
使者は形式的な祝辞を述べ、
すぐに去っていった。
仕事は、
それで終わりだ。
残ったのは、
現実だけ。
夜、
タニアは一人、
自室で考える。
正妻になった。
だが、
何かが劇的に変わったわけではない。
明日も、
帳簿を見る。
判断を下す。
責任を負う。
それだけだ。
後宮にいた頃、
正妻とは、
選ばれし者の称号だった。
今は違う。
これは――
役割の確定に過ぎない。
翌朝、
一人の使用人が言った。
「お祝いを、
用意すべきでしょうか」
タニアは、
首を横に振る。
「必要ありません」
「ですが……」
「仕事をしてください。
それが、
何よりの祝意です」
その言葉に、
使用人は深く頭を下げた。
午前中、
取引先からの書簡が届く。
文面は、
以前より丁寧だ。
宛名も、
変わっている。
――侯爵夫人殿。
タニアは、
小さく息を吐く。
――使える。
午後、
アークと並んで執務を行う。
書類を回し、
判断を共有する。
どちらが上でもない。
役割が、
違うだけだ。
「後悔はないか」
不意に、
アークが問う。
「何についてですか」
「この立場だ」
タニアは、
少し考えてから答える。
「後悔する余地を、
作らないつもりです」
それは、
覚悟でも、
強がりでもない。
現実的な答えだった。
アークは、
短く笑う。
「お前らしい」
夕刻、
屋敷の門が閉じる。
中では、
いつも通りの仕事が続いている。
正妻になったからといって、
守られるわけでも、
甘やかされるわけでもない。
だが、
切り捨てられることもない。
それで十分だった。
タニアは、
静かに思う。
婆になる前に、
行き先を選んだ。
今は、
その場所で
名を使って生きている。
それが、
彼女の選んだ、生存戦略だった。
そしてそれは、
まだ終わらない。
この名は、
これから――
誰かを守るためにも、
使われることになる。
タニアは、
静かにペンを取り、
次の判断に向き合った。
中央から届いた文書は、
一見すると丁寧で、穏やかだった。
だがその行間には、
はっきりとした意図がある。
――立場を、固定せよ。
曖昧な状態は、
中央にとって扱いづらい。
とくに、戦時下ではなおさらだ。
「確認、というより……
圧ですね」
執務室で文書を読み終え、
タニアはそう結論づけた。
アークは、椅子に深く腰掛けたまま、
天井を見上げる。
「正妻を明確にしろ、か」
「はい。
下賜された姫を曖昧な立場で
屋敷に置くのは、
都合が悪いのでしょう」
タニアの口調は、淡々としている。
怒りも、皮肉もない。
ただの分析だ。
「従えば、
中央は安心する」
「従わなければ?」
「余計な干渉が増えます」
それは、
脅しではなく、
予測だった。
アークは、
しばらく黙って考える。
「……形式だけでいいか」
「はい」
即答だった。
「形式は、
こちらの自由を奪いません」
「だが、
名は残る」
「残します」
タニアは、
視線を逸らさずに言う。
「名がある方が、
交渉しやすい場面もあります」
それは、
後宮で学んだ知恵だった。
肩書きは、
鎧にも、
刃にもなる。
使い方次第だ。
数日後、
屋敷に中央の使者が到着する。
形式確認のための、
簡素な儀。
豪奢な式ではない。
だが、
公的な場だ。
使者は、
書状を読み上げる。
「――よって、
タニア殿を
アークトゥルス侯爵の正妻と認める」
その言葉が、
部屋に落ちる。
使用人たちは、
静かに頭を下げた。
すでに、
受け入れられている。
儀が終わり、
使者は形式的な祝辞を述べ、
すぐに去っていった。
仕事は、
それで終わりだ。
残ったのは、
現実だけ。
夜、
タニアは一人、
自室で考える。
正妻になった。
だが、
何かが劇的に変わったわけではない。
明日も、
帳簿を見る。
判断を下す。
責任を負う。
それだけだ。
後宮にいた頃、
正妻とは、
選ばれし者の称号だった。
今は違う。
これは――
役割の確定に過ぎない。
翌朝、
一人の使用人が言った。
「お祝いを、
用意すべきでしょうか」
タニアは、
首を横に振る。
「必要ありません」
「ですが……」
「仕事をしてください。
それが、
何よりの祝意です」
その言葉に、
使用人は深く頭を下げた。
午前中、
取引先からの書簡が届く。
文面は、
以前より丁寧だ。
宛名も、
変わっている。
――侯爵夫人殿。
タニアは、
小さく息を吐く。
――使える。
午後、
アークと並んで執務を行う。
書類を回し、
判断を共有する。
どちらが上でもない。
役割が、
違うだけだ。
「後悔はないか」
不意に、
アークが問う。
「何についてですか」
「この立場だ」
タニアは、
少し考えてから答える。
「後悔する余地を、
作らないつもりです」
それは、
覚悟でも、
強がりでもない。
現実的な答えだった。
アークは、
短く笑う。
「お前らしい」
夕刻、
屋敷の門が閉じる。
中では、
いつも通りの仕事が続いている。
正妻になったからといって、
守られるわけでも、
甘やかされるわけでもない。
だが、
切り捨てられることもない。
それで十分だった。
タニアは、
静かに思う。
婆になる前に、
行き先を選んだ。
今は、
その場所で
名を使って生きている。
それが、
彼女の選んだ、生存戦略だった。
そしてそれは、
まだ終わらない。
この名は、
これから――
誰かを守るためにも、
使われることになる。
タニアは、
静かにペンを取り、
次の判断に向き合った。
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