婆になる前に、嫁に行きます ――私が下賜を受け入れた理由――

ふわふわ

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第31話 静かな掌握

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第31話 静かな掌握

アークが戦場へ戻ってから、
屋敷は一見、何事もなく回っていた。

――表向きは。

「……数字が合いませんね」

朝の執務室。
タニアは帳簿を閉じ、静かに指先を揃えた。

金額は小さい。
一件一件は、誤差と言っていいほどだ。

だが、
積み重なれば別だ。

「こちらの倉庫の出納と、
商人側の記録が一致していません」

向かいに座る老執事が、
わずかに表情を強張らせた。

「……些細な記載漏れでは?」

「そうであれば、
よろしいのですが」

タニアは否定も肯定もしない。
ただ、事実だけを置く。

これが重要だった。

責めない。
断定しない。
だが、
見ているという意思だけは示す。

「確認を、
お願いできますか?」

「……承知しました」

老執事は深く頭を下げた。

彼は理解している。
この女は、
後宮育ちの飾りではない、と。

昼過ぎ、
別の使用人がやって来る。

「奥様、
こちらの決裁を……」

「その件は、
保留にしてください」

即答だった。

「理由を、
伺っても?」

「先方の納期が、
三度変更されています」

「それは……」

「偶然か、
意図的か」

タニアは視線を上げる。

「どちらか、
確認が取れるまで
私の名での署名はしません」

使用人は、
言葉を失った。

これまでの“奥様”は、
形式的に署名するだけだった。

だが、
彼女は違う。

内容を読み、
考え、
止める。

それは、
屋敷にとって
新しい秩序だった。

夕刻。
厨房で、小さな騒ぎが起きる。

食材が一部、
消えている。

「盗みか?」

「……分かりません」

問い詰められた料理人は、
曖昧に視線を逸らした。

その場にいた使用人たちが、
ざわつく。

処断すべきか。
誰が責任を取るのか。

タニアは、
一歩前に出た。

「今日のところは、
私が預かります」

「奥様?」

「処分は、
事実が確定してからです」

「ですが――」

「疑いだけで首を切るのは、
簡単です」

彼女の声は、
静かだ。

「でも、
それでは屋敷は
長く持ちません」

沈黙が落ちる。

使用人たちは、
理解し始めていた。

この女は、
感情では動かない。

だが、
甘くもない。

夜。
タニアは書斎で、
報告書をまとめていた。

すべて、
記録する。

誰が、
いつ、
何をしたか。

今は、
動かない。

だが、
証拠は積む。

それが、
後宮で学んだやり方だった。

数日後、
戦場から短い書簡が届く。

「問題なし。
引き続き任せる」

アークの筆跡は、
簡潔だ。

だが、
その一文が意味するものは重い。

――信任。

タニアは、
書簡を丁寧に畳んだ。

「……これで、
条件は揃いました」

彼女は、
誰にも告げずに
一つの決断を下す。

屋敷の中で、
静かに線を引く。

誰が味方で、
誰がそうでないか。

処断は、
まだ先だ。

だが――
主導権は、
すでに彼女の手の中にあった。

後宮で学んだのは、
愛され方ではない。

権力の使い方だ。

そして今、
その技術が
ここで生きている。

タニアは、
灯りを落としながら思う。

選ばれたのではない。
選び取ったのだ。

この立場も、
この未来も。

静かに、
確実に。

屋敷は、
もう彼女のリズムで
動き始めていた。
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