婆になる前に、嫁に行きます ――私が下賜を受け入れた理由――

ふわふわ

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第32話 証拠という名の刃

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第32話 証拠という名の刃

屋敷の空気が、
わずかに変わった。

声高に何かが起きたわけではない。
処罰が下されたわけでもない。
だが――
使用人たちは、
確実に“奥様の目”を意識し始めていた。

「……最近、
帳簿の確認が増えましたね」

誰かが、
小声でそう漏らす。

「前は、
侯爵様の印さえあれば
通っていたのに……」

「今は、
奥様が全部、
目を通してる」

不満と、
警戒。

そして、
わずかな恐れ。

それで十分だった。

タニアは、
急がない。

恐怖で縛れば、
反発が生まれる。
甘さを見せれば、
付け込まれる。

必要なのは、
理解させることだ。

――この屋敷は、
もう以前とは違う。

午前、
倉庫係の一人が呼び出された。

「この納品数ですが」

タニアは、
机の上に二枚の紙を並べる。

「こちらが、
商人側の記録。
こちらが、
屋敷側の受領書」

数字は、
わずかに違う。

「……あ、
それは……」

「どちらが、
正しいと思いますか?」

責めない。
声を荒げない。

ただ、
逃げ道を塞ぐ。

男は、
汗をかきながら
口を開いた。

「……私の、
確認不足です」

「そうですか」

タニアは、
それ以上追及しない。

だが、
その日から
彼の仕事ぶりは変わった。

雑だった確認が、
慎重になる。

それを、
タニアは見ている。

午後、
厨房の件について
新たな報告が入る。

食材の横流し。
犯人は、
ほぼ特定された。

だが、
証拠が足りない。

「……まだ、
切りません」

側仕えの女が、
不安そうに言う。

「ですが、
このままでは……」

「いいのです」

タニアは、
静かに答えた。

「今、
切る必要はありません」

「なぜ……?」

「彼らは、
自分たちが
“泳がされている”と
気づいていません」

そして――
気づいた時には、
もう遅い。

それが、
後宮のやり方だ。

夜。
タニアは、
書簡を一通書いた。

宛先は、
戦場のアーク。

内容は、
簡潔だ。

・不正の兆候
・関与者の範囲
・処断の時期案

感情は、
一切書かない。

必要なのは、
判断材料だけ。

数日後、
返書が届く。

「判断は、
そなたに任せる」

短い一文。

だが、
それは完全な委任だった。

タニアは、
書簡を閉じる。

「……では、
次に進みましょう」

翌朝。
倉庫係の男が、
突然姿を消した。

病と届けが出され、
そのまま屋敷を去る。

誰も、
引き止めない。

その数日後、
厨房の件も
静かに片付いた。

解雇。
理由は、
能力不足。

公には、
それだけ。

だが、
使用人たちは理解している。

――逆らえば、
こうなる。

声を荒げず、
血も流さず、
それでも確実に。

タニアは、
屋敷を掌握していた。

恐怖ではなく、
理屈と結果で。

彼女は、
窓辺に立ち、
遠くを見つめる。

戦場は、
まだ遠い。

だが、
ここもまた
戦場だ。

剣は、
使わない。

使うのは、
記録と、
時間と、
判断力。

後宮で生き残った女は、
こうして
領主の屋敷でも
生き残る。

そして――
誰よりも静かに、
強く。

タニアは、
そうやって
自分の居場所を
確定させていった。
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