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第5話 まだ王太子だと思っている
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第5話 まだ王太子だと思っている
アセルス・アウストラリスは、
自室の執務机に向かいながら、
ゆっくりと指を組んだ。
(……少し、騒がしすぎるな)
それが、彼の正直な感想だった。
婚約破棄の翌日から、
王宮の空気は明らかに変わった。
貴族たちの距離感、
近臣たちの歯切れの悪さ、
そして――
アルベルド商会からの返事の遅さ。
だが、
それを「危機」とは認識していない。
(皆、驚いただけだ。
時間が経てば元に戻る)
そう考えることに、
何の疑いも持っていなかった。
彼は第一王子である。
王太子になる存在である。
それは、生まれた瞬間から決まっている。
――そう、信じている。
「聖女との婚約が正式になれば、
流れは自然と戻る」
アセルスは、
自分に言い聞かせるように呟いた。
平民出身とはいえ、
聖女という存在は特別だ。
王国の象徴であり、
民衆からの支持も厚い。
(アルファルド派も、
最終的には理解するはずだ)
政治とは、
感情ではなく結果だ。
聖女を迎え入れることが、
王国の安定につながると分かれば、
誰も反対し続ける理由はない。
――少なくとも、
彼はそう信じていた。
その日の午後、
アセルスは聖女ジャネットの動向を探らせた。
「殿下、
聖女様は現在、神殿にて祈りを……」
「そうか」
それを聞いて、
彼は満足げに頷いた。
(慎み深い。
王妃にふさわしい振る舞いだ)
昨日の婚約破棄の場で、
彼女が驚いていたのは承知している。
だが、それも一時のことだ。
「時間を置けば、
自然と受け入れるだろう」
それは希望ではなく、
前提だった。
アセルスは、
ふと、マリーの言葉を思い出す。
――失えば終わるものもある。
(……大げさだ)
妹は賢いが、
時に慎重すぎる。
今回も、
政治的駆け引きの一部を、
過剰に深刻に捉えているだけだ。
彼は、
自分の判断を疑わなかった。
なぜなら――
これまで、
疑う必要がなかったからだ。
王太子という立場は、
彼にとって「努力して守るもの」ではなく、
「当然そこにあるもの」だった。
それゆえに、
支えがあって初めて成り立つ地位だという事実を、
理解する機会がなかった。
同じ頃、
王宮の別の場所では、
静かな動きが続いていた。
アルファルド派の貴族たちは、
誰一人としてアセルスの名を口にしない。
議題にすら上らない。
そしてアルベルド商会では、
帳簿の中から、
「第一王子関連」の項目が、
淡々と整理され始めていた。
だが――
そのどれもが、
彼の耳には届かない。
アセルスは、
窓の外を見やり、
静かに微笑んだ。
「心配はいらない」
誰に言うでもなく、
そう呟く。
「私は、まだ王太子だ」
その言葉が、
すでに現実と乖離していることを、
彼自身だけが知らない。
そしてこの“誤認”こそが、
後に彼を完全に沈める、
最後の支えだった。
アセルス・アウストラリスは、
自室の執務机に向かいながら、
ゆっくりと指を組んだ。
(……少し、騒がしすぎるな)
それが、彼の正直な感想だった。
婚約破棄の翌日から、
王宮の空気は明らかに変わった。
貴族たちの距離感、
近臣たちの歯切れの悪さ、
そして――
アルベルド商会からの返事の遅さ。
だが、
それを「危機」とは認識していない。
(皆、驚いただけだ。
時間が経てば元に戻る)
そう考えることに、
何の疑いも持っていなかった。
彼は第一王子である。
王太子になる存在である。
それは、生まれた瞬間から決まっている。
――そう、信じている。
「聖女との婚約が正式になれば、
流れは自然と戻る」
アセルスは、
自分に言い聞かせるように呟いた。
平民出身とはいえ、
聖女という存在は特別だ。
王国の象徴であり、
民衆からの支持も厚い。
(アルファルド派も、
最終的には理解するはずだ)
政治とは、
感情ではなく結果だ。
聖女を迎え入れることが、
王国の安定につながると分かれば、
誰も反対し続ける理由はない。
――少なくとも、
彼はそう信じていた。
その日の午後、
アセルスは聖女ジャネットの動向を探らせた。
「殿下、
聖女様は現在、神殿にて祈りを……」
「そうか」
それを聞いて、
彼は満足げに頷いた。
(慎み深い。
王妃にふさわしい振る舞いだ)
昨日の婚約破棄の場で、
彼女が驚いていたのは承知している。
だが、それも一時のことだ。
「時間を置けば、
自然と受け入れるだろう」
それは希望ではなく、
前提だった。
アセルスは、
ふと、マリーの言葉を思い出す。
――失えば終わるものもある。
(……大げさだ)
妹は賢いが、
時に慎重すぎる。
今回も、
政治的駆け引きの一部を、
過剰に深刻に捉えているだけだ。
彼は、
自分の判断を疑わなかった。
なぜなら――
これまで、
疑う必要がなかったからだ。
王太子という立場は、
彼にとって「努力して守るもの」ではなく、
「当然そこにあるもの」だった。
それゆえに、
支えがあって初めて成り立つ地位だという事実を、
理解する機会がなかった。
同じ頃、
王宮の別の場所では、
静かな動きが続いていた。
アルファルド派の貴族たちは、
誰一人としてアセルスの名を口にしない。
議題にすら上らない。
そしてアルベルド商会では、
帳簿の中から、
「第一王子関連」の項目が、
淡々と整理され始めていた。
だが――
そのどれもが、
彼の耳には届かない。
アセルスは、
窓の外を見やり、
静かに微笑んだ。
「心配はいらない」
誰に言うでもなく、
そう呟く。
「私は、まだ王太子だ」
その言葉が、
すでに現実と乖離していることを、
彼自身だけが知らない。
そしてこの“誤認”こそが、
後に彼を完全に沈める、
最後の支えだった。
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