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第15話 最初の拒絶
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第15話 最初の拒絶
聖女ジャネットは、
神殿の奥、静かな礼拝室で祈りを終えると、
ゆっくりと立ち上がった。
心は、不思議なほど落ち着いている。
(……決めました)
婚約破棄の場で名前を呼ばれ、
当然のように「新たな婚約者」とされた。
あの瞬間から、
彼女の中では違和感が消えなかった。
聖女とは、
王国の象徴であり、
民の信仰を集める存在だ。
だがそれは、
誰かの失策を覆い隠すための
便利な駒ではない。
「聖女様」
神官の一人が、
静かに声をかける。
「第一王子殿下が、
お会いしたいと」
ジャネットは、
一瞬だけ目を閉じ、
それから頷いた。
「……分かりました」
逃げるつもりはなかった。
だからこそ、
きちんと終わらせる必要がある。
応接室に通されると、
そこにはアセルス・アウストラリスが
一人で待っていた。
「来てくれて感謝する」
彼は、
いつものように余裕のある表情を浮かべている。
「突然のことで、
戸惑っているだろうが――」
「殿下」
ジャネットは、
丁寧に一礼し、
しかし、言葉を遮った。
「本日は、
はっきり申し上げるために参りました」
アセルスは、
わずかに眉を動かす。
「……何の話だ?」
「殿下との婚約についてです」
空気が、
微かに張りつめた。
「私は、
その婚約をお受けできません」
一瞬、
時間が止まったかのようだった。
「……冗談だろう?」
アセルスは、
すぐに笑みを浮かべた。
「聖女に選ばれた以上、
王家との婚姻は当然だ」
「いいえ」
ジャネットは、
はっきりと首を振る。
「“王家”ではありません。
“王太子”です」
その言葉に、
アセルスの表情が、
わずかに固まる。
「殿下は、
王太子ではありません」
「……何だと?」
声が低くなる。
「聖女が婚姻すべき相手は、
次期国王と定められています」
「それは、
殿下ご自身が
最もご存じのはずです」
アセルスは、
反射的に言い返した。
「私は第一王子だ。
王太子になる」
「“なる予定”と、
“なれる”は違います」
ジャネットの声は、
穏やかだった。
だが、
その穏やかさが、
かえって容赦ない。
「殿下は、
ご自身で支えを断ちました」
「アルファルド家。
アルファルド派。
そして、
王女殿下の信頼」
「その状態で、
王太子になれると
本気でお考えですか?」
言葉が、
胸に突き刺さる。
だがアセルスは、
すぐには理解できなかった。
「……それでも、
私は第一王子だ」
その言葉は、
自分に言い聞かせるようだった。
ジャネットは、
静かに一礼する。
「ですから、
殿下との婚約は、
なかったことにしてください」
「私は、
聖女としての役目を果たします」
「ですが――
王太子になれない方と
婚約することは、
あり得ません」
それだけを告げ、
彼女は踵を返した。
扉が閉まる音が、
やけに大きく響く。
一人残されたアセルスは、
しばらく動けなかった。
(……拒否、された?)
理解しようとする思考と、
否定しようとする感情が、
激しくぶつかる。
婚約破棄した相手ではない。
選ばれるはずの“聖女”に、
拒まれた。
それは、
これまで積み上げてきた
前提そのものを
否定される出来事だった。
この日、
アセルスは初めて――
「戻れないかもしれない」
という現実を、
真正面から突きつけられた。
だが、
まだ完全には理解していない。
これは、
最初の拒絶にすぎない。
そして――
本当の意味での転落は、
まだ、
これから始まるのだから。
聖女ジャネットは、
神殿の奥、静かな礼拝室で祈りを終えると、
ゆっくりと立ち上がった。
心は、不思議なほど落ち着いている。
(……決めました)
婚約破棄の場で名前を呼ばれ、
当然のように「新たな婚約者」とされた。
あの瞬間から、
彼女の中では違和感が消えなかった。
聖女とは、
王国の象徴であり、
民の信仰を集める存在だ。
だがそれは、
誰かの失策を覆い隠すための
便利な駒ではない。
「聖女様」
神官の一人が、
静かに声をかける。
「第一王子殿下が、
お会いしたいと」
ジャネットは、
一瞬だけ目を閉じ、
それから頷いた。
「……分かりました」
逃げるつもりはなかった。
だからこそ、
きちんと終わらせる必要がある。
応接室に通されると、
そこにはアセルス・アウストラリスが
一人で待っていた。
「来てくれて感謝する」
彼は、
いつものように余裕のある表情を浮かべている。
「突然のことで、
戸惑っているだろうが――」
「殿下」
ジャネットは、
丁寧に一礼し、
しかし、言葉を遮った。
「本日は、
はっきり申し上げるために参りました」
アセルスは、
わずかに眉を動かす。
「……何の話だ?」
「殿下との婚約についてです」
空気が、
微かに張りつめた。
「私は、
その婚約をお受けできません」
一瞬、
時間が止まったかのようだった。
「……冗談だろう?」
アセルスは、
すぐに笑みを浮かべた。
「聖女に選ばれた以上、
王家との婚姻は当然だ」
「いいえ」
ジャネットは、
はっきりと首を振る。
「“王家”ではありません。
“王太子”です」
その言葉に、
アセルスの表情が、
わずかに固まる。
「殿下は、
王太子ではありません」
「……何だと?」
声が低くなる。
「聖女が婚姻すべき相手は、
次期国王と定められています」
「それは、
殿下ご自身が
最もご存じのはずです」
アセルスは、
反射的に言い返した。
「私は第一王子だ。
王太子になる」
「“なる予定”と、
“なれる”は違います」
ジャネットの声は、
穏やかだった。
だが、
その穏やかさが、
かえって容赦ない。
「殿下は、
ご自身で支えを断ちました」
「アルファルド家。
アルファルド派。
そして、
王女殿下の信頼」
「その状態で、
王太子になれると
本気でお考えですか?」
言葉が、
胸に突き刺さる。
だがアセルスは、
すぐには理解できなかった。
「……それでも、
私は第一王子だ」
その言葉は、
自分に言い聞かせるようだった。
ジャネットは、
静かに一礼する。
「ですから、
殿下との婚約は、
なかったことにしてください」
「私は、
聖女としての役目を果たします」
「ですが――
王太子になれない方と
婚約することは、
あり得ません」
それだけを告げ、
彼女は踵を返した。
扉が閉まる音が、
やけに大きく響く。
一人残されたアセルスは、
しばらく動けなかった。
(……拒否、された?)
理解しようとする思考と、
否定しようとする感情が、
激しくぶつかる。
婚約破棄した相手ではない。
選ばれるはずの“聖女”に、
拒まれた。
それは、
これまで積み上げてきた
前提そのものを
否定される出来事だった。
この日、
アセルスは初めて――
「戻れないかもしれない」
という現実を、
真正面から突きつけられた。
だが、
まだ完全には理解していない。
これは、
最初の拒絶にすぎない。
そして――
本当の意味での転落は、
まだ、
これから始まるのだから。
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