働いたら負けって、もう負けてますわ。 ―お小遣い制侯爵様は、奥様が怖い―』

ふわふわ

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第二話 退屈な話題

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第二話 退屈な話題

 夜会の会場は、眩いほどの光に満ちていた。

 高く吊るされたシャンデリアが煌めき、磨き上げられた床にはドレスの裾が波のように揺れる。弦楽の調べが軽やかに流れ、笑い声と香水の匂いが混ざり合う。

 エルミリア・フォン・ルクセリアは、淡い銀色のドレスを纏い、壁際でグラスを手にしていた。

 周囲の視線が自然と集まる。

 それは彼女の美貌だけではない。ルクセリア公爵家の名と、彼女が持つ静かな威厳がそうさせるのだ。

「エルミリア」

 背後から、聞き慣れた声。

 ギヨーム・ド・ラトゥールが、赤い上着を翻しながら近づいてくる。

「今夜も見事だな」

「ありがとうございます、ギヨーム様」

 形式通りの微笑。

 彼は彼女の隣に立ち、周囲を見回した。

「今夜は王宮の方々も来ているらしい。顔を売っておかねばな」

「そうでございますわね」

 しばし沈黙。

 エルミリアは、ふと口を開いた。

「ギヨーム様、先日の雨で、南方の小麦畑に少し影響が出ているようです」

「……小麦?」

「ええ。今年は収穫量がやや不安定になるかもしれません」

 彼は眉をひそめる。

「そんな話を今するのか?」

「夜会の場には相応しくないでしょうか」

「当然だろう」

 彼は軽く笑った。

「君は本当に、話題の選び方が堅いな」

「堅い、ですか」

「もっと華やかな話をすればいい。新しいドレス、舞踏会の噂、誰が誰と親しいか。そういうものだ」

 エルミリアはグラスの中の液体を静かに揺らした。

「領地の話は、退屈でございますか?」

「退屈というより、下世話だ」

 きっぱりと言われる。

「畑の話や税の話は、執事に任せておけばいい。君はもっと、貴族らしくあれ」

 “貴族らしく”。

 その言葉は、柔らかく聞こえて、どこか刃のようだった。

「では、貴族らしさとは何でございましょう」

「堂々としていることだ。細かい数字に振り回されないことだ」

 彼は胸を張る。

「我々は象徴なのだよ。領民にとっての誇りだ」

 その姿は、確かに立派だった。

 だが。

「象徴が崩れれば、誇りも崩れますわ」

 ぽつりと漏れた言葉に、彼は目を細めた。

「崩れる?」

「ええ。象徴であり続けるためには、足元が固くなければなりませんもの」

「君はいつも、そんなことばかりだ」

 彼の声に、わずかな苛立ちが混じる。

「私は君と、もっと楽しい話をしたいのだ」

「楽しい話……」

「そうだ。未来のことでもいい。我々がどれほど華やかな侯爵夫妻になるか、とかな」

 エルミリアは微笑んだ。

「華やかさは、基盤があってこそでございます」

「またそれだ」

 彼は大げさにため息をつく。

「君はまるで、商会の会計係のようだ」

 その一言に、周囲の空気が少しだけ冷えた。

 だが彼は気づかない。

「すまない、悪気はない。ただ……」

 彼は少し声を落とした。

「君にはもっと、肩の力を抜いてほしいのだ。数字に縛られてばかりでは、美しくない」

 エルミリアはゆっくりと視線を上げる。

「縛られているのではございませんわ」

「では?」

「支えているだけでございます」

 彼は首をかしげた。

「支える?」

「見ないふりをすれば、楽でございましょう。ですが、それでは守れません」

「何を守るというのだ」

 問い返す声に、彼女は一瞬だけ迷う。

 領地。領民。家名。未来。

 すべてだ。

「……ルクセリア家を」

 静かな答え。

 ギヨームは小さく笑った。

「そんなに心配することはない。名門は簡単には揺らがぬ」

「揺らがないと信じることと、揺らがぬよう備えることは違いますわ」

 彼は少しだけ、彼女を見つめた。

 理解できないものを見るような目。

「君とは、どうも話が噛み合わぬな」

「そうでございますか」

「ああ。だがそれも愛嬌だ」

 軽く肩を叩かれ、彼は別の貴族に呼ばれて去っていった。

 その背中を見送りながら、エルミリアは小さく息を吐く。

 噛み合わない。

 それは、些細な違いなのか。

 それとも。

 近くで、若い令嬢たちの笑い声が上がる。

「ラトゥール様はやはり素敵ですわね」

「堂々としていらして」

 そう。

 堂々としている。

 細かいことに気を取られない。

 それが彼の美点なのだろう。

 けれど。

 細かいことの積み重ねが、やがて大きな波になることを、彼は知らない。

 音楽が変わる。

 新しい曲。

 ギヨームが遠くで別の令嬢と笑っている。

 エルミリアは静かにグラスを置いた。

 退屈なのは、領地の話ではない。

 退屈なのは――

 未来を見ようとしない会話。

 それに、彼女は気づき始めていた。
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