3 / 32
第三話 華やかな未来
しおりを挟む
第三話 華やかな未来
ルクセリア公爵邸の庭は、春の陽光に包まれていた。
色とりどりの花が咲き、白い噴水の水がきらめく。午後の穏やかな空気の中、エルミリアはテラスに腰かけ、静かに紅茶を口にしていた。
その向かいに座るのは、ギヨーム・ド・ラトゥール。
彼は楽しげにカップを揺らしながら、陽気な声で話している。
「結婚後の住まいだが、侯爵家の屋敷を大改装しようと思う」
「改装、でございますか」
「ああ。今のままでは少し古臭い。王宮に負けぬ華やかさが必要だ」
彼は手振りを交えて語る。
「大広間の壁を張り替え、シャンデリアも新調する。舞踏会を開けば、皆が羨むだろう」
エルミリアは微笑んだまま、問いを返す。
「費用はどれほどになるご予定でしょう」
彼は少し顔をしかめる。
「またそれか」
「具体的な計画を伺っているだけでございます」
「計画など、後から整えればよい。まずは構想だ」
彼は椅子に深く背を預けた。
「侯爵家は華やかでなければならない。質素に見られることこそ、恥だ」
その言葉には確信があった。
幼いころからそう教えられてきたのだろう。
「豪奢な装い、堂々たる馬車、大勢の従者。そうしてこそ、人は我らを尊ぶ」
「尊ぶ……」
「そうだ。貴族とは象徴だ。貧相であれば、発言力も失う」
エルミリアは静かに頷いた。
彼の理屈は理解できる。
確かに、社交界では見た目がものを言う。
だが。
「見た目を整えるには、支えが必要でございます」
「支え?」
「収入と、継続する力ですわ」
彼は軽く笑う。
「収入ならある。領地は広い。家名もある」
「収穫が安定しなければ?」
「天候の問題だ」
「市場が変われば?」
「一時的なものだ」
返答は、いつも同じ。
根拠よりも、信念。
「君は心配性だな」
ギヨームはカップを置き、彼女を見つめた。
「結婚すれば、君は侯爵夫人だ。細かいことは私が考える」
「細かいこと……」
「そうだ。君は華やかでいてくれればいい」
その言葉は、優しさのようでいて、どこか壁のようだった。
「私は華やかであるだけで、よろしいのでしょうか」
「もちろんだ。君は美しい。立っているだけで価値がある」
価値。
その響きが、わずかに胸に刺さる。
「では、私が今していることは」
「余計なことだ」
あっさりと、そう言われた。
「帳簿を見たり、執事に細かく指示を出したり……そんなものは、君の手を汚す」
手を汚す。
エルミリアは自分の指先を見る。
そこには、インクの跡などない。
ただ、責任があるだけだ。
「ギヨーム様は、侯爵家の帳簿をご覧になったことは」
「ない」
即答だった。
「必要ない。執事が管理している」
「では、収支の大まかな流れは」
「それも、任せている」
迷いのない声。
任せることと、知らないことは違う。
けれど彼にとっては同じなのだろう。
「私の父もそうだった。貴族がちまちまと数字に目を通すなど、品位を下げると」
「……そうでございますか」
「君も、いずれ分かる」
彼は立ち上がり、彼女の手を取る。
「華やかな未来が待っている。余計な心配はするな」
その手は温かい。
だが、その温かさの中に、現実はない。
彼が去ったあと、庭には再び静寂が戻った。
遠くで庭師が枝を整えている。
ぱちり、と小枝が切れる音。
エルミリアはゆっくりと立ち上がり、庭を歩く。
花は美しい。
だが、手入れを怠れば、すぐに乱れる。
「華やかであれば、よい……」
小さく呟く。
それは彼の理想。
だが、自分の理想は違う。
華やかさは、結果であって、目的ではない。
目的は――守ること。
家を。領地を。未来を。
彼と自分は、同じ方向を見ているのだろうか。
それとも。
ゆっくりと視線を上げる。
空は青く、穏やかだ。
嵐の気配など、どこにもない。
けれどエルミリアは、胸の奥に小さな違和感を抱えていた。
それはまだ、言葉にならない。
ただひとつ確かなのは――
華やかな未来を語る彼の隣で、自分だけが、足元を見ているということだった。
ルクセリア公爵邸の庭は、春の陽光に包まれていた。
色とりどりの花が咲き、白い噴水の水がきらめく。午後の穏やかな空気の中、エルミリアはテラスに腰かけ、静かに紅茶を口にしていた。
その向かいに座るのは、ギヨーム・ド・ラトゥール。
彼は楽しげにカップを揺らしながら、陽気な声で話している。
「結婚後の住まいだが、侯爵家の屋敷を大改装しようと思う」
「改装、でございますか」
「ああ。今のままでは少し古臭い。王宮に負けぬ華やかさが必要だ」
彼は手振りを交えて語る。
「大広間の壁を張り替え、シャンデリアも新調する。舞踏会を開けば、皆が羨むだろう」
エルミリアは微笑んだまま、問いを返す。
「費用はどれほどになるご予定でしょう」
彼は少し顔をしかめる。
「またそれか」
「具体的な計画を伺っているだけでございます」
「計画など、後から整えればよい。まずは構想だ」
彼は椅子に深く背を預けた。
「侯爵家は華やかでなければならない。質素に見られることこそ、恥だ」
その言葉には確信があった。
幼いころからそう教えられてきたのだろう。
「豪奢な装い、堂々たる馬車、大勢の従者。そうしてこそ、人は我らを尊ぶ」
「尊ぶ……」
「そうだ。貴族とは象徴だ。貧相であれば、発言力も失う」
エルミリアは静かに頷いた。
彼の理屈は理解できる。
確かに、社交界では見た目がものを言う。
だが。
「見た目を整えるには、支えが必要でございます」
「支え?」
「収入と、継続する力ですわ」
彼は軽く笑う。
「収入ならある。領地は広い。家名もある」
「収穫が安定しなければ?」
「天候の問題だ」
「市場が変われば?」
「一時的なものだ」
返答は、いつも同じ。
根拠よりも、信念。
「君は心配性だな」
ギヨームはカップを置き、彼女を見つめた。
「結婚すれば、君は侯爵夫人だ。細かいことは私が考える」
「細かいこと……」
「そうだ。君は華やかでいてくれればいい」
その言葉は、優しさのようでいて、どこか壁のようだった。
「私は華やかであるだけで、よろしいのでしょうか」
「もちろんだ。君は美しい。立っているだけで価値がある」
価値。
その響きが、わずかに胸に刺さる。
「では、私が今していることは」
「余計なことだ」
あっさりと、そう言われた。
「帳簿を見たり、執事に細かく指示を出したり……そんなものは、君の手を汚す」
手を汚す。
エルミリアは自分の指先を見る。
そこには、インクの跡などない。
ただ、責任があるだけだ。
「ギヨーム様は、侯爵家の帳簿をご覧になったことは」
「ない」
即答だった。
「必要ない。執事が管理している」
「では、収支の大まかな流れは」
「それも、任せている」
迷いのない声。
任せることと、知らないことは違う。
けれど彼にとっては同じなのだろう。
「私の父もそうだった。貴族がちまちまと数字に目を通すなど、品位を下げると」
「……そうでございますか」
「君も、いずれ分かる」
彼は立ち上がり、彼女の手を取る。
「華やかな未来が待っている。余計な心配はするな」
その手は温かい。
だが、その温かさの中に、現実はない。
彼が去ったあと、庭には再び静寂が戻った。
遠くで庭師が枝を整えている。
ぱちり、と小枝が切れる音。
エルミリアはゆっくりと立ち上がり、庭を歩く。
花は美しい。
だが、手入れを怠れば、すぐに乱れる。
「華やかであれば、よい……」
小さく呟く。
それは彼の理想。
だが、自分の理想は違う。
華やかさは、結果であって、目的ではない。
目的は――守ること。
家を。領地を。未来を。
彼と自分は、同じ方向を見ているのだろうか。
それとも。
ゆっくりと視線を上げる。
空は青く、穏やかだ。
嵐の気配など、どこにもない。
けれどエルミリアは、胸の奥に小さな違和感を抱えていた。
それはまだ、言葉にならない。
ただひとつ確かなのは――
華やかな未来を語る彼の隣で、自分だけが、足元を見ているということだった。
13
あなたにおすすめの小説
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
【完結】私を捨てた国のその後を見守ってみた。
satomi
恋愛
侯爵令嬢のレナは公然の場でというか、卒業パーティーで王太子殿下イズライールに婚約破棄をされた挙句、王太子殿下は男爵令嬢のラーラと婚約を宣言。
殿下は陛下や王妃様がいないときを狙ったんでしょうね。
レナの父はアルロジラ王国の宰相です。実家にはレナの兄が4名いますがみんなそろいもそろって優秀。
長男は領地経営、次男は貿易商、3男は情報屋、4男は…オカマバー経営。
レナは殿下に愛想をつかして、アルロジラ王国の行く末を見守ろうと決意するのです。
次男監修により、国交の断絶しているエミューダ帝国にて。
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろう、カクヨムにも掲載中です)
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
王命により、婚約破棄されました。
緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。
いや、無理。 (完結)
詩海猫(8/29書籍発売)
恋愛
細かいことは気にせずお読みください。
もはや定番となった卒業パーティー、急に冷たくなって公の場にエスコートすらしなくなった婚約者に身に覚えのない言い掛かりをつけられ、婚約破棄を突きつけられるーーからの新しい婚約者の紹介へ移るという、公式行事の私物化も甚だしい一連の行動に、私は冷めた瞳をむけていたーー目の前の男は言い訳が終わると、
「わかってくれるだろう?ミーナ」
と手を差し伸べた。
だから私はこう答えた。
「いや、無理」
と。
[完結]不実な婚約者に「あんたなんか大っ嫌いだわ」と叫んだら隣国の公爵令息に溺愛されました
masato
恋愛
アリーチェ・エストリアはエスト王国の筆頭伯爵家の嫡女である。
エストリア家は、建国に携わった五家の一つで、エストの名を冠する名家である。
エストの名を冠する五家は、公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家に別れ、それぞれの爵位の家々を束ねる筆頭とされていた。
それ故に、エストの名を冠する五家は、爵位の壁を越える特別な家門とされていた。
エストリア家には姉妹しかおらず、長女であるアリーチェは幼い頃から跡取りとして厳しく教育を受けて来た。
妹のキャサリンは母似の器量良しで可愛がられていたにも関わらず。
そんな折、侯爵家の次男デヴィッドからの婿養子への打診が来る。
父はアリーチェではなくデヴィッドに爵位を継がせると言い出した。
釈然としないながらもデヴィッドに歩み寄ろうとするアリーチェだったが、デヴィッドの態度は最悪。
その内、デヴィッドとキャサリンの恋の噂が立ち始め、何故かアリーチェは2人の仲を邪魔する悪役にされていた。
学園内で嫌がらせを受ける日々の中、隣国からの留学生リディアムと出会った事で、
アリーチェは家と国を捨てて、隣国で新しい人生を送ることを決める。
神託の聖女様~偽義妹を置き去りにすることにしました
青の雀
恋愛
半年前に両親を亡くした公爵令嬢のバレンシアは、相続権を王位から認められ、晴れて公爵位を叙勲されることになった。
それから半年後、突如現れた義妹と称する女に王太子殿下との婚約まで奪われることになったため、怒りに任せて家出をするはずが、公爵家の使用人もろとも家を出ることに……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる