働いたら負けって、もう負けてますわ。 ―お小遣い制侯爵様は、奥様が怖い―』

ふわふわ

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第四話 当然という言葉

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第四話 当然という言葉

 午後の陽射しが、ルクセリア公爵邸の応接室に柔らかく差し込んでいた。

 エルミリアは書類をまとめ、最後の封蝋を押したところで、控えめなノックの音を聞いた。

「お嬢様、ラトゥール侯爵子息様がいらしております」

「お通しして」

 ほどなくして、ギヨームが軽やかな足取りで入ってくる。

 今日はいつもより少し機嫌が良さそうだった。

「エルミリア、少し相談がある」

「はい」

 彼は椅子に腰を下ろし、指を組む。

「新しい事業の話があるのだ」

「事業、でございますか」

「といっても、私が動くわけではない。南方の港に関わる話だ。流通が活発になるらしい」

 エルミリアは小さく頷いた。

「興味深いお話でございますね」

「だろう?」

 彼は嬉しそうに続ける。

「ただ、初期の資金が少し足りなくてな」

 ほんの一瞬、空気が静かになる。

「資金、でございますか」

「ああ。些細な額だ。侯爵家としても出せるが、今は別の支出が重なっていてな」

 “些細”。

 その言葉が、軽く投げられる。

「エルミリア」

 彼は柔らかく微笑んだ。

「君のところなら、問題ないだろう?」

 彼女は視線を外さずに問う。

「私のところ、と申しますと」

「ルクセリア家だ。君は唯一の令嬢だろう。動かせる資金もあるはずだ」

 当然、と言わんばかりの口調。

 それは頼みではない。

 前提。

「婚約者なのだから、支え合うのは当然だ」

 その言葉が、ゆっくりと胸に落ちる。

「具体的な計画書はございますか」

 彼は少し眉をひそめた。

「計画書?」

「返済の見通しや、期間など」

「そこまで固く考えなくてもよい。これは投機ではない。将来への布石だ」

「その布石が、どのように花開くのかを伺っております」

 沈黙。

 ギヨームはわずかに苛立った様子で椅子にもたれた。

「君は、いつもそうだな」

「そう、とは」

「金を動かすことに慎重すぎる」

「慎重であることは、悪いことでございましょうか」

「婚約者に対しては、冷たい」

 その言葉に、エルミリアのまなざしがわずかに揺れる。

「冷たい、ですか」

「私は君に無理な要求をしているわけではない。未来の侯爵家のためだ」

「侯爵家のため、でございますね」

「ああ。結婚すれば、君もその家の一員だ」

 それは事実だ。

 けれど。

「ルクセリア家の資産は、領地と家名を守るためにございます」

「ラトゥール家を守ることも、同じではないか」

「契約なくしては、同じとは申せません」

 彼の表情が変わる。

「契約、契約と……」

「約束は明文化するべきでございます」

「私は君を信じている」

「私も、ギヨーム様を信じております」

 柔らかく、しかし揺るがず。

「だからこそ、書面に残すのです」

 信頼とは、曖昧さを許すことではない。

 責任を明確にすることだ。

 彼は立ち上がる。

「私に担保を求めるのか」

「条件を整えたいだけでございます」

「婚約者に対してもか」

「婚約者だからこそ、でございます」

 沈黙。

 彼はゆっくりと息を吐いた。

「君は……本当に商人のようだな」

 その言葉は、前よりも冷たい。

「私は貴族でございます」

「ならば、もっと大らかであれ」

「大らかであることと、無防備であることは違います」

 視線が交わる。

 彼の瞳には、理解できないという色があった。

「分かった。今日はいい」

 彼は背を向ける。

「考えておいてくれ」

 扉が閉まる。

 静かな部屋に、エルミリアは一人残された。

 “当然”。

 その言葉が、心の奥で波紋を広げる。

 婚約者だから。

 家族になるから。

 だから、貸して当然。

「……当然、とは」

 彼女は小さく呟いた。

 支えることは、悪ではない。

 だが、支え方を問うことが冷たいのなら。

 その未来は、本当に共に歩めるものなのか。

 机の上の帳簿に視線を落とす。

 数字は嘘をつかない。

 だが、人の期待は、曖昧だ。

 エルミリアはそっと帳簿を閉じた。

 この小さな違和感が、やがて大きな決断へと繋がることを、まだ彼女は知らない。
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