働いたら負けって、もう負けてますわ。 ―お小遣い制侯爵様は、奥様が怖い―』

ふわふわ

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第五話 誇りの形

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第五話 誇りの形

 ラトゥール侯爵邸の大広間は、やけに明るかった。

 天井の高い空間に、金縁の鏡と古い肖像画が並ぶ。どれも立派ではあるが、どこか色褪せている。かつての栄光を語る品々が、今は静かに埃をかぶっていた。

 エルミリアはその中央に立ち、ゆるやかに視線を巡らせた。

「どうだ、壮観だろう?」

 隣で胸を張るギヨーム。

「我が家の歴史だ。これだけの家名を持つ者に、金の心配など似合わぬ」

 その声には誇りがあった。

 確かに、この家は古い。

 王の側近として仕え、戦場で功績を上げ、社交界で影響力を持ってきた。

 だが。

「素晴らしい歴史でございますね」

 エルミリアは静かに答える。

「だろう? だからこそ、私は落ちぶれるつもりはない」

 “落ちぶれる”。

 彼の中では、それは質素になることと同義なのだろう。

「倹約を続けると、人は我らを侮る。従者が減り、馬車が古くなり、衣装が地味になる。そうなれば発言力も失う」

「見た目は大切でございます」

「そうだ。だから私は、堂々としている」

 彼は広間を見渡す。

「父はよく言っていた。貴族は働いたら負けだ、と」

 その言葉は、冗談ではない。

 信条だ。

「汗を流して金を追うのは、下々の役目。我らは示す側だ」

「示す、とは」

「余裕だ。揺るがぬ姿勢だ。焦らぬ態度だ」

 エルミリアはゆっくりと息を吸う。

「その余裕は、どこから生まれるのでしょう」

「家名だ」

「家名だけで、支出は賄えますでしょうか」

 彼は眉を寄せる。

「またそれか。君はどうしても数字の話をしたいらしいな」

「現実の話をしているだけでございます」

「現実なら、目の前にあるだろう。この屋敷、この歴史、この名誉」

「それらを維持するための現実でございます」

 空気がわずかに張りつめる。

「君は、貴族を何だと思っている?」

 問いは静かだが、鋭い。

「守る者でございます」

「守る? 何を」

「領地を。民を。家名を」

「民は勝手に働く。領地は勝手に実る」

 その言葉に、エルミリアの瞳がほんの少しだけ冷える。

「自然は、気まぐれでございます」

「だから祈る」

「祈りだけで足りぬこともございます」

「それは、恐れだ」

 ギヨームはきっぱりと言った。

「恐れているから、細かいことに目が行く。私は恐れない」

「恐れないことと、備えないことは違います」

 彼は黙る。

 しばらくして、小さく笑った。

「君は賢い。だが賢すぎる」

「……賢いことは罪でございましょうか」

「貴族には似合わぬ」

 似合わぬ。

 その響きは軽いが、否定の色を含んでいる。

「私は、似合わぬ存在でございますか」

「いや」

 彼は少し柔らかくなる。

「ただ、考え方が違う」

 違う。

 その言葉は、思ったよりも重かった。

 エルミリアは広間の肖像画を見る。

 先祖たちは、皆堂々としている。

 だがその堂々とした姿の裏で、どれほどの決断と責任を背負ってきたのだろう。

 ただ立っていただけではないはずだ。

「ギヨーム様」

「なんだ」

「もし、華やかさを保つために他者に依存するならば、それは誇りでございましょうか」

 彼は即答する。

「婚約者に頼るのは依存ではない」

「頼ること自体は否定いたしません」

「ならば?」

「当然であると決めつけることが、問題でございます」

 沈黙。

 彼の視線が揺れる。

「私は君を頼っている。君は裕福だ。余裕もある」

「裕福であることと、無制限であることは違います」

「君は私を信じていないのか」

「信じております」

 彼女の声は静かだ。

「ですが、信頼は形にするものでございます」

「形、形と……」

 彼は苛立ちを隠さない。

「私は誇りを守りたいだけだ」

「私もでございます」

 誇り。

 同じ言葉なのに、意味が違う。

 彼にとっては見せるもの。

 彼女にとっては守るもの。

 その差は、思った以上に大きい。

 エルミリアはそっと一礼する。

「本日は、素晴らしい歴史を拝見いたしました」

 ギヨームは何も言わない。

 彼女が去ったあと、大広間には肖像画だけが残る。

 栄光の表情は変わらない。

 だが時代は、静かに動いている。

 そしてエルミリアの胸の奥には、はっきりとした予感が芽生えていた。

 この誇りの形は、きっと、交わらない。
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