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第六話 金は流れなければ
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第六話 金は流れなければ
ルクセリア公爵邸の執務室には、朝の光が静かに差し込んでいた。
エルミリアは机の上に並ぶ報告書に目を通しながら、淡々と指示を出していく。
「南の農地は、来季は麦の比率を少し下げましょう。昨年は豊作でしたが、市場価格が落ちております」
「かしこまりました」
「北の林業は、加工を増やしてから出荷を。原木のままでは利益が薄いですわ」
執事は深く頭を下げる。
彼女の言葉は、冷静で無駄がない。
肉体労働ではない。
だが、確実に“働いている”。
机の上の帳簿に目を落とす。
収入、支出、投資、回収。
金は流れなければ腐る。
それを止めるのは簡単だ。
ただ、動かさなければいい。
だが止まった水が濁るように、止まった資金もまた、やがて価値を失う。
「お嬢様」
執事が声を落とす。
「ラトゥール侯爵家より、使者が参りました」
エルミリアは顔を上げる。
「どのようなご用件で」
「追加のご融資についての件と」
わずかな間。
「先日の件とは別口でございます」
別口。
彼女は静かに目を伏せる。
「お通しして」
使者は慇懃な態度で一礼した。
「侯爵子息様より、資金のご相談でございます。南方の件に加え、屋敷改装の費用も重なっており……」
「改装も、でございますか」
「ええ。舞踏会を控えておられるとのことで」
華やかさのための支出。
エルミリアはゆっくりと息を吸う。
「条件は」
使者は一瞬戸惑う。
「条件、と申しますと」
「返済計画、担保、期間」
「……そこまでは」
やはり。
「侯爵子息様は、婚約者間の信頼を前提に」
信頼。
その言葉は便利だ。
曖昧なものを、柔らかく包む。
「ラトゥール家の現在の収支状況を、こちらで把握してもよろしいでしょうか」
「それは……」
使者の額に、わずかな汗が滲む。
「難しい、かと」
把握させない。
だが、貸してほしい。
エルミリアは微笑む。
「では、本件は見送らせていただきます」
使者は目を見開いた。
「お断りになるのですか」
「現状では」
「しかし侯爵子息様は」
「未来の夫でございます」
声は穏やかだ。
「だからこそ、曖昧にはいたしません」
使者は何も言えず、深く頭を下げて退出した。
静かな部屋に戻る。
エルミリアは椅子に背を預ける。
彼は、金を動かすことを誇りと結びつけない。
むしろ、触れないことを誇りとする。
だが。
金は誇りではない。
責任だ。
動かさねばならぬときに動かし、止めるべきときに止める。
それが管理だ。
彼は金を“持つもの”と考えている。
彼女は金を“使うもの”と考えている。
その差は、深い。
「お嬢様」
再び執事が入る。
「南方商会より報告が。出資先が順調とのことです」
エルミリアは小さく頷く。
「利益は再投資へ。流れを止めぬように」
「承知いたしました」
流す。
回す。
育てる。
それは、汗を流す仕事ではない。
だが、確実に働いている。
彼女は立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
庭では庭師が花壇を整えている。
刈り込み、整え、肥料を与える。
手をかけなければ、美しさは保てない。
「働いてはならない、か」
小さく呟く。
彼の言う“働く”とは、何を指しているのだろう。
汗をかくことか。
金を追うことか。
それとも。
責任を負うことか。
窓の外に視線を向けながら、エルミリアは静かに決意を固めつつあった。
彼に金を流さないことは、冷酷ではない。
むしろ。
彼の未来を守るための、最後の防波堤なのかもしれない。
だが、彼がそれを理解する日は――来るのだろうか。
ルクセリア公爵邸の執務室には、朝の光が静かに差し込んでいた。
エルミリアは机の上に並ぶ報告書に目を通しながら、淡々と指示を出していく。
「南の農地は、来季は麦の比率を少し下げましょう。昨年は豊作でしたが、市場価格が落ちております」
「かしこまりました」
「北の林業は、加工を増やしてから出荷を。原木のままでは利益が薄いですわ」
執事は深く頭を下げる。
彼女の言葉は、冷静で無駄がない。
肉体労働ではない。
だが、確実に“働いている”。
机の上の帳簿に目を落とす。
収入、支出、投資、回収。
金は流れなければ腐る。
それを止めるのは簡単だ。
ただ、動かさなければいい。
だが止まった水が濁るように、止まった資金もまた、やがて価値を失う。
「お嬢様」
執事が声を落とす。
「ラトゥール侯爵家より、使者が参りました」
エルミリアは顔を上げる。
「どのようなご用件で」
「追加のご融資についての件と」
わずかな間。
「先日の件とは別口でございます」
別口。
彼女は静かに目を伏せる。
「お通しして」
使者は慇懃な態度で一礼した。
「侯爵子息様より、資金のご相談でございます。南方の件に加え、屋敷改装の費用も重なっており……」
「改装も、でございますか」
「ええ。舞踏会を控えておられるとのことで」
華やかさのための支出。
エルミリアはゆっくりと息を吸う。
「条件は」
使者は一瞬戸惑う。
「条件、と申しますと」
「返済計画、担保、期間」
「……そこまでは」
やはり。
「侯爵子息様は、婚約者間の信頼を前提に」
信頼。
その言葉は便利だ。
曖昧なものを、柔らかく包む。
「ラトゥール家の現在の収支状況を、こちらで把握してもよろしいでしょうか」
「それは……」
使者の額に、わずかな汗が滲む。
「難しい、かと」
把握させない。
だが、貸してほしい。
エルミリアは微笑む。
「では、本件は見送らせていただきます」
使者は目を見開いた。
「お断りになるのですか」
「現状では」
「しかし侯爵子息様は」
「未来の夫でございます」
声は穏やかだ。
「だからこそ、曖昧にはいたしません」
使者は何も言えず、深く頭を下げて退出した。
静かな部屋に戻る。
エルミリアは椅子に背を預ける。
彼は、金を動かすことを誇りと結びつけない。
むしろ、触れないことを誇りとする。
だが。
金は誇りではない。
責任だ。
動かさねばならぬときに動かし、止めるべきときに止める。
それが管理だ。
彼は金を“持つもの”と考えている。
彼女は金を“使うもの”と考えている。
その差は、深い。
「お嬢様」
再び執事が入る。
「南方商会より報告が。出資先が順調とのことです」
エルミリアは小さく頷く。
「利益は再投資へ。流れを止めぬように」
「承知いたしました」
流す。
回す。
育てる。
それは、汗を流す仕事ではない。
だが、確実に働いている。
彼女は立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
庭では庭師が花壇を整えている。
刈り込み、整え、肥料を与える。
手をかけなければ、美しさは保てない。
「働いてはならない、か」
小さく呟く。
彼の言う“働く”とは、何を指しているのだろう。
汗をかくことか。
金を追うことか。
それとも。
責任を負うことか。
窓の外に視線を向けながら、エルミリアは静かに決意を固めつつあった。
彼に金を流さないことは、冷酷ではない。
むしろ。
彼の未来を守るための、最後の防波堤なのかもしれない。
だが、彼がそれを理解する日は――来るのだろうか。
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