婚約破棄は、他人事ですので

ふわふわ

文字の大きさ
19 / 40

第十九話 その名を聞いて

しおりを挟む
第十九話 その名を聞いて

 縁談の話というものは、不思議な順序で進む。

 最初に来るのは、気配。
 次に来るのは、確認。
 そして最後に――名前が出る。

 アバンダンティア・コーニュコピアは、その「最後」が訪れる瞬間を、思った以上に静かに迎えていた。

 午後の応接室。
 窓から差し込む光は柔らかく、季節の移ろいを感じさせる。
 彼女の向かいに座るのは、父――コーニュコピア伯爵だった。

「正式な話だ」

 そう前置きしてから、父は書類を一枚、机の上に置いた。

 書簡ではない。
 これは、すでに家同士で一定の確認を終えた段階のものだ。

「縁談の打診が来ている」

「ええ。存じていますわ」

 即答に、父はわずかに眉を上げる。

「やはり、気づいていたか」

「兆しが、あまりにも分かりやすかったものですから」

 父は小さく息を吐き、苦笑に近い表情を浮かべた。

「お前らしい」

 そして、少し間を置いてから、本題に入る。

「相手は――マーキュリー・ヘルメス伯爵だ」

 その名を聞いた瞬間、
 アバンダンティアの思考が、一拍だけ遅れた。

 驚きがなかったわけではない。
 だが、それは感情的な動揺ではない。

(……やはり、そこに来ましたか)

 内心で、静かに結論づける。

 意外性はある。
 だが、不自然ではない。

 むしろ――
 最も合理的な名前だった。

「……なるほど」

 彼女は、そう言ってから視線を落とした。

 父は、その反応を注意深く観察している。

「驚かないのだな」

「ええ」

 アバンダンティアは、淡々と答える。

「可能性の一つとして、最初から含めていました」

 父は、今度こそはっきりと驚いた。

「最初から?」

「舞踏会で隣に立った時点で。
 それから、同行し、噂が形成され、縁談の空気が生まれるまでの流れを考えれば」

 彼女は言葉を選びながら続ける。

「行き着く先は、限られます」

 父は腕を組み、深く頷いた。

「確かに。
 家柄、立場、年齢、評判。
 どれを取っても、過不足はない」

 そして、少しだけ声を低くする。

「お前としては、どうだ?」

 アバンダンティアは、すぐには答えなかった。

 マーキュリー・ヘルメス。

 観察者としては、間違いなく同類。
 言葉を尽くさずとも通じる視点。
 配置を読み、流れを測り、感情に流されない。

 だが――

(当事者になった時は、別)

 それは、すでに自分自身が口にしている。

「お相手として、欠点は見当たりません」

 そう前置きしてから、彼女は続けた。

「ただし、
 “欠点がない”という評価は、
 必ずしも“適している”とは一致しませんわ」

 父は、その言葉を否定しない。

「それは、婚姻という制度そのものだな」

「ええ」

 しばらく、沈黙が落ちる。

 父は、無理に急がせることをしなかった。
 それが、彼なりの配慮だ。

「返答は、すぐでなくていい」

「ありがとうございます」

 アバンダンティアは立ち上がり、一礼する。

「わたくしなりに、確認したいことがありますので」

 その日の夕方。

 別の邸で開かれた、小規模な集まり。
 そこに、マーキュリーの姿があった。

 視線が合った瞬間、
 彼はすべてを悟ったように、ほんのわずかに目を細める。

「……来ましたか」

「ええ」

 二人は、周囲に聞かれない距離で並ぶ。

「わたくしのもとに、正式な縁談が持ち込まれました」

「そうでしょうね」

 彼は、驚きも動揺も見せない。

「で、名前は」

「あなたですわ」

 マーキュリーは、一瞬だけ黙った。

 その沈黙は、計算でも演技でもない。
 純粋な確認だった。

「……私もです」

 短く、そう言う。

 二人は、視線を合わせる。

 そこにあるのは、
 照れでも、喜びでもない。

 同時に辿り着いた結論。

「避けられない流れでしたね」

「ええ」

 アバンダンティアは、静かに頷く。

「社交界が、私たちを“曖昧なまま”にしておくとは思えませんでした」

 マーキュリーは、小さく息を吐いた。

「観客席から、引きずり出された」

「そう表現するのは、少し被害者意識が強いですわ」

「では」

 彼は、わずかに口元を緩める。

「“選ばされた”」

「ええ。その方が正確です」

 二人の間に、奇妙な静けさが流れる。

 それは、拒絶ではない。
 だが、期待でもない。

 ただ、現実を受け止めているだけだ。

「……話し合う必要がありますね」

 マーキュリーが言う。

「ええ」

 アバンダンティアも同意する。

「感情ではなく」

「条件と立場で」

 二人は、ほぼ同時に同じ言葉を口にして、
 一瞬だけ、視線を交わした。

 やはり、観察者としては同類だ。

 問題は――
 その同類が、婚約者としても成立するかどうか。

 その答えは、まだ出ていない。

 だが、
 問いは、確実に始まっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

王命により、婚約破棄されました。

緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~

ゆうき
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。 そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。 シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。 ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。 それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。 それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。 なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた―― ☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆ ☆全文字はだいたい14万文字になっています☆ ☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆

えっ「可愛いだけの無能な妹」って私のことですか?~自業自得で追放されたお姉様が戻ってきました。この人ぜんぜん反省してないんですけど~

村咲
恋愛
ずっと、国のために尽くしてきた。聖女として、王太子の婚約者として、ただ一人でこの国にはびこる瘴気を浄化してきた。 だけど国の人々も婚約者も、私ではなく妹を選んだ。瘴気を浄化する力もない、可愛いだけの無能な妹を。 私がいなくなればこの国は瘴気に覆いつくされ、荒れ果てた不毛の地となるとも知らず。 ……と思い込む、国外追放されたお姉様が戻ってきた。 しかも、なにを血迷ったか隣国の皇子なんてものまで引き連れて。 えっ、私が王太子殿下や国の人たちを誘惑した? 嘘でお姉様の悪評を立てた? いやいや、悪評が立ったのも追放されたのも、全部あなたの自業自得ですからね?

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

【完結】離縁王妃アデリアは故郷で聖姫と崇められています ~冤罪で捨てられた王妃、地元に戻ったら領民に愛され「聖姫」と呼ばれていました~

猫燕
恋愛
「――そなたとの婚姻を破棄する。即刻、王宮を去れ」 王妃としての5年間、私はただ国を支えていただけだった。 王妃アデリアは、側妃ラウラの嘘と王の独断により、「毒を盛った」という冤罪で突然の離縁を言い渡された。「ただちに城を去れ」と宣告されたアデリアは静かに王宮を去り、生まれ故郷・ターヴァへと向かう。 しかし、領地の国境を越えた彼女を待っていたのは、驚くべき光景だった。 迎えに来たのは何百もの領民、兄、彼女の帰還に歓喜する侍女たち。 かつて王宮で軽んじられ続けたアデリアの政策は、故郷では“奇跡”として受け継がれ、領地を繁栄へ導いていたのだ。実際は薬学・医療・農政・内政の天才で、治癒魔法まで操る超有能王妃だった。 故郷の温かさに癒やされ、彼女の有能さが改めて証明されると、その評判は瞬く間に近隣諸国へ広がり── “冷徹の皇帝”と恐れられる隣国の若き皇帝・カリオンが現れる。 皇帝は彼女の才覚と優しさに心を奪われ、「私はあなたを守りたい」と静かに誓う。 冷徹と恐れられる彼が、なぜかターヴァ領に何度も通うようになり――「君の価値を、誰よりも私が知っている」「アデリア・ターヴァ。君の全てを、私のものにしたい」 一方その頃――アデリアを失った王国は急速に荒れ、疫病、飢饉、魔物被害が連鎖し、内政は崩壊。国王はようやく“失ったものの価値”を理解し始めるが、もう遅い。 追放された王妃は、故郷で神と崇められ、最強の溺愛皇帝に娶られる!「あなたが望むなら、帝国も全部君のものだ」――これは、誰からも理解されなかった“本物の聖女”が、 ようやく正当に愛され、報われる物語。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...