婚約破棄は、他人事ですので

ふわふわ

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第二十五話 微細な違和感

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第二十五話 微細な違和感

 婚約者としての日常は、驚くほど整っていた。

 予定は共有され、
 社交の場では常に並び、
 立ち位置も発言の順番も、自然に決まる。

 外から見れば、非の打ちどころがない。

 アバンダンティア・コーニュコピアは、その「整いすぎた日常」の中で、ほんの小さな違和感を覚え始めていた。

 きっかけは、特別な出来事ではない。

 むしろ――
 何も起きなさすぎることだった。

 ある晩餐会でのこと。

 マーキュリーは、彼女より半歩前に立ち、自然な流れで会話を回していた。
 給仕の動線を読み、話題が停滞する前に次の人物へと導く。

 見事な手腕だ。

 彼は、観察者として優秀だ。
 それは、最初から分かっていた。

 だが――

(……少し、変わりましたわね)

 アバンダンティアは、グラスを傾けながら静かに考える。

 彼の視線が、以前とは違う。

 かつては、
 場全体を俯瞰する目だった。

 今は、
 自分と並んだ状態の場を見ている。

 それ自体は、婚約者として当然だ。
 問題はない。

 だが、そこには微妙な差があった。

 会話の途中、
 マーキュリーが一瞬だけ彼女を見る。

 問いかけるほどではない。
 だが、確認するような目。

「……問題ありませんか」

 言葉にすれば、そういう視線。

 アバンダンティアは、いつも通り頷く。

「ええ。適切ですわ」

 否定する理由はない。
 判断としても正しい。

 だが、そのやり取りを重ねるたびに、
 彼女の中で小さな違和感が積もっていく。

(確認が、増えていますわ)

 以前の彼は、
 判断を共有はしても、
 承認を求めることはなかった。

 それは、信頼だった。
 同じ視点に立つ者同士の、暗黙の了解。

 今は違う。

 彼は、
 「婚約者としての正しさ」を、
 意識し始めている。

 別の日の集まり。

 周囲の貴族が、笑いながら言った。

「お二人は、本当に完成されていますな」

 完成。

 その言葉に、
 マーキュリーは自然に頷いた。

「ええ。ありがたい評価です」

 その返答に、
 周囲は満足そうに笑う。

 だが、アバンダンティアの内側で、
 小さく音がした。

(完成、ですか)

 完成とは、
 これ以上、動かないという意味だ。

 彼女は、完成品になるために生きてきたわけではない。

 夜、ひとりの書斎。

 アバンダンティアは、今日一日の光景を反芻する。

 マーキュリーは、誠実だ。
 有能だ。
 婚約者として、申し分ない。

 だが、最近の彼は、
 「どう見られるか」を、
 以前よりも強く気にしている。

 評価。
 立場。
 成功例。

 それらを守ろうとする姿勢は、理解できる。

 だが――

(評価を守ることと、
 わたくしを尊重することは、
 必ずしも同じではありませんわね)

 翌日、次の舞踏会についての打ち合わせ。

「今回は、私が主導した方が良いでしょう」

 マーキュリーが言う。

「最近の評価を考えると、
 この形が最も安定します」

 理屈は通っている。
 反論の余地はない。

「異論はありませんわ」

 アバンダンティアは、そう答えた。

 だが、ほんの一拍置いて、付け加える。

「ただし、
 わたくしの立ち位置については、
 わたくし自身が決めます」

 マーキュリーは、一瞬だけ言葉を失った。

 ほんの一瞬。
 だが、確かに。

「……もちろんです」

 そう答えたが、
 その声には、わずかな戸惑いが混じっていた。

 アバンダンティアは、確信する。

(これが、最初のズレですわ)

 衝突ではない。
 対立でもない。

 だが、
 主導権の境界が、
 ほんのわずか、曖昧になり始めている。

 観察者同士だった頃には、
 存在しなかった違和感。

 当事者になったからこそ、
 生まれた感覚。

 それは、
 今すぐ問題になるものではない。

 だが、
 積み重なれば、
 必ず形になる。

 アバンダンティアは、静かに結論づける。

(問題ではありませんわ)

(……まだ)

 けれど同時に、
 こうも思う。

(これは、
 見過ごしてはいけない違和感です)

 理想的な婚約の内側で、
 誰にも気づかれないまま、
 最初の歪みは、確かに生まれていた。
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