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第二十六話 評価という名の軸
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第二十六話 評価という名の軸
違和感は、音もなく姿を変える。
昨日まで「気配」だったものが、
今日は「傾き」になる。
アバンダンティア・コーニュコピアは、それを静かに観測していた。
婚約が公になって以降、
マーキュリー・ヘルメスの周囲は、明らかに変わった。
声が増えた。
期待が増えた。
視線が、彼一人に集中し始めた。
伯爵家当主として、
優秀な婚約者を得た男。
その評価は、彼にとって不利ではない。
むしろ、好都合だ。
だが、評価というものは――
得た瞬間から、守る対象になる。
ある昼の茶会。
マーキュリーは、数人の貴族と談笑していた。
話題は自然と、将来の展望へと移る。
「いやあ、あなたほど盤石な婚約は珍しい」
「まさに理想形ですな。無駄がない」
無駄がない。
その言葉に、マーキュリーは笑って応じた。
「ありがとうございます。
最善を選んだ結果ですから」
その言い回しに、
アバンダンティアは、内心で小さく頷いた。
(ええ。
最善を“選んだ”のですわね)
かつての彼は、
「最善を見出す」側だった。
今の彼は、
「選んだ最善を維持する」側に立っている。
些細な違い。
だが、立つ位置が変われば、
視界も変わる。
帰り道。
「今日は、評価を固めるには良い場でした」
マーキュリーは、満足そうに言った。
「周囲の認識が揃えば、
余計な波風も立ちません」
「そうですわね」
アバンダンティアは、穏やかに同意する。
だが、次の言葉を選ぶ。
「……その評価は、
どなたのためのものでしょう?」
マーキュリーは、少し考えてから答えた。
「我々のため、でしょう」
即答ではなかった。
「“我々”とは?」
問いは柔らかい。
責める響きはない。
マーキュリーは、わずかに眉を寄せる。
「伯爵家と、君と、
そして――私自身です」
その順番を、
アバンダンティアは、聞き逃さなかった。
(無意識ですわね)
彼は、悪意なく、
評価の中心に自分を置き始めている。
別の日。
舞踏会の配置についての相談。
「今回は、私が前に立ちます」
マーキュリーは、当然のように言った。
「最近は、
私が話を回した方が安定する」
“安定”。
その言葉が、
最近、彼の口癖になっている。
「安定は、大切ですわ」
アバンダンティアは否定しない。
「ですが、
安定を理由に、
すべてを固定する必要はありません」
マーキュリーは、少し戸惑った。
「……固定?」
「役割ですわ」
彼女は、淡々と続ける。
「役割は、状況によって変わるもの。
最初から決めてしまえば、
柔軟性は失われます」
「しかし――」
マーキュリーは言いかけて、止まる。
彼女の言うことは正しい。
理屈では、理解できる。
だが、彼の中には、
別の感情が芽生え始めていた。
守りたい。
評価を。
立場を。
そして、
“成功している婚約”という像を。
(彼は今、
観察者ではありません)
アバンダンティアは、静かに結論づける。
(評価の中に、
自分の居場所を作ろうとしている)
夜。
ひとりで過ごす時間。
アバンダンティアは、紙にいくつかの言葉を書き留める。
評価。
立場。
主導。
視線。
そして、最後に一行。
――当事者。
彼女は、ペンを置いた。
(当事者になると、
人は、自分が“見られている像”を、
守ろうとしますのね)
それは、弱さではない。
多くの人が、自然にそうなる。
だが、
彼女にとって重要なのは、そこではない。
(その像に、
わたくしが含まれているかどうか)
今のところ、答えは曖昧だ。
マーキュリーは、
婚約者として彼女を尊重している。
だが、
評価の軸は、少しずつ彼自身へと寄っている。
それは、
決定的な問題ではない。
だが――
(ズレは、
修正されなければ、
必ず拡大します)
アバンダンティアは、静かに目を閉じる。
この段階では、まだ「兆候」。
だが、
評価という名の軸が、
彼の足元に据えられた瞬間から。
二人は、
同じ観覧席には、
座っていない。
その事実だけが、
はっきりと、残っていた。
違和感は、音もなく姿を変える。
昨日まで「気配」だったものが、
今日は「傾き」になる。
アバンダンティア・コーニュコピアは、それを静かに観測していた。
婚約が公になって以降、
マーキュリー・ヘルメスの周囲は、明らかに変わった。
声が増えた。
期待が増えた。
視線が、彼一人に集中し始めた。
伯爵家当主として、
優秀な婚約者を得た男。
その評価は、彼にとって不利ではない。
むしろ、好都合だ。
だが、評価というものは――
得た瞬間から、守る対象になる。
ある昼の茶会。
マーキュリーは、数人の貴族と談笑していた。
話題は自然と、将来の展望へと移る。
「いやあ、あなたほど盤石な婚約は珍しい」
「まさに理想形ですな。無駄がない」
無駄がない。
その言葉に、マーキュリーは笑って応じた。
「ありがとうございます。
最善を選んだ結果ですから」
その言い回しに、
アバンダンティアは、内心で小さく頷いた。
(ええ。
最善を“選んだ”のですわね)
かつての彼は、
「最善を見出す」側だった。
今の彼は、
「選んだ最善を維持する」側に立っている。
些細な違い。
だが、立つ位置が変われば、
視界も変わる。
帰り道。
「今日は、評価を固めるには良い場でした」
マーキュリーは、満足そうに言った。
「周囲の認識が揃えば、
余計な波風も立ちません」
「そうですわね」
アバンダンティアは、穏やかに同意する。
だが、次の言葉を選ぶ。
「……その評価は、
どなたのためのものでしょう?」
マーキュリーは、少し考えてから答えた。
「我々のため、でしょう」
即答ではなかった。
「“我々”とは?」
問いは柔らかい。
責める響きはない。
マーキュリーは、わずかに眉を寄せる。
「伯爵家と、君と、
そして――私自身です」
その順番を、
アバンダンティアは、聞き逃さなかった。
(無意識ですわね)
彼は、悪意なく、
評価の中心に自分を置き始めている。
別の日。
舞踏会の配置についての相談。
「今回は、私が前に立ちます」
マーキュリーは、当然のように言った。
「最近は、
私が話を回した方が安定する」
“安定”。
その言葉が、
最近、彼の口癖になっている。
「安定は、大切ですわ」
アバンダンティアは否定しない。
「ですが、
安定を理由に、
すべてを固定する必要はありません」
マーキュリーは、少し戸惑った。
「……固定?」
「役割ですわ」
彼女は、淡々と続ける。
「役割は、状況によって変わるもの。
最初から決めてしまえば、
柔軟性は失われます」
「しかし――」
マーキュリーは言いかけて、止まる。
彼女の言うことは正しい。
理屈では、理解できる。
だが、彼の中には、
別の感情が芽生え始めていた。
守りたい。
評価を。
立場を。
そして、
“成功している婚約”という像を。
(彼は今、
観察者ではありません)
アバンダンティアは、静かに結論づける。
(評価の中に、
自分の居場所を作ろうとしている)
夜。
ひとりで過ごす時間。
アバンダンティアは、紙にいくつかの言葉を書き留める。
評価。
立場。
主導。
視線。
そして、最後に一行。
――当事者。
彼女は、ペンを置いた。
(当事者になると、
人は、自分が“見られている像”を、
守ろうとしますのね)
それは、弱さではない。
多くの人が、自然にそうなる。
だが、
彼女にとって重要なのは、そこではない。
(その像に、
わたくしが含まれているかどうか)
今のところ、答えは曖昧だ。
マーキュリーは、
婚約者として彼女を尊重している。
だが、
評価の軸は、少しずつ彼自身へと寄っている。
それは、
決定的な問題ではない。
だが――
(ズレは、
修正されなければ、
必ず拡大します)
アバンダンティアは、静かに目を閉じる。
この段階では、まだ「兆候」。
だが、
評価という名の軸が、
彼の足元に据えられた瞬間から。
二人は、
同じ観覧席には、
座っていない。
その事実だけが、
はっきりと、残っていた。
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