婚約破棄は、他人事ですので

ふわふわ

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第二十七話 理想像という名の檻

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第二十七話 理想像という名の檻

 違和感は、本人よりも先に、周囲が育てる。

 アバンダンティア・コーニュコピアは、
 それを幾度も見てきた。

 誰かが評価され、
 成功例として語られ始めた瞬間――
 そこに「型」が生まれる。

 理想像。

 それは祝福の顔をして、
 人を縛る。

 婚約発表からしばらく経った頃、
 アバンダンティアとマーキュリーは、
 連日のように招待を受けていた。

 茶会。
 晩餐会。
 小規模な集まり。

 どこへ行っても、
 二人は同じ言葉で迎えられる。

「本当にお似合いですわ」

「理想的なご婚約ですこと」

「無駄のない組み合わせですね」

 無駄がない。
 理想的。

 それらの言葉は、
 褒め言葉であり、同時に前提だった。

 ある晩餐会。

 年配の侯爵夫人が、
 アバンダンティアに微笑みかける。

「あなたのような令嬢が、
 彼を支えているからこそですわ」

「支える、ですか」

 問い返す声は穏やかだった。

「ええ。
 前に出すぎず、
 余計な感情を挟まず、
 彼の判断を尊重する――
 理想的な妻像ですこと」

 アバンダンティアは、
 一瞬だけ考える。

 否定はしない。
 だが、肯定もしない。

「そう見えているのなら、
 それも一つの評価ですわね」

 夫人は満足そうに頷いた。

 評価。

 また、その言葉だ。

(わたくしは、
 いつから“像”になったのでしょう)

 彼女は、静かに思う。

 隣に立つマーキュリーは、
 その会話を止めなかった。

 むしろ、
 自然に受け入れている。

「彼女は、非常に理性的ですから」

 マーキュリーは、
 誇らしげにそう言った。

「私にとって、
 最良のパートナーです」

 最良。

 その言葉が、
 場の空気を和ませる。

 周囲は、
 納得したように笑った。

 だが、
 アバンダンティアの中で、
 何かが静かに噛み合わなくなる。

(“最良”とは、
 どの条件を満たした状態なのでしょう)

 彼女は、
 あらかじめ定められた答えを、
 与えられている気がした。

 別の集まり。

 今度は若い貴族たち。

「マーキュリー卿は、
 やはり主導なさるのですね」

「ええ。
 あの方が前に立つからこそ、
 全体が締まる」

 会話は、
 いつの間にか、
 彼を中心に回っている。

 アバンダンティアは、
 そこに異議を挟まない。

 だが、
 役割が固定されつつあることを、
 正確に把握していた。

 彼が前に立つ人。
 彼女は、それを支える人。

 合理的。
 わかりやすい。
 そして――
 動かしにくい。

 帰りの馬車。

 マーキュリーは、
 どこか満足げだった。

「周囲も、
 だいぶ安心してくれたようです」

「何に対して、でしょう?」

「我々の婚約にです」

 アバンダンティアは、
 視線を窓に向けたまま言う。

「安心とは、
 期待通りという意味ですか?」

 マーキュリーは、
 一瞬、言葉に詰まる。

「……結果として、そうでしょう」

「期待通り、とは」

 問いは重なる。

 責める調子ではない。
 ただ、整理しているだけだ。

「役割が明確で、
 逸脱がなく、
 波風が立たない」

 マーキュリーは、
 自分で言いながら、
 それを「良いこと」だと信じている。

 アバンダンティアは、
 小さく息を吐いた。

「それは、“理想像”ですわね」

「ええ。
 だからこそ、評価されている」

 評価。

 また、その言葉。

(評価されるために、
 生きるつもりはありませんのに)

 彼女は、
 心の中でそう呟く。

 夜。

 一人で考える。

 理想像とは何か。

 それは、
 多数が安心する形。

 誰かが理解しなくて済む形。

 だが――

(理解されない余白こそ、
 個人ではなくて?)

 アバンダンティアは、
 静かに結論づける。

 今、周囲は、
 マーキュリーを「成功した伯爵」として、
 彼女を「理想の婚約者」として、
 配置し始めている。

 それは、
 彼女が望んだ配置ではない。

 だが、
 拒否する理由も、
 まだ、ない。

(問題は、
 彼がこの像を
 “当然”だと思い始めていること)

 像は、
 外から押し付けられるものだ。

 だが、
 本人がそれを受け入れた瞬間、
 檻になる。

 アバンダンティアは、
 自分がどこに立っているのかを、
 はっきりと理解していた。

 観察者ではない。
 だが、
 従属者でもない。

(理想像という檻は、
 内側からしか、
 壊せませんのよ)

 その時が来たら――
 彼女は、躊躇しない。

 ただ今は、
 静かに、
 檻の構造を観ているだけだった。
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