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第二十八話 当事者になると、難しいですわね
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第二十八話 当事者になると、難しいですわね
違和感は、
はっきりとした形を取らない。
だからこそ、
無視されやすい。
アバンダンティア・コーニュコピアは、
それを「兆候」と呼んでいた。
破綻ではない。
衝突でもない。
ただ、歯車の噛み合いが、
ほんのわずかにずれているだけ。
それでも――
積み重なれば、
必ず音になる。
婚約者としての公務は、
順調だった。
少なくとも、
外から見れば。
マーキュリーは有能で、
立ち振る舞いも洗練されている。
アバンダンティアは冷静で、
感情に流されない。
二人が並べば、
安心感が生まれる。
誰もが言った。
「完璧な組み合わせだ」
だが、
その言葉を聞くたびに、
アバンダンティアは、
内側で静かに考える。
(完璧、とは
どこを基準にした評価でしょう)
ある午後。
王都の会合から戻る馬車の中で、
マーキュリーは資料を広げていた。
「次の集まりですが、
あなたは同席なさらなくても構いません」
それは、
配慮の言葉だった。
だが――
アバンダンティアは、
その言い方に引っかかる。
「理由を伺っても?」
「主に、
男性貴族同士の調整になりますから」
「そう」
彼女は頷く。
理屈は理解できる。
だが、
そこに含まれている前提を、
彼女は見逃さない。
(必要な時に呼び、
不要な時には外す)
それは、
合理的な配置。
だが――
それは彼女が、
自分自身に対して行ってきた配置とは、
少し違っていた。
夜。
書斎で帳簿を整理しながら、
アバンダンティアは考える。
観察者だった頃は、
どれほど簡単だったか。
事象を見て、
構造を理解し、
価値に変換する。
感情は介在しない。
判断は、
常に自由だった。
だが今は――
自分が事象の一部だ。
(当事者になると、
本当に、難しいですわね)
独り言は、
自然に零れた。
マーキュリーとの関係に、
不満があるわけではない。
彼は誠実だ。
理性的だ。
合理的だ。
それでも。
彼は、
無意識のうちに、
「自分が判断する側」だと
思い始めている。
それは、
悪意ではない。
役割の固定。
周囲の期待。
評価。
成功体験。
それらが積み重なった結果だ。
翌日。
小さな決断が必要な場面で、
マーキュリーは即座に言った。
「こちらで進めます」
相談ではなく、
報告に近い口調。
アバンダンティアは、
否定しなかった。
「ええ。
合理的ですわ」
そう答えながら、
心の中で、
一つ線を引く。
(今のは、
確認ではなく、
承認を求めていましたわね)
それは、
上下関係の始まりではない。
だが、
対等の関係が、
少しだけ傾いた瞬間だった。
夜会の帰り。
マーキュリーは、
満足そうだった。
「今日は、
とてもスムーズでした」
「そうですわね」
アバンダンティアは、
微笑む。
「無駄がありませんでした」
その言葉に、
彼は頷く。
だが――
彼女は、
あえて続けた。
「無駄がない、というのは
とても安心しますわ」
「ええ」
「けれど」
声は、
柔らかいままだ。
「安心と、
納得は、
必ずしも同じではありませんの」
マーキュリーは、
一瞬だけ戸惑った表情を見せた。
「……何か、
不満が?」
「いいえ」
即答だった。
「不満ではありません」
そして、
少しだけ言葉を選ぶ。
「ただ、
観ているだけですわ」
「観ている?」
「はい」
アバンダンティアは、
穏やかに微笑む。
「当事者になった時に、
何が見えなくなるのかを」
マーキュリーは、
その意味を完全には理解できなかった。
だが、
それでよかった。
今は、
まだ。
アバンダンティアは、
自分の立ち位置を、
正確に把握していた。
観察者ではない。
だが、
流される存在でもない。
(問題があるとすれば、
それはいつも
“当たり前”になった瞬間ですわ)
当たり前。
それは、
最も疑われない前提。
彼女は、
それを壊す準備を、
静かに始めていた。
まだ、
声を上げる必要はない。
まだ、
行動する段階でもない。
ただ――
当事者になったからこそ、
見えるものがある。
そしてそれは、
いずれ必ず、
選択を迫る。
その時が来たら。
アバンダンティアは、
迷わない。
なぜなら――
彼女は、
最初から
「観ていた」のだから。
違和感は、
はっきりとした形を取らない。
だからこそ、
無視されやすい。
アバンダンティア・コーニュコピアは、
それを「兆候」と呼んでいた。
破綻ではない。
衝突でもない。
ただ、歯車の噛み合いが、
ほんのわずかにずれているだけ。
それでも――
積み重なれば、
必ず音になる。
婚約者としての公務は、
順調だった。
少なくとも、
外から見れば。
マーキュリーは有能で、
立ち振る舞いも洗練されている。
アバンダンティアは冷静で、
感情に流されない。
二人が並べば、
安心感が生まれる。
誰もが言った。
「完璧な組み合わせだ」
だが、
その言葉を聞くたびに、
アバンダンティアは、
内側で静かに考える。
(完璧、とは
どこを基準にした評価でしょう)
ある午後。
王都の会合から戻る馬車の中で、
マーキュリーは資料を広げていた。
「次の集まりですが、
あなたは同席なさらなくても構いません」
それは、
配慮の言葉だった。
だが――
アバンダンティアは、
その言い方に引っかかる。
「理由を伺っても?」
「主に、
男性貴族同士の調整になりますから」
「そう」
彼女は頷く。
理屈は理解できる。
だが、
そこに含まれている前提を、
彼女は見逃さない。
(必要な時に呼び、
不要な時には外す)
それは、
合理的な配置。
だが――
それは彼女が、
自分自身に対して行ってきた配置とは、
少し違っていた。
夜。
書斎で帳簿を整理しながら、
アバンダンティアは考える。
観察者だった頃は、
どれほど簡単だったか。
事象を見て、
構造を理解し、
価値に変換する。
感情は介在しない。
判断は、
常に自由だった。
だが今は――
自分が事象の一部だ。
(当事者になると、
本当に、難しいですわね)
独り言は、
自然に零れた。
マーキュリーとの関係に、
不満があるわけではない。
彼は誠実だ。
理性的だ。
合理的だ。
それでも。
彼は、
無意識のうちに、
「自分が判断する側」だと
思い始めている。
それは、
悪意ではない。
役割の固定。
周囲の期待。
評価。
成功体験。
それらが積み重なった結果だ。
翌日。
小さな決断が必要な場面で、
マーキュリーは即座に言った。
「こちらで進めます」
相談ではなく、
報告に近い口調。
アバンダンティアは、
否定しなかった。
「ええ。
合理的ですわ」
そう答えながら、
心の中で、
一つ線を引く。
(今のは、
確認ではなく、
承認を求めていましたわね)
それは、
上下関係の始まりではない。
だが、
対等の関係が、
少しだけ傾いた瞬間だった。
夜会の帰り。
マーキュリーは、
満足そうだった。
「今日は、
とてもスムーズでした」
「そうですわね」
アバンダンティアは、
微笑む。
「無駄がありませんでした」
その言葉に、
彼は頷く。
だが――
彼女は、
あえて続けた。
「無駄がない、というのは
とても安心しますわ」
「ええ」
「けれど」
声は、
柔らかいままだ。
「安心と、
納得は、
必ずしも同じではありませんの」
マーキュリーは、
一瞬だけ戸惑った表情を見せた。
「……何か、
不満が?」
「いいえ」
即答だった。
「不満ではありません」
そして、
少しだけ言葉を選ぶ。
「ただ、
観ているだけですわ」
「観ている?」
「はい」
アバンダンティアは、
穏やかに微笑む。
「当事者になった時に、
何が見えなくなるのかを」
マーキュリーは、
その意味を完全には理解できなかった。
だが、
それでよかった。
今は、
まだ。
アバンダンティアは、
自分の立ち位置を、
正確に把握していた。
観察者ではない。
だが、
流される存在でもない。
(問題があるとすれば、
それはいつも
“当たり前”になった瞬間ですわ)
当たり前。
それは、
最も疑われない前提。
彼女は、
それを壊す準備を、
静かに始めていた。
まだ、
声を上げる必要はない。
まだ、
行動する段階でもない。
ただ――
当事者になったからこそ、
見えるものがある。
そしてそれは、
いずれ必ず、
選択を迫る。
その時が来たら。
アバンダンティアは、
迷わない。
なぜなら――
彼女は、
最初から
「観ていた」のだから。
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