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第三十話 主導権という名の境界線
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第三十話 主導権という名の境界線
前夜の会話は、解決をもたらさなかった。
だが、無駄でもなかった。
むしろ――
あれは「確認」だったのだと、アバンダンティアは理解している。
互いに、どこに立っているのか。
どこまで踏み込むつもりなのか。
そして、どこから先は譲れないのか。
翌朝、王都の執務館で行われた小規模な協議は、その答えをより鮮明にした。
議題は、貴族院が後援する公共事業の再編案だった。
規模は大きくないが、失敗すれば責任の所在が曖昧になり、成功すれば功績だけが拡大解釈される。
典型的な「扱いの難しい案件」である。
マーキュリーは、当然のように中心にいた。
進行、説明、結論の提示。
すべてが滞りなく、合理的だった。
アバンダンティアは、席の少し後ろから全体を見渡していた。
配置、視線、発言の順番。
誰が意見を言い、誰が沈黙しているか。
(やはり……この構造ですわね)
彼女は、資料の一節に目を落とす。
数字は整っている。
だが、責任の分配だけが、意図的にぼかされていた。
会合が終わり、参加者たちが散り始めた頃。
アバンダンティアは、マーキュリーに声をかけた。
「少し、お時間をいただけますか」
彼は一瞬だけ迷い、それから頷いた。
人のいない廊下。
窓から差し込む光が、石床に細長い影を落としている。
「先ほどの案件ですが」
アバンダンティアは、感情を交えずに言った。
「失敗した場合の責任が、一点に集中します」
「問題ない」
マーキュリーは即答した。
「その点は、すでに調整済みだ」
「どのように?」
「そこまで気にしなくていい」
その言葉に、アバンダンティアは表情を変えなかった。
だが、内心では静かに線を引く。
(今のは、説明ではありませんわね)
「わたくしが気にする必要がない、という判断は」
彼女は穏やかに続けた。
「どなたがなさったのですか」
マーキュリーは、少しだけ口を閉ざした後、答える。
「俺だ」
悪意はない。
自信も、責任感もある。
だからこそ、はっきりしていた。
「理由を伺っても?」
「最終的に責任を取るのは俺だからだ」
その言葉を聞いた瞬間、アバンダンティアは確信する。
(責任を取る者が、決める者である)
彼の中では、その構図がすでに完成している。
「では」
彼女は、一歩だけ距離を取った。
「その責任の中に、わたくしは含まれていますか」
マーキュリーは言葉に詰まった。
「婚約者としては……含まれる」
「では、判断の段階で、なぜ外されましたの?」
沈黙が落ちる。
彼は、答えを探している。
「効率の問題だ」
ようやく出てきた言葉だった。
「効率」
アバンダンティアは、小さく頷く。
「確かに、効率は重要ですわ」
一拍置いてから、続ける。
「ですが、効率を理由に判断権を集中させると、それはもう――主導権の独占になります」
「そこまで大げさな話ではない」
「大げさかどうかを決めるのも、主導権を持つ側です」
その返答は、静かだが鋭かった。
マーキュリーは、思わず声を強める。
「俺は、君を軽んじているわけじゃない!」
「ええ。それは理解しています」
即座に肯定したからこそ、彼は戸惑った。
「だからこそ、問題なのですわ」
アバンダンティアは、視線を逸らさずに言う。
「尊重されているかどうかと、選択に参加しているかどうかは、別の話です」
マーキュリーは、何も言えなくなった。
自分がいつの間にか「決める側」に立ち、彼女を「理解する側」に置いていたことに、ようやく気づいたのだ。
「君は……俺と張り合いたいのか?」
その問いに、アバンダンティアは首を横に振る。
「張り合う必要がある時点で、対等ではありませんもの」
静かな断定だった。
「わたくしが求めているのは、勝つことではありません」
「では、何だ」
「選択に参加する権利です」
その言葉は、簡潔で、重かった。
マーキュリーは、視線を床に落とす。
「……少し、考えさせてくれ」
「ええ」
アバンダンティアは頷いた。
拒絶でも譲歩でもない、ただの事実として。
だが彼女は知っている。
これは時間が解決する問題ではない。
主導権という名の境界線は、すでに引かれた。
見なかったことには、もうできない。
(次に来るのは、調整ではありませんわね)
選択だ。
誰が決め、誰が従うのか。
あるいは――
その構造自体を、終わらせるのか。
アバンダンティアは、静かに歩き出した。
自分がどこに立っているのかを、誰よりも正確に理解したまま。
前夜の会話は、解決をもたらさなかった。
だが、無駄でもなかった。
むしろ――
あれは「確認」だったのだと、アバンダンティアは理解している。
互いに、どこに立っているのか。
どこまで踏み込むつもりなのか。
そして、どこから先は譲れないのか。
翌朝、王都の執務館で行われた小規模な協議は、その答えをより鮮明にした。
議題は、貴族院が後援する公共事業の再編案だった。
規模は大きくないが、失敗すれば責任の所在が曖昧になり、成功すれば功績だけが拡大解釈される。
典型的な「扱いの難しい案件」である。
マーキュリーは、当然のように中心にいた。
進行、説明、結論の提示。
すべてが滞りなく、合理的だった。
アバンダンティアは、席の少し後ろから全体を見渡していた。
配置、視線、発言の順番。
誰が意見を言い、誰が沈黙しているか。
(やはり……この構造ですわね)
彼女は、資料の一節に目を落とす。
数字は整っている。
だが、責任の分配だけが、意図的にぼかされていた。
会合が終わり、参加者たちが散り始めた頃。
アバンダンティアは、マーキュリーに声をかけた。
「少し、お時間をいただけますか」
彼は一瞬だけ迷い、それから頷いた。
人のいない廊下。
窓から差し込む光が、石床に細長い影を落としている。
「先ほどの案件ですが」
アバンダンティアは、感情を交えずに言った。
「失敗した場合の責任が、一点に集中します」
「問題ない」
マーキュリーは即答した。
「その点は、すでに調整済みだ」
「どのように?」
「そこまで気にしなくていい」
その言葉に、アバンダンティアは表情を変えなかった。
だが、内心では静かに線を引く。
(今のは、説明ではありませんわね)
「わたくしが気にする必要がない、という判断は」
彼女は穏やかに続けた。
「どなたがなさったのですか」
マーキュリーは、少しだけ口を閉ざした後、答える。
「俺だ」
悪意はない。
自信も、責任感もある。
だからこそ、はっきりしていた。
「理由を伺っても?」
「最終的に責任を取るのは俺だからだ」
その言葉を聞いた瞬間、アバンダンティアは確信する。
(責任を取る者が、決める者である)
彼の中では、その構図がすでに完成している。
「では」
彼女は、一歩だけ距離を取った。
「その責任の中に、わたくしは含まれていますか」
マーキュリーは言葉に詰まった。
「婚約者としては……含まれる」
「では、判断の段階で、なぜ外されましたの?」
沈黙が落ちる。
彼は、答えを探している。
「効率の問題だ」
ようやく出てきた言葉だった。
「効率」
アバンダンティアは、小さく頷く。
「確かに、効率は重要ですわ」
一拍置いてから、続ける。
「ですが、効率を理由に判断権を集中させると、それはもう――主導権の独占になります」
「そこまで大げさな話ではない」
「大げさかどうかを決めるのも、主導権を持つ側です」
その返答は、静かだが鋭かった。
マーキュリーは、思わず声を強める。
「俺は、君を軽んじているわけじゃない!」
「ええ。それは理解しています」
即座に肯定したからこそ、彼は戸惑った。
「だからこそ、問題なのですわ」
アバンダンティアは、視線を逸らさずに言う。
「尊重されているかどうかと、選択に参加しているかどうかは、別の話です」
マーキュリーは、何も言えなくなった。
自分がいつの間にか「決める側」に立ち、彼女を「理解する側」に置いていたことに、ようやく気づいたのだ。
「君は……俺と張り合いたいのか?」
その問いに、アバンダンティアは首を横に振る。
「張り合う必要がある時点で、対等ではありませんもの」
静かな断定だった。
「わたくしが求めているのは、勝つことではありません」
「では、何だ」
「選択に参加する権利です」
その言葉は、簡潔で、重かった。
マーキュリーは、視線を床に落とす。
「……少し、考えさせてくれ」
「ええ」
アバンダンティアは頷いた。
拒絶でも譲歩でもない、ただの事実として。
だが彼女は知っている。
これは時間が解決する問題ではない。
主導権という名の境界線は、すでに引かれた。
見なかったことには、もうできない。
(次に来るのは、調整ではありませんわね)
選択だ。
誰が決め、誰が従うのか。
あるいは――
その構造自体を、終わらせるのか。
アバンダンティアは、静かに歩き出した。
自分がどこに立っているのかを、誰よりも正確に理解したまま。
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