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第三十一話 とても大事な話がある
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第三十一話 とても大事な話がある
その前触れは、突然ではなかった。
むしろ――
来るべきものが、ようやく形を取っただけだと、アバンダンティアは感じていた。
数日間、マーキュリーは明らかに言葉数が減っていた。
連絡は必要最低限。
表情は変わらず穏やかだが、視線の奥に、迷いが滞留している。
考えている。
整理しようとしている。
そして――
結論を出そうとしている。
その呼び出しは、夕刻だった。
「少し、時間をもらえないだろうか」
使われたのは、婚約者としての権利でも、命令でもない。
あくまで、個人的な申し出。
「ええ」
アバンダンティアは即座に頷いた。
場所は、王都の別邸の小さな応接室だった。
公の場でもなく、かといって完全な私室でもない。
話し合いには適した、曖昧な距離感の空間。
扉が閉じられ、侍従が下がる。
一瞬の沈黙。
マーキュリーは、深く息を吸い、吐いた。
「とても大事な話がある」
その言葉を聞いた瞬間、
アバンダンティアは心の中で、静かに頷いた。
(ええ。
ようやく、ですわね)
だが、その反応を表に出すことはしない。
「伺いますわ」
促す声は穏やかで、覚悟を試すような響きもない。
マーキュリーは、彼女の正面に座ったまま、しばらく視線を彷徨わせた後、言葉を選ぶように口を開いた。
「君と話してから、ずっと考えていた」
第三十話の出来事を、彼が指しているのは明白だった。
「俺は、間違っているのか」
問いは、直接的だった。
アバンダンティアは、首を横に振る。
「間違い、という言い方は適切ではありません」
「だが、君は……納得していない」
「ええ」
否定しなかった。
「納得と理解は、別ですもの」
マーキュリーは、苦く笑った。
「その言い回しは、本当に君らしいな」
「ありがとうございます」
皮肉ではないと理解した上で、彼女は受け取る。
再び、沈黙。
マーキュリーは、ようやく核心に踏み込んだ。
「俺は……婚約者として、君を守ろうとしていた」
「存じています」
「だが、それは同時に……君を、判断の外に置いていたのかもしれない」
その言葉は、彼なりの誠実な自己分析だった。
アバンダンティアは、口を挟まない。
評価も、修正もしない。
今は、彼が自分で辿り着く段階だ。
「俺は、責任を引き受ける立場になることに慣れすぎた」
マーキュリーは続ける。
「気づけば、決めることが正しいと信じるようになっていた」
それは、告白だった。
彼女は静かに言う。
「それ自体は、立派なことですわ」
「だが」
彼は言葉を継いだ。
「君と並ぶなら、それでは足りない」
アバンダンティアの目が、わずかに細まる。
興味ではない。
警戒でもない。
確認だ。
「……どういう意味でしょう」
「君は、従う人間ではない」
マーキュリーは、はっきり言った。
「そして俺は……無意識のうちに、君が従う前提で動いていた」
沈黙が、二人の間に落ちる。
アバンダンティアは、その言葉を丁寧に受け取る。
(やっと、
同じ地点に立ちましたわね)
「だから」
マーキュリーは、視線を上げた。
「俺は、選ばなければならない」
彼の声は、揺れてはいなかった。
「この関係を、どうするのか」
アバンダンティアは、静かに頷いた。
「ええ」
「君と並ぶために、自分を変えるのか」
彼は、一度言葉を切る。
「それとも……君を、手放すのか」
その瞬間、
空気が変わった。
感情の爆発はない。
だが、後戻りできない地点に、二人は立った。
アバンダンティアは、即答しなかった。
それは、引き延ばしではない。
彼女にとって、
これは彼の選択だからだ。
「わたくしから、答えを急がせることはしませんわ」
穏やかな声で、そう告げる。
「それは、あなたが決めるべきことですもの」
「……冷たいな」
マーキュリーは、そう呟いたが、そこに責める響きはなかった。
「いいえ」
アバンダンティアは、静かに首を横に振る。
「これは、誠実です」
彼女は続ける。
「わたくしが先に答えを出してしまえば、あなたの選択は、ただの追認になります」
マーキュリーは、息を詰める。
それが、彼女の一貫した立ち位置だと、今なら理解できた。
「ただし」
アバンダンティアは、柔らかく言葉を添えた。
「一つだけ、申し上げておきますわ」
「何だ?」
「どちらを選ばれても、わたくしは恨みません」
その言葉は、慰めではない。
条件提示でもない。
事実だった。
「なぜなら」
彼女は、穏やかに微笑む。
「これは、
誰かが悪いから起きている話ではありませんもの」
マーキュリーは、しばらく黙っていた。
やがて、低く言う。
「……時間をくれ」
「ええ」
アバンダンティアは、迷いなく頷いた。
「必要なだけ」
その返答に、
期待も、引き止めも、含まれていない。
だからこそ――
マーキュリーは、この選択から逃げられない。
扉が閉じた後、
アバンダンティアは一人、静かに息を吐いた。
(ここまでですわね)
これは、破綻ではない。
裏切りでもない。
ただ――
選択の段階に入っただけ。
そして彼女は、はっきりと理解していた。
(次に動くのは、
わたくしではありません)
選ぶのは、彼だ。
だが、その結果を
どう価値に変えるかは――
彼女の領分だった。
歯車は、
確実に次の音を立て始めている。
それは、
婚約破棄へ向かう音か。
それとも――
全く別の構造へ移行する音か。
アバンダンティアは、
静かに待つことを選んだ。
観察者としてではなく、
当事者として。
それができる自分であることを、
誰よりも正確に理解したまま。
その前触れは、突然ではなかった。
むしろ――
来るべきものが、ようやく形を取っただけだと、アバンダンティアは感じていた。
数日間、マーキュリーは明らかに言葉数が減っていた。
連絡は必要最低限。
表情は変わらず穏やかだが、視線の奥に、迷いが滞留している。
考えている。
整理しようとしている。
そして――
結論を出そうとしている。
その呼び出しは、夕刻だった。
「少し、時間をもらえないだろうか」
使われたのは、婚約者としての権利でも、命令でもない。
あくまで、個人的な申し出。
「ええ」
アバンダンティアは即座に頷いた。
場所は、王都の別邸の小さな応接室だった。
公の場でもなく、かといって完全な私室でもない。
話し合いには適した、曖昧な距離感の空間。
扉が閉じられ、侍従が下がる。
一瞬の沈黙。
マーキュリーは、深く息を吸い、吐いた。
「とても大事な話がある」
その言葉を聞いた瞬間、
アバンダンティアは心の中で、静かに頷いた。
(ええ。
ようやく、ですわね)
だが、その反応を表に出すことはしない。
「伺いますわ」
促す声は穏やかで、覚悟を試すような響きもない。
マーキュリーは、彼女の正面に座ったまま、しばらく視線を彷徨わせた後、言葉を選ぶように口を開いた。
「君と話してから、ずっと考えていた」
第三十話の出来事を、彼が指しているのは明白だった。
「俺は、間違っているのか」
問いは、直接的だった。
アバンダンティアは、首を横に振る。
「間違い、という言い方は適切ではありません」
「だが、君は……納得していない」
「ええ」
否定しなかった。
「納得と理解は、別ですもの」
マーキュリーは、苦く笑った。
「その言い回しは、本当に君らしいな」
「ありがとうございます」
皮肉ではないと理解した上で、彼女は受け取る。
再び、沈黙。
マーキュリーは、ようやく核心に踏み込んだ。
「俺は……婚約者として、君を守ろうとしていた」
「存じています」
「だが、それは同時に……君を、判断の外に置いていたのかもしれない」
その言葉は、彼なりの誠実な自己分析だった。
アバンダンティアは、口を挟まない。
評価も、修正もしない。
今は、彼が自分で辿り着く段階だ。
「俺は、責任を引き受ける立場になることに慣れすぎた」
マーキュリーは続ける。
「気づけば、決めることが正しいと信じるようになっていた」
それは、告白だった。
彼女は静かに言う。
「それ自体は、立派なことですわ」
「だが」
彼は言葉を継いだ。
「君と並ぶなら、それでは足りない」
アバンダンティアの目が、わずかに細まる。
興味ではない。
警戒でもない。
確認だ。
「……どういう意味でしょう」
「君は、従う人間ではない」
マーキュリーは、はっきり言った。
「そして俺は……無意識のうちに、君が従う前提で動いていた」
沈黙が、二人の間に落ちる。
アバンダンティアは、その言葉を丁寧に受け取る。
(やっと、
同じ地点に立ちましたわね)
「だから」
マーキュリーは、視線を上げた。
「俺は、選ばなければならない」
彼の声は、揺れてはいなかった。
「この関係を、どうするのか」
アバンダンティアは、静かに頷いた。
「ええ」
「君と並ぶために、自分を変えるのか」
彼は、一度言葉を切る。
「それとも……君を、手放すのか」
その瞬間、
空気が変わった。
感情の爆発はない。
だが、後戻りできない地点に、二人は立った。
アバンダンティアは、即答しなかった。
それは、引き延ばしではない。
彼女にとって、
これは彼の選択だからだ。
「わたくしから、答えを急がせることはしませんわ」
穏やかな声で、そう告げる。
「それは、あなたが決めるべきことですもの」
「……冷たいな」
マーキュリーは、そう呟いたが、そこに責める響きはなかった。
「いいえ」
アバンダンティアは、静かに首を横に振る。
「これは、誠実です」
彼女は続ける。
「わたくしが先に答えを出してしまえば、あなたの選択は、ただの追認になります」
マーキュリーは、息を詰める。
それが、彼女の一貫した立ち位置だと、今なら理解できた。
「ただし」
アバンダンティアは、柔らかく言葉を添えた。
「一つだけ、申し上げておきますわ」
「何だ?」
「どちらを選ばれても、わたくしは恨みません」
その言葉は、慰めではない。
条件提示でもない。
事実だった。
「なぜなら」
彼女は、穏やかに微笑む。
「これは、
誰かが悪いから起きている話ではありませんもの」
マーキュリーは、しばらく黙っていた。
やがて、低く言う。
「……時間をくれ」
「ええ」
アバンダンティアは、迷いなく頷いた。
「必要なだけ」
その返答に、
期待も、引き止めも、含まれていない。
だからこそ――
マーキュリーは、この選択から逃げられない。
扉が閉じた後、
アバンダンティアは一人、静かに息を吐いた。
(ここまでですわね)
これは、破綻ではない。
裏切りでもない。
ただ――
選択の段階に入っただけ。
そして彼女は、はっきりと理解していた。
(次に動くのは、
わたくしではありません)
選ぶのは、彼だ。
だが、その結果を
どう価値に変えるかは――
彼女の領分だった。
歯車は、
確実に次の音を立て始めている。
それは、
婚約破棄へ向かう音か。
それとも――
全く別の構造へ移行する音か。
アバンダンティアは、
静かに待つことを選んだ。
観察者としてではなく、
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それができる自分であることを、
誰よりも正確に理解したまま。
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