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第五話 王国中の声
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第五話 王国中の声
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女王ルイスの言葉が落ちたあと、広間はしばらく沈黙に支配されていた。
だがそれは、終わりを意味する静けさではない。
嵐の前、空気が張りつめるあの感覚だった。
最初に動いたのは、玉座に最も近い位置に立っていた壮年の公爵だった。
普段は冷静沈着で知られる人物が、今は拳を強く握りしめている。
「……陛下」
低く、掠れた声だった。
「発言の機会を、お許しいただきたい」
女王は一瞬だけ公爵を見つめ、静かに頷いた。
「申せ」
公爵は一歩前へ出る。
視線はアンフェアリに向けられていたが、そこに王太子を見る敬意は、もはや存在しなかった。
「貴様のせいで……」
言葉を選ぼうとして、しかし耐えきれなかったように、声が荒くなる。
「貴様のせいで、妻が笑みを失った」
広間が、ざわりと揺れる。
「毎朝、鏡の前に立っては、自分の顔を見て溜息をつく。
『もう私は終わりなのか』と、誰にともなく呟くようになった」
公爵は、唇を噛みしめた。
「それまで、あのサロンに通うたび、
『今日は調子がいい』
『外に出るのが楽しみ』
そう言っていた妻がだ」
アンフェアリは、わずかに眉をひそめる。
「それは、個人の感情の問題だろう」
その一言が、火に油を注いだ。
次に声を上げたのは、若い伯爵だった。
年若いが、すでに一家の主として責任を背負っている男だ。
「感情の問題?」
怒鳴り声だった。
「なら、私の妻が紫外線を恐れて、
部屋から出なくなったのも、感情の問題か!」
一歩、前へ。
「『老いることは恥なのだ』
『外に出れば、みっともないと言われる』
そう思い込むようになったのは、誰の言葉のせいだ!」
アンフェアリは、言い返そうとして言葉を失った。
さらに、別の男が前へ出る。
「妹が、社交界を恐れるようになった」
「娘が、鏡を割った」
「妻が、人と会うことをやめた」
次々と、声が重なる。
それは怒りであり、悲鳴であり、
何よりも——現実だった。
「我々は、若さを買っていたのではない」
重く、低い声が広間に響く。
発したのは、長年王国を支えてきた老侯爵だった。
「共に生きる人間が、
自分を恥じずにいられる時間を、
守ってもらっていたのだ」
老侯爵は、エルメスの方を一度だけ見た。
その視線には、深い感謝が滲んでいた。
「それを、貴様は
“詐欺”と切り捨てた」
「何も知らずに」
「何も見ようともせずに」
誰も、アンフェアリを王太子とは呼ばない。
そこに立っているのは、
王国中の家庭から恨みを買った、
一人の男だった。
アンフェアリは、初めて明確な動揺を見せた。
「……私は、王国のためを思って——」
「違う!」
声が重なった。
「自分の理解できないものを、
切り捨てただけだ!」
「女の努力を、軽んじただけだ!」
「人の心を、見なかっただけだ!」
言葉が、刃のように突き刺さる。
アンフェアリは、助けを求めるように女王を見る。
だが、ルイス・クイーンは、何も言わなかった。
ただ、冷ややかに見下ろしている。
そして、静かに口を開いた。
「……これ以上、言葉は要るまい」
その一言で、広間は再び静まり返る。
女王は、深く息を吸い、宣告する準備を整えた。
それを悟り、アンフェアリの顔から血の気が引く。
エルメスは、その光景を、少し離れた場所から見つめていた。
——私がいなくても。
——もう、この人は、立ち上がれない。
そう確信できるほど、
王国中の声は、はっきりと一つにまとまっていた。
女王が、口を開く。
次に告げられる言葉が、
この国の未来と、
一人の男の終わりを決定づけることを、
誰もが理解していた。
沈黙の中、
歴史が動こうとしていた。
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女王ルイスの言葉が落ちたあと、広間はしばらく沈黙に支配されていた。
だがそれは、終わりを意味する静けさではない。
嵐の前、空気が張りつめるあの感覚だった。
最初に動いたのは、玉座に最も近い位置に立っていた壮年の公爵だった。
普段は冷静沈着で知られる人物が、今は拳を強く握りしめている。
「……陛下」
低く、掠れた声だった。
「発言の機会を、お許しいただきたい」
女王は一瞬だけ公爵を見つめ、静かに頷いた。
「申せ」
公爵は一歩前へ出る。
視線はアンフェアリに向けられていたが、そこに王太子を見る敬意は、もはや存在しなかった。
「貴様のせいで……」
言葉を選ぼうとして、しかし耐えきれなかったように、声が荒くなる。
「貴様のせいで、妻が笑みを失った」
広間が、ざわりと揺れる。
「毎朝、鏡の前に立っては、自分の顔を見て溜息をつく。
『もう私は終わりなのか』と、誰にともなく呟くようになった」
公爵は、唇を噛みしめた。
「それまで、あのサロンに通うたび、
『今日は調子がいい』
『外に出るのが楽しみ』
そう言っていた妻がだ」
アンフェアリは、わずかに眉をひそめる。
「それは、個人の感情の問題だろう」
その一言が、火に油を注いだ。
次に声を上げたのは、若い伯爵だった。
年若いが、すでに一家の主として責任を背負っている男だ。
「感情の問題?」
怒鳴り声だった。
「なら、私の妻が紫外線を恐れて、
部屋から出なくなったのも、感情の問題か!」
一歩、前へ。
「『老いることは恥なのだ』
『外に出れば、みっともないと言われる』
そう思い込むようになったのは、誰の言葉のせいだ!」
アンフェアリは、言い返そうとして言葉を失った。
さらに、別の男が前へ出る。
「妹が、社交界を恐れるようになった」
「娘が、鏡を割った」
「妻が、人と会うことをやめた」
次々と、声が重なる。
それは怒りであり、悲鳴であり、
何よりも——現実だった。
「我々は、若さを買っていたのではない」
重く、低い声が広間に響く。
発したのは、長年王国を支えてきた老侯爵だった。
「共に生きる人間が、
自分を恥じずにいられる時間を、
守ってもらっていたのだ」
老侯爵は、エルメスの方を一度だけ見た。
その視線には、深い感謝が滲んでいた。
「それを、貴様は
“詐欺”と切り捨てた」
「何も知らずに」
「何も見ようともせずに」
誰も、アンフェアリを王太子とは呼ばない。
そこに立っているのは、
王国中の家庭から恨みを買った、
一人の男だった。
アンフェアリは、初めて明確な動揺を見せた。
「……私は、王国のためを思って——」
「違う!」
声が重なった。
「自分の理解できないものを、
切り捨てただけだ!」
「女の努力を、軽んじただけだ!」
「人の心を、見なかっただけだ!」
言葉が、刃のように突き刺さる。
アンフェアリは、助けを求めるように女王を見る。
だが、ルイス・クイーンは、何も言わなかった。
ただ、冷ややかに見下ろしている。
そして、静かに口を開いた。
「……これ以上、言葉は要るまい」
その一言で、広間は再び静まり返る。
女王は、深く息を吸い、宣告する準備を整えた。
それを悟り、アンフェアリの顔から血の気が引く。
エルメスは、その光景を、少し離れた場所から見つめていた。
——私がいなくても。
——もう、この人は、立ち上がれない。
そう確信できるほど、
王国中の声は、はっきりと一つにまとまっていた。
女王が、口を開く。
次に告げられる言葉が、
この国の未来と、
一人の男の終わりを決定づけることを、
誰もが理解していた。
沈黙の中、
歴史が動こうとしていた。
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