『婚約破棄されたので王太子女となります。殿下より上位です』

ふわふわ

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第三十話 遅れてくる焦り

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第三十話 遅れてくる焦り

 退位が現実味を帯びてからというもの、王宮の時計の針が速くなったように感じられた。

 実際には変わらない。

 だが、決定の間隔が短くなっている。

 継承に向けた事務手続き。
 即位式に備えた予算確認。
 諸侯への通達文案。

 どれも“もしもの準備”という名目。

 しかし誰もが知っている。

 これは準備ではなく、移行だ。

 第一王子レオンは、廊下の向こうで交わされる会話を聞いた。

「王太子女殿下の紋章、正式に発注されたらしい」

「即位式用のものだろう」

 足が止まる。

 即位式。

 まだ退位は正式発表されていない。

 だが準備は進んでいる。

 自室に戻ると、机上に書類が置かれている。

 即位関連経費の予算案。

 署名欄には王太子女の名。

 自分の名はない。

 彼は書類を閉じる。

「まだ決まっていない」

 その言葉を、もう何度口にしただろう。

 午後の会議。

 議題は王都再開発計画。

 王太子女が説明する。

「十年後を見据え、都市機能を再配置いたします」

 十年後。

 その言葉が胸に刺さる。

 十年後の話題に、自分の姿が浮かばない。

 レオンは口を開く。

「計画は拙速だ。退位前に決めるべきではない」

 視線が集まる。

 宰相が静かに答える。

「退位後も継続可能な案でございます」

「ならば、次代の王が決めるべきだ」

 一瞬の沈黙。

 わたくしは穏やかに言う。

「次代の王が決めます」

 それは事実。

 だがその王が誰かは、言わない。

 会議は進む。

 決定は変わらない。

 終了後、レオンは足早に自室へ戻る。

 胸の奥が重い。

 今まで感じなかった感覚。

 焦り。

 今までは“待てば戻る”と思っていた。

 だが準備が進むほど、戻る場所が遠ざかる。

 彼は机に手をつく。

「私は外されていない」

 制度は変わっていない。

 王位継承順位も、書き換えられていない。

 廃嫡もされていない。

 それなのに。

 夕刻、庭園で近衛騎士団長が王太子女に報告する。

「式典警備案、整いました」

「ありがとう」

 その光景を遠くから見る。

 騎士団長は自分にも礼をする。

 形式は守られる。

 だがその忠誠はどこに向いているか、もう明らか。

 夜、レオンは灯りを落とさず座っている。

 羊皮紙を前に、何度も筆を取る。

 退位に関する意見書を書こうとする。

 だが内容が定まらない。

 反対すれば、自分が焦っていると見られる。

 黙れば、流れに飲まれる。

 焦りは声に出せない。

 それが彼を縛る。

 王宮は静かだ。

 準備は着々と進む。

 誰も彼を攻撃しない。

 誰も彼を追い出さない。

 だが、未来の話は彼を含まずに動いている。

 第一王子はまだ王宮にいる。

 まだ王子だ。

 それでも今日、初めて、彼は思った。

 ――間に合わないかもしれない。
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