完璧すぎると言われ婚約破棄された公爵令嬢は、白い結婚のはずの冷徹公爵にいつの間にか溺愛されていました

ふわふわ

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第4話 平民少女リリィ

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第4話 平民少女リリィ

 リリィは、王宮の広間の隅で、ぎゅっと両手を握りしめていた。

 大きすぎる空間。
 眩しすぎる光。
 聞き慣れない言葉が飛び交う、知らない世界。

(……ここに、いていいのかな)

 ほんの数か月前まで、彼女は町で暮らすただの平民だった。
 文字の読み書きも、最低限。
 礼儀作法など、教わったこともない。

 そんな自分が、今は――第一王子の隣に立っている。

「大丈夫だよ、リリィ」

 囁くように声をかけてきたのは、フィリオン王太子だった。

「君は、何も気にしなくていい。
 分からないことは、全部僕が守る」

「……はい」

 小さく頷きながら、リリィは胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。

(守って、くれる……)

 それは、彼女にとって何よりも甘い言葉だった。

 だが――。

 ふと、視線の先に映った人物に、リリィは息を呑む。

 ノエリア・ヴァレンシュタイン。

 王太子の元婚約者。

 凛と背筋を伸ばし、静かに立つその姿は、同じ女性とは思えないほどだった。

 美しい。
 けれど、それ以上に――強い。

(……あの人が、捨てられた人)

 胸が、ちくりと痛む。

 自分が、代わりに選ばれた。
 それは事実だ。

 でも、だからといって、素直に喜べるわけではなかった。

(わたし……あんなふうに、立てない)

 何を言われても、冷静に受け止めることはできない。
 周囲の視線に、堂々と応えることもできない。

 もし、誰かに意地悪なことを言われたら。
 もし、責任を問われたら。

(……きっと、泣いてしまう)

 その瞬間、リリィははっきりと理解してしまった。

 自分は、ノエリアの代わりにはなれない。

 ――けれど。

 王太子は、そんなことを考えていない。

「君は、そのままでいいんだ」

 そう言って、優しく微笑む。

「完璧じゃなくていい。
 君は、君でいてくれればいい」

 リリィは、その言葉に縋るように、再び頷いた。

(……うん)

 それでいい。
 それが、幸せなのだと、思いたかった。

 だが、周囲の視線は、すでに変わり始めていた。

「平民、ですって……」 「王太子殿下も、ずいぶんと……」 「いずれ苦労なさるでしょうね」

 ひそひそと、遠慮のない声が耳に入る。

 リリィは、思わず一歩、後ずさった。

「……殿下」

 不安を隠せない声で呼ぶと、フィリオンは苛立ったように眉をひそめる。

「気にするな。
 彼らは、君を妬んでいるだけだ」

 その言葉は、確かに心強かった。
 だが同時に――

(……本当に、そうなのかな)

 リリィは、周囲を見渡す。

 そこには、妬みだけではない視線があった。
 戸惑い。
 警戒。
 そして――値踏み。

 自分が、この場にふさわしいかどうかを、無言で測る目。

 胸が、ぎゅっと締めつけられる。

(わたし……ここで、生きていけるの?)

 そのとき、不意に視線が合った。

 ノエリアだった。

 彼女は、リリィを見て――
 嘲笑うでもなく、睨むでもなく。

 ただ、静かに、穏やかに、目を伏せて一礼した。

 それだけ。

 けれど、その仕草が、リリィの胸に強く残った。

(……優しい人)

 なぜか、そう思った。

 少なくとも、王太子が言うような
「冷たくて、完璧で、可愛げのない女性」ではない。

(じゃあ、どうして……)

 問いは、答えを得られないまま、胸の奥に沈む。

 その日の夜。

 用意された客室で、リリィは一人、ベッドに座っていた。

 豪華な天蓋。
 柔らかすぎるほどの寝具。

 けれど、全く落ち着かない。

(守ってもらえる場所に来たはずなのに……)

 不安が、消えない。

 そして、ふと気づく。

(わたし……何も、できない)

 王太子の役に立てる知識もない。
 社交界を支える力もない。

 ただ、守られているだけ。

(……それで、本当にいいの?)

 リリィは、胸元を押さえ、静かに目を閉じた。

 一方、その頃。

 ノエリア・ヴァレンシュタインは、公爵家の自室で、紅茶を口にしていた。

 窓の外には、穏やかな庭園。

「……彼女も、悪い人ではありませんわね」

 そう呟き、カップを置く。

 けれど。

「だからこそ――」

 ノエリアは、はっきりと理解していた。

 守られるだけの人と、並び立つ人は違う。

 王太子が選んだのは、前者。
 そして切り捨てたのが、後者。

(いずれ、その選択の意味を知るでしょう)

 ノエリアは、静かに微笑んだ。

 同情は、もうない。
 憐れみも、ない。

 ただ――確信だけがあった。

 この婚約破棄は、
 誰にとっての“失敗”だったのか。

 その答えは、
 これから、はっきりと示されるのだから。

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