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第5話 公爵家からの正式打診
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第5話 公爵家からの正式打診
シュヴァルツクロイツ公爵家からの正式な使者が到着したのは、翌日の午後だった。
ヴァレンシュタイン公爵家の応接室は、いつも以上に整えられている。
花は控えめ、香りは薄く。
必要以上に華美ではない――それが、父の判断だった。
(……向こうに合わせた、ということですわね)
ノエリアは、背筋を正してソファに座る。
白磁のカップに注がれた紅茶は、まだ手を付けていない。
心臓が静かに鼓動を刻むのを、はっきりと感じていた。
――シュヴァルツクロイツ公爵家。
王家と距離を保ち、政治と経済を冷静に支える名門。
当主アレスト・シュヴァルツクロイツは、「冷徹」「合理主義」「感情を見せない男」として知られている。
そして何より。
(白い結婚を望む、ですものね)
ノエリアにとって、それは恐れではなく、むしろ――安堵だった。
やがて、扉が開く。
「シュヴァルツクロイツ公爵家、使者の方々が到着されました」
執事の声とともに、三名の人物が入室する。
中央に立つのは、年配の男性。
無駄のない立ち居振る舞いから、相当な経験を積んだ人物だと分かる。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます。
シュヴァルツクロイツ公爵家より参りました」
丁寧な一礼。
「当主、アレスト様の名代として、本日は正式な縁談の件で伺いました」
父が応じる。
「こちらこそ。
娘のことで、ご足労いただき感謝いたします」
形式的な挨拶が交わされる中、ノエリアは静かに使者を観察していた。
(……噂通りですわね)
無駄な言葉が一切ない。
感情を煽るような表現もない。
すべてが、淡々と、事実だけで進んでいく。
「早速ですが――」
使者は、用意してきた書類を差し出した。
「当主アレスト・シュヴァルツクロイツより、条件を明記した文書でございます」
父がそれを受け取り、目を通す。
そして、ノエリアにも視線を向けた。
「……娘にも、確認させよう」
「もちろんです」
書類が、ノエリアの前へ。
彼女は、ゆっくりと内容を読み進める。
そこに記されていたのは――
・結婚は政略的なものであること
・互いの家に干渉しない
・夫婦としての義務は最低限
・子を成すか否かは、将来的な合意に委ねる
・感情的な関係を強要しない
(……本当に、白い結婚ですわ)
拍子抜けするほど、率直だった。
そして、何より。
(こちらの都合を、尊重してくださっている)
婚約破棄された令嬢。
社交界では、扱いづらい存在のはずだ。
それを承知のうえで、対等な条件を提示している。
(……悪くない、どころか)
ノエリアは、胸の内で静かに評価を下した。
「一点だけ、補足を」
使者が口を開く。
「当主より、ノエリア様へ、個人的な伝言がございます」
ノエリアは、顔を上げた。
「『完璧であることを理由に、誰かを切り捨てるつもりはない』
――以上です」
一瞬、応接室の空気が変わった。
ノエリアは、思わず瞬きをする。
(……それは)
まるで、今日の出来事をすべて見抜いていたかのような言葉。
父が、ゆっくりと口を開く。
「……随分と、率直な方のようだ」
「はい。
当主は、無駄な誤解を嫌います」
使者は淡々と答える。
ノエリアは、自然と口角が上がるのを感じた。
(感情を期待されない。
役割を押し付けられない。
それでいて、尊重される)
これ以上、何を望むというのだろう。
彼女は、静かに息を吸い――
「この縁談を、お受けいたします」
はっきりと、そう告げた。
父が、娘を見る。
「……本当に、よいのだな?」
「はい。
条件に、不満はございません」
使者は、一瞬だけ目を細めた。
「承知いたしました。
当主にも、そのようにお伝えいたします」
書類に署名がなされ、話は滞りなく進んでいく。
――まるで、最初から決まっていたかのように。
使者が退出したあと。
応接室に、静寂が戻る。
「……どう思う?」
父の問いに、ノエリアは素直に答えた。
「安心しました」
「それは、意外だな」
「ええ。
でも――期待されないことが、こんなにも楽だとは思いませんでした」
父は、しばらく娘を見つめ――小さく笑った。
「お前らしいな」
その言葉に、ノエリアは心の奥で頷いた。
完璧であることを、求められない結婚。
誰かの欠点を、覆い隠す役割を担わない人生。
(……これは)
ノエリア・ヴァレンシュタインは、確信していた。
この結婚は、逃げではない。
むしろ――最良の選択だと。
その選択が、
後に“溺愛”という想定外の結果を招くことも知らずに――。
---
シュヴァルツクロイツ公爵家からの正式な使者が到着したのは、翌日の午後だった。
ヴァレンシュタイン公爵家の応接室は、いつも以上に整えられている。
花は控えめ、香りは薄く。
必要以上に華美ではない――それが、父の判断だった。
(……向こうに合わせた、ということですわね)
ノエリアは、背筋を正してソファに座る。
白磁のカップに注がれた紅茶は、まだ手を付けていない。
心臓が静かに鼓動を刻むのを、はっきりと感じていた。
――シュヴァルツクロイツ公爵家。
王家と距離を保ち、政治と経済を冷静に支える名門。
当主アレスト・シュヴァルツクロイツは、「冷徹」「合理主義」「感情を見せない男」として知られている。
そして何より。
(白い結婚を望む、ですものね)
ノエリアにとって、それは恐れではなく、むしろ――安堵だった。
やがて、扉が開く。
「シュヴァルツクロイツ公爵家、使者の方々が到着されました」
執事の声とともに、三名の人物が入室する。
中央に立つのは、年配の男性。
無駄のない立ち居振る舞いから、相当な経験を積んだ人物だと分かる。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます。
シュヴァルツクロイツ公爵家より参りました」
丁寧な一礼。
「当主、アレスト様の名代として、本日は正式な縁談の件で伺いました」
父が応じる。
「こちらこそ。
娘のことで、ご足労いただき感謝いたします」
形式的な挨拶が交わされる中、ノエリアは静かに使者を観察していた。
(……噂通りですわね)
無駄な言葉が一切ない。
感情を煽るような表現もない。
すべてが、淡々と、事実だけで進んでいく。
「早速ですが――」
使者は、用意してきた書類を差し出した。
「当主アレスト・シュヴァルツクロイツより、条件を明記した文書でございます」
父がそれを受け取り、目を通す。
そして、ノエリアにも視線を向けた。
「……娘にも、確認させよう」
「もちろんです」
書類が、ノエリアの前へ。
彼女は、ゆっくりと内容を読み進める。
そこに記されていたのは――
・結婚は政略的なものであること
・互いの家に干渉しない
・夫婦としての義務は最低限
・子を成すか否かは、将来的な合意に委ねる
・感情的な関係を強要しない
(……本当に、白い結婚ですわ)
拍子抜けするほど、率直だった。
そして、何より。
(こちらの都合を、尊重してくださっている)
婚約破棄された令嬢。
社交界では、扱いづらい存在のはずだ。
それを承知のうえで、対等な条件を提示している。
(……悪くない、どころか)
ノエリアは、胸の内で静かに評価を下した。
「一点だけ、補足を」
使者が口を開く。
「当主より、ノエリア様へ、個人的な伝言がございます」
ノエリアは、顔を上げた。
「『完璧であることを理由に、誰かを切り捨てるつもりはない』
――以上です」
一瞬、応接室の空気が変わった。
ノエリアは、思わず瞬きをする。
(……それは)
まるで、今日の出来事をすべて見抜いていたかのような言葉。
父が、ゆっくりと口を開く。
「……随分と、率直な方のようだ」
「はい。
当主は、無駄な誤解を嫌います」
使者は淡々と答える。
ノエリアは、自然と口角が上がるのを感じた。
(感情を期待されない。
役割を押し付けられない。
それでいて、尊重される)
これ以上、何を望むというのだろう。
彼女は、静かに息を吸い――
「この縁談を、お受けいたします」
はっきりと、そう告げた。
父が、娘を見る。
「……本当に、よいのだな?」
「はい。
条件に、不満はございません」
使者は、一瞬だけ目を細めた。
「承知いたしました。
当主にも、そのようにお伝えいたします」
書類に署名がなされ、話は滞りなく進んでいく。
――まるで、最初から決まっていたかのように。
使者が退出したあと。
応接室に、静寂が戻る。
「……どう思う?」
父の問いに、ノエリアは素直に答えた。
「安心しました」
「それは、意外だな」
「ええ。
でも――期待されないことが、こんなにも楽だとは思いませんでした」
父は、しばらく娘を見つめ――小さく笑った。
「お前らしいな」
その言葉に、ノエリアは心の奥で頷いた。
完璧であることを、求められない結婚。
誰かの欠点を、覆い隠す役割を担わない人生。
(……これは)
ノエリア・ヴァレンシュタインは、確信していた。
この結婚は、逃げではない。
むしろ――最良の選択だと。
その選択が、
後に“溺愛”という想定外の結果を招くことも知らずに――。
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