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第6話 白い結婚の提案
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第6話 白い結婚の提案
シュヴァルツクロイツ公爵家を訪れたのは、晴れ渡った朝だった。
黒を基調とした重厚な門。
装飾は最小限でありながら、圧倒的な存在感を放っている。
(……威圧感は、ありますわね)
ノエリアは馬車を降りながら、内心でそう評価した。
だが、不思議と恐れはない。
王宮で感じていたような、息苦しさもなかった。
出迎えた執事に案内され、応接間へ通される。
室内は、簡素で整然としていた。
華美な調度品はなく、すべてが実用性を優先して配置されている。
(……当主の性格が、よく表れていますわ)
そう思った矢先。
扉が静かに開いた。
「待たせたな」
低く、落ち着いた声。
ノエリアは立ち上がり、振り返る。
そこに立っていたのは――
長身で、無駄のない体躯。
黒に近い濃紺の正装。
鋭いが、冷静な眼差し。
アレスト・シュヴァルツクロイツ。
噂通りの人物だった。
「初めまして。
ノエリア・ヴァレンシュタインと申します」
丁寧に一礼すると、アレストは一瞬だけ視線を下げ、同じく簡潔に礼を返した。
「アレスト・シュヴァルツクロイツだ。
本日は来てくれて感謝する」
それだけ。
余計な言葉も、愛想笑いもない。
(……本当に、冷徹公爵ですわ)
だが、ノエリアはその態度を不快には感じなかった。
むしろ――
(変に取り繕われるより、ずっといい)
二人は向かい合って腰を下ろす。
沈黙が落ちるが、居心地は悪くない。
「……本題に入ろう」
先に口を開いたのは、アレストだった。
「すでに条件は文書で伝えている。
だが、誤解が生じぬよう、直接説明したい」
「はい」
「私は、感情に期待しない」
いきなり、核心だった。
「恋愛感情も、愛情も、結婚の前提とは考えていない。
互いの立場を守り、必要な役割を果たす。それだけでいい」
ノエリアは、黙って聞いていた。
王太子の言葉と、あまりにも対照的だ。
「完璧すぎる、などという理由で、相手を否定するつもりもない」
その一言に、ノエリアの胸がわずかに揺れる。
「むしろ、有能であることは歓迎だ。
ただし――」
アレストは、はっきりと言った。
「私のために、無理をする必要はない」
ノエリアは、思わず息を呑んだ。
(……それを、真正面から言われる日が来るなんて)
これまで彼女は、“できるからやる”を繰り返してきた。
誰かに求められる前に、期待を察し、先回りする。
それが、正しいことだと信じて。
だが今。
「結論から言おう」
アレストは、視線を逸らさずに続ける。
「この結婚は、白い結婚だ。
互いに干渉しない。
必要以上に近づかない」
明確な線引き。
逃げ道のない、率直な言葉。
「それでも、問題が生じた場合は、話し合う。
一方的な我慢は不要だ」
ノエリアは、静かに考えた。
この人は、優しい言葉を使わない。
だが、責任の所在を曖昧にしない。
(……王太子殿下とは、正反対ですわね)
ノエリアは、ゆっくりと口を開いた。
「一点だけ、確認してもよろしいでしょうか」
「何だ」
「私は……“公爵夫人”としての役割は果たします。
ですが、誰かの失敗を裏で処理する存在にはなりません」
一瞬の沈黙。
そして。
「当然だ」
即答だった。
「私の失策は、私が責任を取る。
君に押し付けるつもりはない」
その言葉に、ノエリアははっきりと悟った。
(……この方は)
守ってくれるのではない。
依存させるのでもない。
対等であろうとしている。
「もう一つ」
ノエリアは、微笑みを浮かべた。
「この結婚で、私が“期待外れ”だと感じた場合……?」
アレストは、少しだけ考え――答えた。
「そのときは、契約を見直す。
無理に続ける意味はない」
その潔さに、思わず笑みが深くなる。
「……安心しました」
「何がだ?」
「逃げ場が、きちんと用意されていることです」
アレストは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
それは、彼にしては珍しい反応だった。
「……では、確認しよう」
彼は、まっすぐにノエリアを見る。
「この条件で、結婚を受けるか?」
ノエリアは、迷わなかった。
「はい。
喜んで」
そう答えた瞬間。
胸の奥にあった重石が、音を立てて崩れ落ちる。
(完璧である必要もない。
誰かの機嫌を取る必要もない)
それでいて、尊重される。
(……なんて、穏やかな契約でしょう)
アレストは、立ち上がった。
「では、成立だ」
簡潔な言葉。
だが、ノエリアにとっては――
人生で初めて、自由を保証された契約だった。
このとき、彼女はまだ知らなかった。
この“白い結婚”が、
やがて色濃い感情を帯びていくことを。
冷徹公爵が、
最も執着する存在になることを。
それは、まだ――
少し先の話。
シュヴァルツクロイツ公爵家を訪れたのは、晴れ渡った朝だった。
黒を基調とした重厚な門。
装飾は最小限でありながら、圧倒的な存在感を放っている。
(……威圧感は、ありますわね)
ノエリアは馬車を降りながら、内心でそう評価した。
だが、不思議と恐れはない。
王宮で感じていたような、息苦しさもなかった。
出迎えた執事に案内され、応接間へ通される。
室内は、簡素で整然としていた。
華美な調度品はなく、すべてが実用性を優先して配置されている。
(……当主の性格が、よく表れていますわ)
そう思った矢先。
扉が静かに開いた。
「待たせたな」
低く、落ち着いた声。
ノエリアは立ち上がり、振り返る。
そこに立っていたのは――
長身で、無駄のない体躯。
黒に近い濃紺の正装。
鋭いが、冷静な眼差し。
アレスト・シュヴァルツクロイツ。
噂通りの人物だった。
「初めまして。
ノエリア・ヴァレンシュタインと申します」
丁寧に一礼すると、アレストは一瞬だけ視線を下げ、同じく簡潔に礼を返した。
「アレスト・シュヴァルツクロイツだ。
本日は来てくれて感謝する」
それだけ。
余計な言葉も、愛想笑いもない。
(……本当に、冷徹公爵ですわ)
だが、ノエリアはその態度を不快には感じなかった。
むしろ――
(変に取り繕われるより、ずっといい)
二人は向かい合って腰を下ろす。
沈黙が落ちるが、居心地は悪くない。
「……本題に入ろう」
先に口を開いたのは、アレストだった。
「すでに条件は文書で伝えている。
だが、誤解が生じぬよう、直接説明したい」
「はい」
「私は、感情に期待しない」
いきなり、核心だった。
「恋愛感情も、愛情も、結婚の前提とは考えていない。
互いの立場を守り、必要な役割を果たす。それだけでいい」
ノエリアは、黙って聞いていた。
王太子の言葉と、あまりにも対照的だ。
「完璧すぎる、などという理由で、相手を否定するつもりもない」
その一言に、ノエリアの胸がわずかに揺れる。
「むしろ、有能であることは歓迎だ。
ただし――」
アレストは、はっきりと言った。
「私のために、無理をする必要はない」
ノエリアは、思わず息を呑んだ。
(……それを、真正面から言われる日が来るなんて)
これまで彼女は、“できるからやる”を繰り返してきた。
誰かに求められる前に、期待を察し、先回りする。
それが、正しいことだと信じて。
だが今。
「結論から言おう」
アレストは、視線を逸らさずに続ける。
「この結婚は、白い結婚だ。
互いに干渉しない。
必要以上に近づかない」
明確な線引き。
逃げ道のない、率直な言葉。
「それでも、問題が生じた場合は、話し合う。
一方的な我慢は不要だ」
ノエリアは、静かに考えた。
この人は、優しい言葉を使わない。
だが、責任の所在を曖昧にしない。
(……王太子殿下とは、正反対ですわね)
ノエリアは、ゆっくりと口を開いた。
「一点だけ、確認してもよろしいでしょうか」
「何だ」
「私は……“公爵夫人”としての役割は果たします。
ですが、誰かの失敗を裏で処理する存在にはなりません」
一瞬の沈黙。
そして。
「当然だ」
即答だった。
「私の失策は、私が責任を取る。
君に押し付けるつもりはない」
その言葉に、ノエリアははっきりと悟った。
(……この方は)
守ってくれるのではない。
依存させるのでもない。
対等であろうとしている。
「もう一つ」
ノエリアは、微笑みを浮かべた。
「この結婚で、私が“期待外れ”だと感じた場合……?」
アレストは、少しだけ考え――答えた。
「そのときは、契約を見直す。
無理に続ける意味はない」
その潔さに、思わず笑みが深くなる。
「……安心しました」
「何がだ?」
「逃げ場が、きちんと用意されていることです」
アレストは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
それは、彼にしては珍しい反応だった。
「……では、確認しよう」
彼は、まっすぐにノエリアを見る。
「この条件で、結婚を受けるか?」
ノエリアは、迷わなかった。
「はい。
喜んで」
そう答えた瞬間。
胸の奥にあった重石が、音を立てて崩れ落ちる。
(完璧である必要もない。
誰かの機嫌を取る必要もない)
それでいて、尊重される。
(……なんて、穏やかな契約でしょう)
アレストは、立ち上がった。
「では、成立だ」
簡潔な言葉。
だが、ノエリアにとっては――
人生で初めて、自由を保証された契約だった。
このとき、彼女はまだ知らなかった。
この“白い結婚”が、
やがて色濃い感情を帯びていくことを。
冷徹公爵が、
最も執着する存在になることを。
それは、まだ――
少し先の話。
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