完璧すぎると言われ婚約破棄された公爵令嬢は、白い結婚のはずの冷徹公爵にいつの間にか溺愛されていました

ふわふわ

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第8話 王太子の違和感

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第8話 王太子の違和感

 フィリオン・アルヴェーン王太子は、その日一日、落ち着かなかった。

 朝の政務。
 側近からの報告。
 昼の会食。

 どれも、いつも通りのはずなのに――どこか歯車が噛み合わない。

「……次は、何だった?」

 思わず、苛立ちを含んだ声が漏れる。

 側近が一瞬、言葉に詰まった。

「……先ほどご説明した、北部関税の件ですが……」

「……ああ」

 フィリオンは、机に置かれた書類を見下ろす。

 以前なら、この手の案件は、すでに整理された状態で提出されていた。
 要点がまとめられ、選択肢とその利点・欠点が明確に示されている。

 ――ノエリアが、裏で整えていた頃は。

(……いや)

 フィリオンは、思考を振り払うように首を振った。

(彼女がいなくても、問題ない)

 そうでなければ、困るのは自分だ。

「リリィは?」

 話題を変えるように、王太子は尋ねた。

「今朝は、礼儀作法の講習へ」

「そうか」

 彼女は、従順で素直だ。
 分からないことは分からないと言うし、頼れば嬉しそうに微笑む。

 ――守ってやりたくなる存在。

(それで、いい)

 フィリオンは、そう思っているはずだった。

 だが。

 昼過ぎ、別の側近が控えめに告げた。

「殿下……
 ノエリア様の件ですが」

 フィリオンの眉が、わずかに動く。

「……まだ、何か?」

「公爵家との縁談は、正式に成立したとのことです」

「……」

 一瞬、言葉を失う。

(もう?)

 昨日、即決したと聞いたばかりだ。
 それが、もう正式成立。

「随分と……早いな」

 自分でも驚くほど、声が低くなった。

「はい。
 先方も迅速な対応を評価しているとのことです」

 評価。

 その言葉が、胸に引っかかる。

(評価……?)

 かつて、誰よりも評価されていたのは――
 ノエリアだった。

 だが、それは彼女が勝手にやっていたことだ。
 自分が頼んだわけではない。

 そう、思っていた。

「白い結婚、だったな」

「はい」

 側近は、慎重に続ける。

「感情的な関係は持たず、互いに干渉しない条件だと」

 フィリオンは、ふっと鼻で笑った。

「そんな結婚、うまくいくわけがない」

 ……はずだった。

 だが、笑い声は、なぜか空虚に響いた。

(本当に?)

 頭の片隅で、別の考えが芽生える。

(感情を求められない、結婚……)

 それは、ある意味――
 非常に、合理的だ。

 責任を押し付けられない。
 期待に応え続ける必要もない。

 ――ノエリアが、求めていたもの。

(……いや)

 違う。

 彼女は、そんなことを言っていなかった。
 いつも静かに、与え続けていただけだ。

 だからこそ。

(――いなくなって、初めて気づくのか)

 思考が、そこまで至って、フィリオンは舌打ちした。

「馬鹿馬鹿しい」

 独り言のように呟く。

「完璧すぎる女だぞ。
 一緒にいれば、息が詰まるに決まっている」

 だが、その言葉に、確信はなかった。

 夕刻。

 王太子の私室に、リリィが訪れる。

「殿下……お忙しいところ、すみません」

「ああ、構わない」

 彼女は、少し緊張した面持ちで椅子に座った。

「今日の礼儀作法……難しくて……」

 そう言って、困ったように微笑む。

 フィリオンは、自然と優しい声で答えた。

「無理しなくていい。
 君は、そのままでいいんだ」

 リリィは、ほっとしたように息を吐いた。

 だが、その光景を見ながら、フィリオンの胸に浮かんだのは――

(……ノエリアなら)

 ノエリアなら、すでに要点を掴み、
 講師の意図まで理解していただろう。

 そして、それを決して誇らず、当たり前のようにこなす。

 ――完璧すぎる。

「殿下?」

 リリィの声で、我に返る。

「……ああ」

 フィリオンは、曖昧に笑った。

 その夜。

 一人になった王太子は、書斎で資料を広げた。

 だが、内容が頭に入ってこない。

 代わりに浮かぶのは――
 静かに礼をし、振り返りもせず去っていったノエリアの背中。

(……追いかけなかったな)

 呼び止めもしなかった。
 引き止める言葉も、思いつかなかった。

 それが、正しい選択だと信じていた。

 ――今までは。

(……白い結婚、か)

 誰にも縛られず、誰にも期待されない。

 それは、彼女にとって、解放だったのかもしれない。

 フィリオンは、知らず、唇を噛んでいた。

 この違和感が、
 後悔へと変わる日が来ることを――

 彼は、まだ認めようとしていなかった。


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