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第五話 静かな帰還
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第五話 静かな帰還
王都の空は、奇妙なほど澄んでいた。
けれど、空気は澄んでいない。
広場ではまだ「神の怒り」という言葉が飛び交い、教会前には祈る人々の列ができているという。
祈り。
なんと都合のよい言葉でしょう。
私は王宮からの最後の使者を見送り、ゆっくりと公爵邸の階段を上がった。
大理石の床に靴音が静かに響く。
誰も騒がない。
誰も慌てない。
フォルティス家は、いつも通り。
それが一番の異常だと、王太子殿下はまだ気づいていないでしょう。
「お嬢様」
執事アーヴィンが一礼する。
「王宮より正式な勅令は届いておりません」
「当然ですわ」
私は扇を閉じた。
「国王陛下は軽率ではございませんもの」
王太子がいくら声を荒げようと、国王の署名がなければただの感情論。
そして国王は知っている。
この国の財政が、どれほどフォルティス家に依存しているかを。
「港の状況は?」
「荷揚げの遅延が拡大しております。商人たちは不満を王宮へ向け始めています」
「教会は?」
「聖女の奇跡再開を宣言しましたが、具体策はなし」
私は小さく笑った。
「祈るだけでは、荷は届きませんわ」
応接室へ入る。
重厚な机の上に、分厚い帳簿が積まれていた。
王都港の出入り記録。
教会への医薬品納入履歴。
王宮修繕費の支払い明細。
すべて、フォルティス家の印が押されている。
「お嬢様、本当にすべて停止なさるのですか」
アーヴィンの問いは静かだった。
「ええ」
私は迷わない。
「婚約が破棄された以上、王家との共同事業も終了ですわ」
「それにより、王都の混乱は避けられません」
「混乱を選んだのは、あちらです」
私は一枚の契約書を手に取る。
そこには、王太子の署名。
そして、違約金条項。
「感情で切るのは王太子殿下の得意分野」
指先で署名をなぞる。
「わたくしは、契約で切るだけ」
その頃、王宮では。
「どうして港が止まるのだ!」
カイルベルトの怒声が響いていた。
「代替業者はどうした!」
「確保できておりません……」
「無能どもめ!」
机を叩く音。
ミリアが怯えたように肩を震わせる。
「殿下……お姉様に、お願いしてみては……」
「あり得ん!」
怒鳴る。
「俺が頭を下げるだと!? あの女に!?」
聖女ルチアは黙ったまま。
奇跡が止まり、視線が冷たくなっていることを肌で感じている。
司祭グラナードは額に汗を浮かべていた。
教会の寄付は増えたが、支出も増えている。
そして何より――
薬の在庫はない。
「神は試練を与えておられるのです」
司祭が無理に声を張る。
「この困難は、信仰を試すもの……」
だがその言葉は、空虚に響くだけだった。
一方、フォルティス公爵邸。
私は書類に署名をしていく。
「王都西倉庫、契約終了」
「騎士団装備補填、停止」
「孤児院寄付、打ち切り」
ペン先が滑らかに動く。
一つ一つ。
静かに。
「お嬢様」
アーヴィンが低く告げる。
「これで、王都は一週間以内に物資不足へ陥ります」
「予測通りですわね」
「民衆の不満は、王家へ向きます」
「当然ですわ」
私は椅子にもたれかかる。
「わたくしは何もしておりません」
ただ、支援をやめただけ。
助けをやめただけ。
それで崩れるなら――
それは最初から、立っていなかったということ。
窓の外では、夕日がゆっくり沈んでいく。
赤い光が庭を染める。
「お嬢様、王宮から再度の使者が来る可能性がございます」
「ええ」
私は目を細める。
「今度は、もう少し丁寧な言葉で来るでしょう」
誇り高き王太子が。
自らの選択の重さを、少しずつ理解し始める。
奇跡は止まり。
物流は止まり。
支援は消えた。
それでもまだ、彼は思っている。
“自分は正しい”と。
だからこそ。
その崩れ方は美しい。
「予定通りでございます」
アーヴィンが静かに告げる。
「ええ」
私は微笑んだ。
「すべて、予定通りですわ」
王都の歯車は、音を立てて軋み始めている。
そして私は。
ただ静かに、その音を聞いている。
焦る必要はない。
崩壊は、急がなくても進むもの。
王太子殿下。
わたくしは帰ってきただけですわ。
あなたが切った婚約の、その“後処理”を。
丁寧に行っているだけなのですから。
王都の空は、奇妙なほど澄んでいた。
けれど、空気は澄んでいない。
広場ではまだ「神の怒り」という言葉が飛び交い、教会前には祈る人々の列ができているという。
祈り。
なんと都合のよい言葉でしょう。
私は王宮からの最後の使者を見送り、ゆっくりと公爵邸の階段を上がった。
大理石の床に靴音が静かに響く。
誰も騒がない。
誰も慌てない。
フォルティス家は、いつも通り。
それが一番の異常だと、王太子殿下はまだ気づいていないでしょう。
「お嬢様」
執事アーヴィンが一礼する。
「王宮より正式な勅令は届いておりません」
「当然ですわ」
私は扇を閉じた。
「国王陛下は軽率ではございませんもの」
王太子がいくら声を荒げようと、国王の署名がなければただの感情論。
そして国王は知っている。
この国の財政が、どれほどフォルティス家に依存しているかを。
「港の状況は?」
「荷揚げの遅延が拡大しております。商人たちは不満を王宮へ向け始めています」
「教会は?」
「聖女の奇跡再開を宣言しましたが、具体策はなし」
私は小さく笑った。
「祈るだけでは、荷は届きませんわ」
応接室へ入る。
重厚な机の上に、分厚い帳簿が積まれていた。
王都港の出入り記録。
教会への医薬品納入履歴。
王宮修繕費の支払い明細。
すべて、フォルティス家の印が押されている。
「お嬢様、本当にすべて停止なさるのですか」
アーヴィンの問いは静かだった。
「ええ」
私は迷わない。
「婚約が破棄された以上、王家との共同事業も終了ですわ」
「それにより、王都の混乱は避けられません」
「混乱を選んだのは、あちらです」
私は一枚の契約書を手に取る。
そこには、王太子の署名。
そして、違約金条項。
「感情で切るのは王太子殿下の得意分野」
指先で署名をなぞる。
「わたくしは、契約で切るだけ」
その頃、王宮では。
「どうして港が止まるのだ!」
カイルベルトの怒声が響いていた。
「代替業者はどうした!」
「確保できておりません……」
「無能どもめ!」
机を叩く音。
ミリアが怯えたように肩を震わせる。
「殿下……お姉様に、お願いしてみては……」
「あり得ん!」
怒鳴る。
「俺が頭を下げるだと!? あの女に!?」
聖女ルチアは黙ったまま。
奇跡が止まり、視線が冷たくなっていることを肌で感じている。
司祭グラナードは額に汗を浮かべていた。
教会の寄付は増えたが、支出も増えている。
そして何より――
薬の在庫はない。
「神は試練を与えておられるのです」
司祭が無理に声を張る。
「この困難は、信仰を試すもの……」
だがその言葉は、空虚に響くだけだった。
一方、フォルティス公爵邸。
私は書類に署名をしていく。
「王都西倉庫、契約終了」
「騎士団装備補填、停止」
「孤児院寄付、打ち切り」
ペン先が滑らかに動く。
一つ一つ。
静かに。
「お嬢様」
アーヴィンが低く告げる。
「これで、王都は一週間以内に物資不足へ陥ります」
「予測通りですわね」
「民衆の不満は、王家へ向きます」
「当然ですわ」
私は椅子にもたれかかる。
「わたくしは何もしておりません」
ただ、支援をやめただけ。
助けをやめただけ。
それで崩れるなら――
それは最初から、立っていなかったということ。
窓の外では、夕日がゆっくり沈んでいく。
赤い光が庭を染める。
「お嬢様、王宮から再度の使者が来る可能性がございます」
「ええ」
私は目を細める。
「今度は、もう少し丁寧な言葉で来るでしょう」
誇り高き王太子が。
自らの選択の重さを、少しずつ理解し始める。
奇跡は止まり。
物流は止まり。
支援は消えた。
それでもまだ、彼は思っている。
“自分は正しい”と。
だからこそ。
その崩れ方は美しい。
「予定通りでございます」
アーヴィンが静かに告げる。
「ええ」
私は微笑んだ。
「すべて、予定通りですわ」
王都の歯車は、音を立てて軋み始めている。
そして私は。
ただ静かに、その音を聞いている。
焦る必要はない。
崩壊は、急がなくても進むもの。
王太子殿下。
わたくしは帰ってきただけですわ。
あなたが切った婚約の、その“後処理”を。
丁寧に行っているだけなのですから。
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