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32話 振り返らぬ理由
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32話 振り返らぬ理由
日常が当たり前になると、人はふと立ち止まり、過去を確かめたくなる。
――本当に、これでよかったのか。
王宮でも、フォーマルハウト領でも、その問いは同じ形で浮かび上がっていた。
王宮の朝。
定例の報告は滞りなく終わり、会議室には珍しく余白の時間が生まれた。
「殿下、特段の案件はありません」
「そうか」
レオンハルトは頷き、書類を閉じる。
この沈黙は、危険信号ではない。判断が流れている証拠だ。
だが、その沈黙の中で、誰かが口を開いた。
「……最近、“昔は良かった”という声が、外で聞こえます」
懐古だ。
改革が進んだ後に、必ず出る。
「昔は柔軟だった」「人情があった」
そう言う者は多い。だが、数字は別のことを語っている。
「戻すべきでしょうか」
その問いに、レオンハルトは即答しなかった。
少しだけ、考える時間を取る。
「――戻る理由があるなら、考える」
「理由が、あると?」
「あるなら、な」
視線を上げ、静かに続ける。
「だが、今は理由がない。成果は出ている。混乱もない。
それで戻るのは、判断ではなく感情だ」
誰も反論しなかった。
感情で動かない。それが、ここで共有された基準だった。
同じ頃、フォーマルハウト領。
私は集会所で、古くから仕えてきた者と向き合っていた。
「お嬢様、昔は……もっと融通が利いたものでした」
言い方は柔らかい。
だが、意味は同じだ。
「そうですね」
私は否定しなかった。
「昔は、曖昧でした。だから、融通が利いたように見えた」
「……今は?」
「今は、はっきりしています」
彼は少し困った顔をしたが、やがて息を吐いた。
「確かに、迷いは減りました」
「それが理由です」
戻らない理由は、簡単だ。
戻る必要がない。
午後、領内を巡回する。
畑は整い、道は繋がり、人の動きは滑らかだ。過去を持ち出す必要は、どこにもない。
同じ時間、王宮では一つの決定が下されていた。
旧来の制度を復活させる提案を、正式に却下する。
「理由は?」
「現行基準で支障がないため」
それだけで、十分だった。
夜。
レオンハルトは執務室で一人、灯りを落とす準備をしながら、ふと思う。
(振り返らないのは、前を向いているからじゃない)
今に、足場があるからだ。
一方、フォーマルハウト領の夜。
私は日誌を開き、短く書き留める。
――振り返らぬ理由は、ここにある。
過去を否定しない。
だが、過去に戻る必要もない。
距離は、変わらない。
だが、その距離の中で、王宮と領地はそれぞれに――
同じ理由で、同じ方向を向いていた。
振り返らぬ理由は、誇りでも意地でもない。
今日が、十分に成り立っているという、ただそれだけの事実だ。
そして明日もまた、
誰にも告げられぬまま、
日常は静かに更新されていく。
日常が当たり前になると、人はふと立ち止まり、過去を確かめたくなる。
――本当に、これでよかったのか。
王宮でも、フォーマルハウト領でも、その問いは同じ形で浮かび上がっていた。
王宮の朝。
定例の報告は滞りなく終わり、会議室には珍しく余白の時間が生まれた。
「殿下、特段の案件はありません」
「そうか」
レオンハルトは頷き、書類を閉じる。
この沈黙は、危険信号ではない。判断が流れている証拠だ。
だが、その沈黙の中で、誰かが口を開いた。
「……最近、“昔は良かった”という声が、外で聞こえます」
懐古だ。
改革が進んだ後に、必ず出る。
「昔は柔軟だった」「人情があった」
そう言う者は多い。だが、数字は別のことを語っている。
「戻すべきでしょうか」
その問いに、レオンハルトは即答しなかった。
少しだけ、考える時間を取る。
「――戻る理由があるなら、考える」
「理由が、あると?」
「あるなら、な」
視線を上げ、静かに続ける。
「だが、今は理由がない。成果は出ている。混乱もない。
それで戻るのは、判断ではなく感情だ」
誰も反論しなかった。
感情で動かない。それが、ここで共有された基準だった。
同じ頃、フォーマルハウト領。
私は集会所で、古くから仕えてきた者と向き合っていた。
「お嬢様、昔は……もっと融通が利いたものでした」
言い方は柔らかい。
だが、意味は同じだ。
「そうですね」
私は否定しなかった。
「昔は、曖昧でした。だから、融通が利いたように見えた」
「……今は?」
「今は、はっきりしています」
彼は少し困った顔をしたが、やがて息を吐いた。
「確かに、迷いは減りました」
「それが理由です」
戻らない理由は、簡単だ。
戻る必要がない。
午後、領内を巡回する。
畑は整い、道は繋がり、人の動きは滑らかだ。過去を持ち出す必要は、どこにもない。
同じ時間、王宮では一つの決定が下されていた。
旧来の制度を復活させる提案を、正式に却下する。
「理由は?」
「現行基準で支障がないため」
それだけで、十分だった。
夜。
レオンハルトは執務室で一人、灯りを落とす準備をしながら、ふと思う。
(振り返らないのは、前を向いているからじゃない)
今に、足場があるからだ。
一方、フォーマルハウト領の夜。
私は日誌を開き、短く書き留める。
――振り返らぬ理由は、ここにある。
過去を否定しない。
だが、過去に戻る必要もない。
距離は、変わらない。
だが、その距離の中で、王宮と領地はそれぞれに――
同じ理由で、同じ方向を向いていた。
振り返らぬ理由は、誇りでも意地でもない。
今日が、十分に成り立っているという、ただそれだけの事実だ。
そして明日もまた、
誰にも告げられぬまま、
日常は静かに更新されていく。
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