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第3話 決意の朝と、家族の絆
しおりを挟む朝の陽光が、エルドリア公爵邸の大きな窓から差し込んでいた。
アリーナは鏡の前で、いつものように侍女たちに髪を結ってもらいながら、昨夜の自分を振り返っていた。
腫れた目は冷たい湿布で少し落ち着き、頰にも血色が戻っている。
銀色の髪を丁寧に編み上げ、水色のリボンを結ぶ。
今日は、父に直接願い出る日だ。
「お嬢様、今日のお召し物はこちらでよろしいでしょうか?」
エマが持ってきたのは、淡いブルーのシンプルなドレス。
派手さはないが、上質の生地と洗練されたデザインが、エルドリア家の品格を表している。
「ありがとう、エマ。これでいいわ」
アリーナは微笑んだ。
声はまだ少し掠れているが、決意が宿っている。
部屋を出て、長い廊下を歩く。
屋敷の中は、いつもより静かだった。
使用人たちがアリーナを見ると、深く頭を下げ、哀れむような目を向ける。
昨夜の婚約破棄のニュースは、すでに王都中に広がっているのだろう。
食堂に入ると、家族がすでに揃っていた。
父、ガルド・フォン・エルドリア公爵。
厳格で知られるが、家族に対しては深い愛情を持つ男。
母、エレナ。
優しく美しい、貴族社会の華と称えられる女性。
そして兄、エリオット。
二十歳の青年で、王立騎士団の候補生。
金色の髪と青い瞳はアリーナに似ているが、表情はいつも少し尖っている。
三人とも、アリーナが入ってくると同時に顔を上げた。
「……アリーナ」
母が立ち上がり、駆け寄って抱きしめた。
「おはよう、ママ」
アリーナは母の背中をそっと撫でた。
父は新聞を畳み、深いため息をついた。
「座れ、アリーナ。話がある」
食卓に着く。
普段なら明るい朝食の時間が、今日は重苦しい空気に包まれていた。
使用人たちが食事を運び終えると、父が静かに口を開いた。
「昨夜のことは……王宮からも正式な通達が来た。レコルト殿下の決定は覆らないそうだ」
アリーナの手が、フォークを持つ指に力が入る。
「王は困惑しておられるが、息子の意志を尊重すると。……我が家への補償として、領地の拡大を約束されたらしいが」
父の声に、怒りが滲む。
「補償など、いらない」
兄のエリオットが、テーブルを叩いた。
「レコルトめ……あんな平民の娘に惑わされて! アリーナを侮辱した罪は、重いぞ」
「エリオット、落ち着いて」
母が宥めるが、エリオットの瞳は燃えていた。
「落ち着いていられるか! 俺は今すぐ王宮に行って、剣を突きつけてやる!」
「やめなさい、エリオット!」
父の声が響いた。
「それは反逆だ。王太子に刃を向けるなど、許されん」
エリオットは悔しそうに唇を噛んだ。
アリーナは、静かに三人を見回した。
「みんな……ありがとう」
家族の視線が集まる。
「私を心配してくれて、怒ってくれて。本当に嬉しい」
アリーナは深呼吸をした。
「でも、私……もう泣かないことにした」
母が目を丸くした。
「アリーナ?」
「レコルト殿下が私を選ばなかったのは、彼の自由。
でも、私の人生は、私が決める」
アリーナの声は、震えながらも確かだった。
「だから、私……王立魔導アカデミーに入学したい」
一瞬、食堂が静まり返った。
父が眉を寄せた。
「アカデミー? だが、お前の魔力は……」
「知ってる。みんなが言うように、私は魔法の才能がないって」
アリーナは微笑んだ。
「でも、やってみたいの。
もう、誰かに『ふさわしくない』って言われるのは嫌。
自分の力で、強くなりたい」
エリオットが口を開きかけたが、母が制した。
母はアリーナの手を取った。
「……あなたがそう決めたなら、応援するわ。
でも、アカデミーは厳しいところよ? 貴族の子弟ばかりで、競争も激しい」
「わかってる」
父がゆっくりと頷いた。
「よし。ならば、俺が推薦状を書く。
エルドリア家の名にかけて、入学試験を受けさせてみせよう」
「ありがとう、お父様」
アリーナの目から、涙が一筋こぼれた。
今度は、悲しみではなく、感謝の涙だった。
食事が終わり、アリーナは父の書斎に呼ばれた。
重厚な扉を開けると、父はすでに机に向かって筆を走らせていた。
「座れ」
アリーナが椅子に座ると、父は推薦状を書き終え、封蝋を押した。
「これで、アカデミーの入学試験を受けられる。
試験は一ヶ月後だ。それまでに準備をしろ」
「はい」
父は少し躊躇うように言葉を探した。
「……アリーナ。お前はこれまで、ずっと我慢してきたな。
レコルトとの婚約も、政治的なものだとわかっていながら、笑顔で受け入れてくれた」
アリーナは首を振った。
「お父様、それは――」
「いや、聞け」
父の声は優しかった。
「お前はエルドリア家の誇りだ。
どんなことがあっても、俺たちはお前の味方だ。
だから、遠慮するな。悔しかったら、思いっきり強くなって見返してやれ」
アリーナの胸が熱くなった。
「……うん。お父様、ありがとう」
父は立ち上がり、アリーナの頭をそっと撫でた。
幼い頃以来の、温かい手だった。
書斎を出て、自分の部屋に戻る。
枕の下から、魔導書を取り出した。
今日からは、本格的に勉強だ。
まずは、基本の魔法を完璧に。
試験では、魔力の量だけでなく、制御力や理論も試される。
魔導書の力は強大だが、暴走したら危険だ。
「……少しずつ、慣れていこう」
アリーナは窓を開け、新鮮な空気を吸い込んだ。
庭園では、春の花々が咲き乱れている。
その向こうに、王都の高い城壁が見える。
レコルトとミランは、今頃、王宮で幸せに過ごしているのだろう。
でも、もういい。
私は、私の道を歩く。
午後、アリーナは屋敷の図書室にこもった。
魔法の基礎理論書を何冊も広げ、魔導書と見比べながらメモを取る。
不思議なことに、魔導書に書かれた古代語が、どんどん理解できるようになっていた。
夕方近く、兄のエリオットが図書室を訪ねてきた。
「アリーナ、夕食まで休憩しろよ」
エリオットは、トレイに紅茶とクッキーを持っていた。
「ありがとう、お兄様」
二人は窓際のソファに座った。
エリオットは少し照れくさそうに言った。
「……俺、実はお前のために剣の稽古を増やしてる。
もしアカデミーで誰かがお前を馬鹿にしたら、ぶっ飛ばしてやる」
アリーナはくすりと笑った。
「お兄様はいつも過保護ね」
「当たり前だ。お前は俺の大事な妹だ」
エリオットは紅茶を飲みながら、ふと真剣な顔になった。
「それにしても……レコルトの奴、変わっちまったな。
昔はもっとまともだったのに」
アリーナは少し目を伏せた。
「……ミランさんの影響、なのかな」
「平民の娘が急に王宮に出入りするようになったのは、半年前くらいからだろ。
あいつ、殿下をたぶらかしたに違いない」
エリオットは悔しそうに言った。
「でも、もういいよ。お兄様」
アリーナは微笑んだ。
「私は前を向く。
アカデミーで、ちゃんと自分の力を見せる」
エリオットは妹を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……お前、強くなったな」
夜が更け、アリーナは再び魔導書を開いた。
今日学んだのは、火の初級魔法。
「イグニス・フランマ」
小さな炎が指先に灯る。
普通なら豆粒ほどの炎だが、アリーナのものは手のひらサイズで、安定して揺れていた。
「……すごい」
自分で自分が驚く。
この力なら、きっと試験に合格できる。
いや、合格するだけじゃない。
トップを目指す。
レコルトが見ていた頃の私じゃない。
新しいアリーナ・フォン・エルドリアを、みんなに見せてあげる。
窓の外、満天の星が輝いていた。
一ヶ月後──入学試験。
そこで、私の反撃が始まる。
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