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第4話 広がる噂と、陰湿な影
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第4話 広がる噂と、陰湿な影
王都エルドリアの朝は、いつもより冷たく感じられた。
婚約破棄から三日が経っていた。
アリーナは屋敷の自室で、窓辺に座って外を眺めていた。
庭園のバラは変わらず美しく咲いているのに、心の中は嵐のようだった。
「……もう、みんな知ってるよね」
小さな呟きが、静かな部屋に溶けていく。
実際、王都の貴族社会は大騒ぎだった。
カフェやサロン、舞踏会の控え室で、話題は一つしかない。
「王太子殿下が、公爵令嬢との婚約を破棄なさったんですって!」
「相手は平民の娘だとか。信じられないわ」
「アリーナ様、可哀想に……あんなに美しいのに」
「でも、殿下がおっしゃるには『退屈な人形』だそうよ。くすくす」
嘲笑が、貴族令嬢たちの間で広がっていた。
アリーナは、そんな噂を耳にするたびに胸が締めつけられるのを感じていた。
でも、もう泣かない。
そう自分に言い聞かせてきた。
その日、母から呼び出しがあった。
「アリーナ、少しお時間あるかしら?」
母の私室は、いつも柔らかな花の香りが漂う場所だった。
今日は少し違う。空気が重い。
母はテーブルの上に、数通の手紙を置いていた。
「……これ、全部?」
アリーナが尋ねると、母は静かに頷いた。
「ええ。婚約破棄の後、届いた招待状や手紙よ。
ほとんどが、舞踏会や茶会へのお誘い……だったもの」
過去形に、アリーナは息を呑んだ。
「今朝、返事が来たの。
『都合により欠席させていただきます』という、丁寧な断りの手紙ばかり」
母の声は穏やかだったが、目には悲しみが浮かんでいた。
「中には、直接的なものもあったわ。
『エルドリア家のお嬢様をお呼びするのは、場にそぐわないかと』……なんて」
アリーナの手が震えた。
貴族社会の冷酷さを、初めて真正面から味わっていた。
これまで、アリーナは「王太子の婚約者」という肩書で守られていた。
誰もが笑顔で迎え、褒めそやす。
でも、それがなくなった今――本当の顔が見えた。
「ママ、ごめんなさい……私がいけないせいで、エルドリア家まで……」
アリーナが俯くと、母は優しく抱きしめた。
「違うわ。アリーナ、あなたは何も悪くない。
悪いのは、あの子たちよ。
そして……レコルト殿下」
母の声に、珍しく怒りが混じる。
「でも、こんな社会よ。
権力と肩書がすべて。
あなたが弱いままなら、ずっと踏みにじられるわ」
アリーナは母の腕の中で、ゆっくりと頷いた。
「……だから、私、アカデミーに行く。
自分の力で、認められるように」
母は少し離れて、アリーナの顔を見つめた。
「ええ。応援してる。
でも、気をつけてね。
噂は、アカデミーにも届いてるはずよ」
その予感は、すぐに現実になった。
午後、アリーナは久しぶりに街へ出かけた。
ドレス屋で入学後の服を仕立てるためだ。
エマと護衛の騎士を伴い、馬車で王都の目抜き通りを進む。
街の人々が、こちらを振り返る。
「……あれ、エルドリア家の馬車じゃない?」
「婚約破棄されたお嬢様が乗ってるって?」
「可哀想に……でも、平民の娘に負けたんだっけ?」
囁きが、馬車の窓から聞こえてくる。
アリーナはカーテンを閉め、深呼吸した。
ドレス屋に着くと、店主は丁寧に迎えたが、目が少し泳いでいる。
「アリーナ様、お久しゅうございます。
本日は、どのようなご用件で?」
「王立魔導アカデミーの制服に合うドレスを、何着か作っていただきたいんです」
店主の妻が、奥から出てきて、にこやかに言った。
「まあ、アカデミーへ! 素晴らしいわ。
でも……魔法は、お得意なのですか?」
言葉の裏に、棘を感じた。
アリーナは微笑みを保った。
「これから、頑張ります」
そのとき、店の扉が開き、新しい客が入ってきた。
赤みがかった髪をポニーテールにまとめ、茶色の瞳が輝く少女――ミラン。
彼女は豪華なドレスを着て、侍女を数人連れていた。
平民の出とは思えないほど、華やかだ。
「あら、これはこれは。アリーナ様」
ミランが、にこやかに近づいてきた。
店内の空気が、一瞬凍りついた。
アリーナは立ち上がり、一礼した。
「ミランさん」
「まあ、そんな固いご挨拶。
これからは、王宮でご一緒する機会も増えますものね」
ミランの声は甘いが、目は笑っていない。
「レコルト殿下が、私をとても可愛がってくださって。
昨夜も、遅くまでお話しして……ふふ」
周りの客たちが、興味津々にこちらを見ている。
アリーナの胸が、ずきんと痛んだ。
でも、顔には出さない。
「お幸せに」
短く答えると、ミランがくすくす笑った。
「ありがとうございます。
でも、アリーナ様こそ、これから大変そうね。
魔法の才能がないって、みんな言ってるわ。
アカデミーなんて、無理しない方がいいんじゃない?」
店主の妻が、慌てて口を挟んだ。
「ミラン様、それは……」
「だって本当のことじゃない。
私、殿下から聞きましたもの。
アリーナ様は、魔法が全然ダメで、だから退屈だったって」
ミランの言葉に、店内の客たちがざわめいた。
アリーナは、ぎゅっと拳を握った。
でも、ここで感情的になったら、負けだ。
「……ありがとう、アドバイス」
アリーナは静かに言った。
「でも、私は自分の道を歩くわ」
ミランが、少し目を細めた。
「ふーん。頑張ってね。
でも、落ちたら笑いものよ? もう十分、可哀想なんだから」
その言葉を最後に、ミランはドレスを選び始めた。
アリーナは、仕立ての相談を急いで済ませ、店を出た。
馬車の中で、エマが心配そうに言った。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
アリーナは窓の外を見ながら、呟いた。
「……ミランさん、わざと私を誘ったみたい」
エマが頷いた。
「きっと、噂を広めるためです。
最近、ミラン様は王都のサロンを回って、アリーナ様の悪口を……」
アリーナは目を閉じた。
陰湿ないじめ。
直接的な侮辱だけでなく、噂を操作して孤立させる。
これが、ミランのやり方なのか。
馬車が屋敷に戻る頃、アリーナの心は決まっていた。
「……エマ、父上に伝えて。
明日から、屋敷の訓練場を使いたい」
「お嬢様?」
「魔法の練習よ。
本気で、強くなる」
屋敷に戻り、アリーナはすぐに訓練場へ向かった。
広大な庭の一角にある、魔法練習用のスペース。
的や結界が張られ、魔力を思い切り放てる場所だ。
これまで、アリーナはここに来たことがほとんどなかった。
魔力が弱く、すぐに疲れてしまうから。
でも今は違う。
魔導書を隠し持って、訓練場に立つ。
誰もいないのを確認し、ページを開く。
今日の目標は、水の魔法。
「アクア・スフィア」
手のひらに、水の玉が現れる。
普通ならコップ一杯程度。
だがアリーナのものは、バスケットボール大の水球で、完璧な球体を保っていた。
「……もっと、大きく」
魔力を注ぎ込む。
水球が膨張し、直径一メートルを超える。
結界がきしむ音がした。
「すごい……これが、私の力」
アリーナは水球を的に飛ばした。
ドン、という衝撃音。
的が粉々に砕け散る。
疲れは、少しだけ。
普通なら、こんな魔法を一発で倒れ込むはずなのに。
魔導書の力は、確実にアリーナを変えていた。
そのとき、訓練場の入り口に人影。
兄のエリオットだった。
「……お前、今の何だ?」
エリオットが、目を丸くして尋ねる。
アリーナは慌てて魔導書を隠した。
「お、お兄様!」
「水の魔法で、あの的を一撃で? 嘘だろ……お前、魔力弱いはずじゃ」
アリーナは、少し困ったように笑った。
「……最近、頑張ってるの。
秘密の特訓」
エリオットは妹を見つめ、ゆっくりと微笑んだ。
「そうか……なら、俺も手伝う。
剣と魔法の連携訓練、やってみるか?」
アリーナの目が輝いた。
「うん! お願い!」
二人は訓練場で、遅くまで練習を続けた。
エリオットの剣が閃き、アリーナの魔法がそれを補う。
初めて、兄に認められた気がした。
夜、部屋に戻り、アリーナは魔導書を開いた。
祖母の書き込みが、また目に入る。
『力は、使い方次第で毒にも薬にもなる。
復讐のためだけに使わないで。
あなた自身の幸せのために』
アリーナは、少し考えた。
「……復讐、したいけど」
でも、それだけじゃない。
強くなって、みんなを見返したい。
ミランに、負けたくない。
レコルトに、後悔させたい。
そして――自分を、好きになりたい。
窓の外、王宮の灯りが遠くに見える。
あそこに、レコルトとミランがいる。
でも、もうすぐ。
私、変わってみせる。
入学試験まで、残り三週間。
噂と陰口が広がる中、アリーナの静かな反撃が、始まろうとしていた。
王都エルドリアの朝は、いつもより冷たく感じられた。
婚約破棄から三日が経っていた。
アリーナは屋敷の自室で、窓辺に座って外を眺めていた。
庭園のバラは変わらず美しく咲いているのに、心の中は嵐のようだった。
「……もう、みんな知ってるよね」
小さな呟きが、静かな部屋に溶けていく。
実際、王都の貴族社会は大騒ぎだった。
カフェやサロン、舞踏会の控え室で、話題は一つしかない。
「王太子殿下が、公爵令嬢との婚約を破棄なさったんですって!」
「相手は平民の娘だとか。信じられないわ」
「アリーナ様、可哀想に……あんなに美しいのに」
「でも、殿下がおっしゃるには『退屈な人形』だそうよ。くすくす」
嘲笑が、貴族令嬢たちの間で広がっていた。
アリーナは、そんな噂を耳にするたびに胸が締めつけられるのを感じていた。
でも、もう泣かない。
そう自分に言い聞かせてきた。
その日、母から呼び出しがあった。
「アリーナ、少しお時間あるかしら?」
母の私室は、いつも柔らかな花の香りが漂う場所だった。
今日は少し違う。空気が重い。
母はテーブルの上に、数通の手紙を置いていた。
「……これ、全部?」
アリーナが尋ねると、母は静かに頷いた。
「ええ。婚約破棄の後、届いた招待状や手紙よ。
ほとんどが、舞踏会や茶会へのお誘い……だったもの」
過去形に、アリーナは息を呑んだ。
「今朝、返事が来たの。
『都合により欠席させていただきます』という、丁寧な断りの手紙ばかり」
母の声は穏やかだったが、目には悲しみが浮かんでいた。
「中には、直接的なものもあったわ。
『エルドリア家のお嬢様をお呼びするのは、場にそぐわないかと』……なんて」
アリーナの手が震えた。
貴族社会の冷酷さを、初めて真正面から味わっていた。
これまで、アリーナは「王太子の婚約者」という肩書で守られていた。
誰もが笑顔で迎え、褒めそやす。
でも、それがなくなった今――本当の顔が見えた。
「ママ、ごめんなさい……私がいけないせいで、エルドリア家まで……」
アリーナが俯くと、母は優しく抱きしめた。
「違うわ。アリーナ、あなたは何も悪くない。
悪いのは、あの子たちよ。
そして……レコルト殿下」
母の声に、珍しく怒りが混じる。
「でも、こんな社会よ。
権力と肩書がすべて。
あなたが弱いままなら、ずっと踏みにじられるわ」
アリーナは母の腕の中で、ゆっくりと頷いた。
「……だから、私、アカデミーに行く。
自分の力で、認められるように」
母は少し離れて、アリーナの顔を見つめた。
「ええ。応援してる。
でも、気をつけてね。
噂は、アカデミーにも届いてるはずよ」
その予感は、すぐに現実になった。
午後、アリーナは久しぶりに街へ出かけた。
ドレス屋で入学後の服を仕立てるためだ。
エマと護衛の騎士を伴い、馬車で王都の目抜き通りを進む。
街の人々が、こちらを振り返る。
「……あれ、エルドリア家の馬車じゃない?」
「婚約破棄されたお嬢様が乗ってるって?」
「可哀想に……でも、平民の娘に負けたんだっけ?」
囁きが、馬車の窓から聞こえてくる。
アリーナはカーテンを閉め、深呼吸した。
ドレス屋に着くと、店主は丁寧に迎えたが、目が少し泳いでいる。
「アリーナ様、お久しゅうございます。
本日は、どのようなご用件で?」
「王立魔導アカデミーの制服に合うドレスを、何着か作っていただきたいんです」
店主の妻が、奥から出てきて、にこやかに言った。
「まあ、アカデミーへ! 素晴らしいわ。
でも……魔法は、お得意なのですか?」
言葉の裏に、棘を感じた。
アリーナは微笑みを保った。
「これから、頑張ります」
そのとき、店の扉が開き、新しい客が入ってきた。
赤みがかった髪をポニーテールにまとめ、茶色の瞳が輝く少女――ミラン。
彼女は豪華なドレスを着て、侍女を数人連れていた。
平民の出とは思えないほど、華やかだ。
「あら、これはこれは。アリーナ様」
ミランが、にこやかに近づいてきた。
店内の空気が、一瞬凍りついた。
アリーナは立ち上がり、一礼した。
「ミランさん」
「まあ、そんな固いご挨拶。
これからは、王宮でご一緒する機会も増えますものね」
ミランの声は甘いが、目は笑っていない。
「レコルト殿下が、私をとても可愛がってくださって。
昨夜も、遅くまでお話しして……ふふ」
周りの客たちが、興味津々にこちらを見ている。
アリーナの胸が、ずきんと痛んだ。
でも、顔には出さない。
「お幸せに」
短く答えると、ミランがくすくす笑った。
「ありがとうございます。
でも、アリーナ様こそ、これから大変そうね。
魔法の才能がないって、みんな言ってるわ。
アカデミーなんて、無理しない方がいいんじゃない?」
店主の妻が、慌てて口を挟んだ。
「ミラン様、それは……」
「だって本当のことじゃない。
私、殿下から聞きましたもの。
アリーナ様は、魔法が全然ダメで、だから退屈だったって」
ミランの言葉に、店内の客たちがざわめいた。
アリーナは、ぎゅっと拳を握った。
でも、ここで感情的になったら、負けだ。
「……ありがとう、アドバイス」
アリーナは静かに言った。
「でも、私は自分の道を歩くわ」
ミランが、少し目を細めた。
「ふーん。頑張ってね。
でも、落ちたら笑いものよ? もう十分、可哀想なんだから」
その言葉を最後に、ミランはドレスを選び始めた。
アリーナは、仕立ての相談を急いで済ませ、店を出た。
馬車の中で、エマが心配そうに言った。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
アリーナは窓の外を見ながら、呟いた。
「……ミランさん、わざと私を誘ったみたい」
エマが頷いた。
「きっと、噂を広めるためです。
最近、ミラン様は王都のサロンを回って、アリーナ様の悪口を……」
アリーナは目を閉じた。
陰湿ないじめ。
直接的な侮辱だけでなく、噂を操作して孤立させる。
これが、ミランのやり方なのか。
馬車が屋敷に戻る頃、アリーナの心は決まっていた。
「……エマ、父上に伝えて。
明日から、屋敷の訓練場を使いたい」
「お嬢様?」
「魔法の練習よ。
本気で、強くなる」
屋敷に戻り、アリーナはすぐに訓練場へ向かった。
広大な庭の一角にある、魔法練習用のスペース。
的や結界が張られ、魔力を思い切り放てる場所だ。
これまで、アリーナはここに来たことがほとんどなかった。
魔力が弱く、すぐに疲れてしまうから。
でも今は違う。
魔導書を隠し持って、訓練場に立つ。
誰もいないのを確認し、ページを開く。
今日の目標は、水の魔法。
「アクア・スフィア」
手のひらに、水の玉が現れる。
普通ならコップ一杯程度。
だがアリーナのものは、バスケットボール大の水球で、完璧な球体を保っていた。
「……もっと、大きく」
魔力を注ぎ込む。
水球が膨張し、直径一メートルを超える。
結界がきしむ音がした。
「すごい……これが、私の力」
アリーナは水球を的に飛ばした。
ドン、という衝撃音。
的が粉々に砕け散る。
疲れは、少しだけ。
普通なら、こんな魔法を一発で倒れ込むはずなのに。
魔導書の力は、確実にアリーナを変えていた。
そのとき、訓練場の入り口に人影。
兄のエリオットだった。
「……お前、今の何だ?」
エリオットが、目を丸くして尋ねる。
アリーナは慌てて魔導書を隠した。
「お、お兄様!」
「水の魔法で、あの的を一撃で? 嘘だろ……お前、魔力弱いはずじゃ」
アリーナは、少し困ったように笑った。
「……最近、頑張ってるの。
秘密の特訓」
エリオットは妹を見つめ、ゆっくりと微笑んだ。
「そうか……なら、俺も手伝う。
剣と魔法の連携訓練、やってみるか?」
アリーナの目が輝いた。
「うん! お願い!」
二人は訓練場で、遅くまで練習を続けた。
エリオットの剣が閃き、アリーナの魔法がそれを補う。
初めて、兄に認められた気がした。
夜、部屋に戻り、アリーナは魔導書を開いた。
祖母の書き込みが、また目に入る。
『力は、使い方次第で毒にも薬にもなる。
復讐のためだけに使わないで。
あなた自身の幸せのために』
アリーナは、少し考えた。
「……復讐、したいけど」
でも、それだけじゃない。
強くなって、みんなを見返したい。
ミランに、負けたくない。
レコルトに、後悔させたい。
そして――自分を、好きになりたい。
窓の外、王宮の灯りが遠くに見える。
あそこに、レコルトとミランがいる。
でも、もうすぐ。
私、変わってみせる。
入学試験まで、残り三週間。
噂と陰口が広がる中、アリーナの静かな反撃が、始まろうとしていた。
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