4 / 40
第四話 沈黙が呼ぶ視線
しおりを挟む
第四話 沈黙が呼ぶ視線
婚約破棄から数日が経った。
王都は、相変わらず華やかな顔を保っているが、その裏側では噂という名の波が、確実に広がっていた。
――グリューンリヒト家の令嬢、捨てられたらしい。
――王太子殿下は平民の少女に夢中だとか。
――さぞかし泣き崩れているのでは?
そんな言葉が、私の耳に届かないはずがない。
それでも私は、何も語らなかった。
沈黙は、逃げではない。
それは、選択だ。
私は今日、久しぶりに社交の場へ顔を出すことにしていた。
王宮主催ではない、小規模な貴族の茶会。出席者は限られており、情報の回りも早い。
――だからこそ、ここが最適だった。
侍女がドレスの裾を整えながら、控えめに声をかけてくる。
「……お嬢様、本当に、こちらへ?」
「ええ。必要なことですもの」
淡い緑を基調としたドレスは、決して派手ではない。だが、慎みと品格を失わない色合いだ。
私は鏡の中の自分を一度だけ見つめ、静かに頷いた。
これ以上、哀れな令嬢として語られるつもりはない。
かといって、反論するつもりもない。
私は、私の立ち位置を、私自身の態度で示す。
茶会の会場に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかに揺れた。
視線が、はっきりとこちらに集まるのが分かる。
同情。
好奇心。
値踏み。
それらが入り混じった、居心地の悪い沈黙。
「……まあ」
誰かが小さく息を呑む。
それに続くように、形式的な挨拶の声が上がった。
「ごきげんよう、ミレイナ様」
「お久しぶりですわね」
私は穏やかに微笑み、一人ひとりに挨拶を返す。
声は落ち着いていて、指先も震えていない。
それだけで、場の空気は微妙に変わった。
――思っていたより、普通だ。
――泣きはらしていると思ったのに。
そんな視線が、さざ波のように伝わってくる。
茶が運ばれ、会話が始まる。
だが、話題はどこかぎこちない。
「最近は……王宮も、お忙しそうですわね」
遠回しな言い方。
誰もが核心に触れたいくせに、触れない。
私は、あえてそれに応じることなく、静かに頷いた。
「ええ。色々と、変化の多い時期ですから」
それ以上、付け加えない。
だからこそ、相手は続きを探す。
「……ミレイナ様は、お変わりなく?」
「おかげさまで」
それだけ。
私の沈黙は、悲嘆でも、拒絶でもない。
余計な感情を与えない、という選択だった。
やがて、我慢できなくなったのだろう。
一人の令嬢が、慎重に言葉を選びながら切り出した。
「その……王太子殿下の件ですが……」
私は、視線を向ける。
「はい」
「……お辛いでしょう?」
その問いは、優しさを装ってはいるが、答え次第で立場を測ろうとする響きを含んでいた。
私は、少し考えてから答える。
「驚きはありましたわ。でも……」
一拍置き、柔らかく微笑む。
「終わったことですから」
ざわり、と空気が揺れる。
否定もしない。
糾弾もしない。
ただ、過去として扱う。
それは、彼女たちが期待していた反応ではなかった。
「……そう、ですの」
「ええ。婚約は、契約ですもの。破棄されれば、整理すべきことがあるだけです」
あまりにも淡々とした言葉に、何人かが言葉を失う。
私は紅茶に口をつけながら、内心で状況を確認していた。
――噂は、もう“可哀想”から“奇妙”へ移り始めている。
それでいい。
同情は、立場を弱くする。
疑問は、評価を揺らす。
茶会が終盤に差し掛かった頃、私はふと、ある視線に気づいた。
部屋の隅、壁際に立つ一人の男。
無駄な動きのない立ち姿。
感情を読ませない眼差し。
ディートリヒ・シュヴァルツヴァルト公爵。
彼が、この場にいるとは聞いていなかった。
視線が一瞬だけ合う。
だが、彼は何も言わず、静かに杯を傾けただけだった。
――見られている。
そう感じたのは、警戒ではなく、不思議な緊張感だった。
私が感情を抑え、沈黙を選んでいること。
それを、彼は理解しているように見えた。
茶会が終わり、帰り支度を整えていると、主催者が声をかけてくる。
「本日はお越しいただき、ありがとうございました。……ミレイナ様、とてもお落ち着きで」
「ありがとうございます」
それだけ答え、私は会場を後にした。
馬車に乗り込み、窓の外を流れる街並みを見る。
今日一日で、私は何も語らなかった。
だが、語らなかったことで、確実に伝わったものがある。
――この令嬢は、崩れていない。
――泣き叫ぶつもりも、縋るつもりもない。
沈黙は、弱さではない。
それは、次に動くための余白だ。
そして、その余白に、すでにいくつもの視線が集まり始めている。
その中に、
冷静で、厳しく、そして興味深そうな視線があったことを、私ははっきりと自覚していた。
婚約破棄の物語は、まだ終わっていない。
むしろ今、静かに形を変えながら、次の段階へ進み始めていた。
婚約破棄から数日が経った。
王都は、相変わらず華やかな顔を保っているが、その裏側では噂という名の波が、確実に広がっていた。
――グリューンリヒト家の令嬢、捨てられたらしい。
――王太子殿下は平民の少女に夢中だとか。
――さぞかし泣き崩れているのでは?
そんな言葉が、私の耳に届かないはずがない。
それでも私は、何も語らなかった。
沈黙は、逃げではない。
それは、選択だ。
私は今日、久しぶりに社交の場へ顔を出すことにしていた。
王宮主催ではない、小規模な貴族の茶会。出席者は限られており、情報の回りも早い。
――だからこそ、ここが最適だった。
侍女がドレスの裾を整えながら、控えめに声をかけてくる。
「……お嬢様、本当に、こちらへ?」
「ええ。必要なことですもの」
淡い緑を基調としたドレスは、決して派手ではない。だが、慎みと品格を失わない色合いだ。
私は鏡の中の自分を一度だけ見つめ、静かに頷いた。
これ以上、哀れな令嬢として語られるつもりはない。
かといって、反論するつもりもない。
私は、私の立ち位置を、私自身の態度で示す。
茶会の会場に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかに揺れた。
視線が、はっきりとこちらに集まるのが分かる。
同情。
好奇心。
値踏み。
それらが入り混じった、居心地の悪い沈黙。
「……まあ」
誰かが小さく息を呑む。
それに続くように、形式的な挨拶の声が上がった。
「ごきげんよう、ミレイナ様」
「お久しぶりですわね」
私は穏やかに微笑み、一人ひとりに挨拶を返す。
声は落ち着いていて、指先も震えていない。
それだけで、場の空気は微妙に変わった。
――思っていたより、普通だ。
――泣きはらしていると思ったのに。
そんな視線が、さざ波のように伝わってくる。
茶が運ばれ、会話が始まる。
だが、話題はどこかぎこちない。
「最近は……王宮も、お忙しそうですわね」
遠回しな言い方。
誰もが核心に触れたいくせに、触れない。
私は、あえてそれに応じることなく、静かに頷いた。
「ええ。色々と、変化の多い時期ですから」
それ以上、付け加えない。
だからこそ、相手は続きを探す。
「……ミレイナ様は、お変わりなく?」
「おかげさまで」
それだけ。
私の沈黙は、悲嘆でも、拒絶でもない。
余計な感情を与えない、という選択だった。
やがて、我慢できなくなったのだろう。
一人の令嬢が、慎重に言葉を選びながら切り出した。
「その……王太子殿下の件ですが……」
私は、視線を向ける。
「はい」
「……お辛いでしょう?」
その問いは、優しさを装ってはいるが、答え次第で立場を測ろうとする響きを含んでいた。
私は、少し考えてから答える。
「驚きはありましたわ。でも……」
一拍置き、柔らかく微笑む。
「終わったことですから」
ざわり、と空気が揺れる。
否定もしない。
糾弾もしない。
ただ、過去として扱う。
それは、彼女たちが期待していた反応ではなかった。
「……そう、ですの」
「ええ。婚約は、契約ですもの。破棄されれば、整理すべきことがあるだけです」
あまりにも淡々とした言葉に、何人かが言葉を失う。
私は紅茶に口をつけながら、内心で状況を確認していた。
――噂は、もう“可哀想”から“奇妙”へ移り始めている。
それでいい。
同情は、立場を弱くする。
疑問は、評価を揺らす。
茶会が終盤に差し掛かった頃、私はふと、ある視線に気づいた。
部屋の隅、壁際に立つ一人の男。
無駄な動きのない立ち姿。
感情を読ませない眼差し。
ディートリヒ・シュヴァルツヴァルト公爵。
彼が、この場にいるとは聞いていなかった。
視線が一瞬だけ合う。
だが、彼は何も言わず、静かに杯を傾けただけだった。
――見られている。
そう感じたのは、警戒ではなく、不思議な緊張感だった。
私が感情を抑え、沈黙を選んでいること。
それを、彼は理解しているように見えた。
茶会が終わり、帰り支度を整えていると、主催者が声をかけてくる。
「本日はお越しいただき、ありがとうございました。……ミレイナ様、とてもお落ち着きで」
「ありがとうございます」
それだけ答え、私は会場を後にした。
馬車に乗り込み、窓の外を流れる街並みを見る。
今日一日で、私は何も語らなかった。
だが、語らなかったことで、確実に伝わったものがある。
――この令嬢は、崩れていない。
――泣き叫ぶつもりも、縋るつもりもない。
沈黙は、弱さではない。
それは、次に動くための余白だ。
そして、その余白に、すでにいくつもの視線が集まり始めている。
その中に、
冷静で、厳しく、そして興味深そうな視線があったことを、私ははっきりと自覚していた。
婚約破棄の物語は、まだ終わっていない。
むしろ今、静かに形を変えながら、次の段階へ進み始めていた。
60
あなたにおすすめの小説
妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです
藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。
――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。
妹は父の愛人の子。
身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、
彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。
婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、
当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。
一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。
だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。
これは、誰かが罰した物語ではない。
ただ、選んだ道の先にあった現実の話。
覚悟のなかった婚約者が、
自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。
王女殿下のモラトリアム
あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」
突然、怒鳴られたの。
見知らぬ男子生徒から。
それが余りにも突然で反応できなかったの。
この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~
有賀冬馬
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」
婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。
けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。
セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。
「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。
――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです
鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。
理由は――
「王太子妃には華が必要だから」。
新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。
誰もが思った。
傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。
けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。
「戻りません」
彼女は怒らない。
争わない。
復讐もしない。
ただ――王家を支えるのをやめただけ。
流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。
さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。
強いざまあとは、叫ぶことではない。
自らの選択で、自らの立場を削らせること。
そして彼女は最後まで戻らない。
支えない。
奪わない。
――選ばれなかったのではない。
彼女が、選ばなかったのだ。
これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる