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第四話 届かない声
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第四話 届かない声
王宮に漂う違和感は、もはや「気のせい」で片づけられる段階を過ぎていた。
マルグリット・フォン・ルーヴェンが去ってから一週間。
各部署で積み重なっていた小さな滞りは、互いに絡み合い、明確な“問題”として姿を現し始めている。
朝の定例会議は、開始時刻を過ぎても始まらなかった。
「……軍務部の代表は?」
「まだ到着していません。別の会議と時間が重なっているそうで」
「重なっている? 誰が調整した?」
その問いに、誰も答えられなかった。
以前であれば、会議予定が衝突することはほとんどなかった。
事前に調整され、優先順位が付けられ、自然と無理のない形に整えられていたからだ。
だが今は違う。
誰も全体を見ていない。
誰も「気づいて、直す」役を担っていない。
「……とりあえず、始めよう」
痺れを切らした文官の一人が言い、空席のまま会議は進められた。
結果は、言うまでもない。
情報が揃わず、結論は先送り。
先送りされた案件が、さらに別の遅延を生む。
悪循環が、静かに回り始めていた。
一方、その会議の存在すら知らされていなかった軍務部では、物資配分を巡って現場が混乱していた。
「補給が足りない?」
「申請は出してあります。ですが、承認が下りていません」
「いつもなら、こんなに待たされることはないはずだが……」
兵士たちは苛立ちを隠さない。
国境付近では、小さな緊張が続いている。物資の遅れは、士気の低下に直結する。
――前なら、ここまで放置される前に、必ず手が入っていた。
誰もが、口に出さずに同じことを思っていた。
王太子ロイド・ヴァルシュタインのもとにも、ようやく複数の報告が集まり始めていた。
「決裁遅延が続いております。外交使節からも不満の声が……」
「軍務部より、補給に関する再申請が」
「内政部では、地方からの請願が未処理のままです」
報告を聞くロイドの表情が、次第に険しくなる。
「……なぜ、こんなことになる」
思わず漏れた言葉に、側近は一瞬ためらい、慎重に口を開いた。
「殿下。恐れながら……これまでの調整役が、不在であることが影響しているかと」
「調整役?」
「マルグリット様です」
その名が出た瞬間、室内の空気が張り詰めた。
「彼女は……」
ロイドは言葉を切り、苛立ったように机を叩く。
「彼女は、もう関係ない。自ら去ったのだ」
「それは、事実です。しかし――」
側近は、慎重に言葉を選ぶ。
「事実として、マルグリット様が担っていた業務は、想定以上に広範でした。代替の体制が整っていない現状では……」
「つまり、彼女がいなければ、何も回らないと言いたいのか」
低く抑えた声だった。
怒りよりも、拒絶に近い感情が滲んでいる。
「……そうは申しません。ただ」
側近は、一歩引いた。
「正式な形で、助言を求めるという選択肢もございます」
その言葉に、ロイドは沈黙した。
――助言を求める。
つまり、頭を下げるということだ。
あの夜、公衆の面前で婚約を破棄した相手に。
「……考えておく」
それだけ言って、ロイドは話を打ち切った。
同じ頃、ルーヴェン家の屋敷では、マルグリットが庭を眺めていた。
春の花が、静かに風に揺れている。
王宮にいた頃は、季節の移ろいを感じる余裕すらなかった。
「お嬢様」
侍女が一通の書簡を差し出す。
「王宮よりです。今度は、正式な印がございます」
マルグリットは受け取り、ゆっくりと封を切った。
内容は、簡潔だった。
王太子名義での要請。
“助言を求めたい。面会の機会をいただけないか”。
彼女は、しばらくその文面を見つめてから、静かに書簡を畳んだ。
「……ようやく、ですか」
だが、その声に喜びはない。
ペンを取り、短い返書を書く。
――婚約破棄により、私は王宮の政務から完全に退いております。
――現状について、助言する立場にはございません。
――必要であれば、正式な役職と責任の所在を明確にした上で、改めてご検討ください。
それは、拒絶でもあり、同時に最後の線引きでもあった。
曖昧な関係に戻るつもりはない。
都合のいい存在として扱われることも、もうない。
書簡を封じた瞬間、マルグリットははっきりと理解していた。
王宮から届く声は、これからも増えるだろう。
だが、その声は――今のところ、まだ彼女のもとには届いていない。
本当に届くのは、
相手が“失ったものの重さ”を、完全に理解した時だけなのだから。
王宮に漂う違和感は、もはや「気のせい」で片づけられる段階を過ぎていた。
マルグリット・フォン・ルーヴェンが去ってから一週間。
各部署で積み重なっていた小さな滞りは、互いに絡み合い、明確な“問題”として姿を現し始めている。
朝の定例会議は、開始時刻を過ぎても始まらなかった。
「……軍務部の代表は?」
「まだ到着していません。別の会議と時間が重なっているそうで」
「重なっている? 誰が調整した?」
その問いに、誰も答えられなかった。
以前であれば、会議予定が衝突することはほとんどなかった。
事前に調整され、優先順位が付けられ、自然と無理のない形に整えられていたからだ。
だが今は違う。
誰も全体を見ていない。
誰も「気づいて、直す」役を担っていない。
「……とりあえず、始めよう」
痺れを切らした文官の一人が言い、空席のまま会議は進められた。
結果は、言うまでもない。
情報が揃わず、結論は先送り。
先送りされた案件が、さらに別の遅延を生む。
悪循環が、静かに回り始めていた。
一方、その会議の存在すら知らされていなかった軍務部では、物資配分を巡って現場が混乱していた。
「補給が足りない?」
「申請は出してあります。ですが、承認が下りていません」
「いつもなら、こんなに待たされることはないはずだが……」
兵士たちは苛立ちを隠さない。
国境付近では、小さな緊張が続いている。物資の遅れは、士気の低下に直結する。
――前なら、ここまで放置される前に、必ず手が入っていた。
誰もが、口に出さずに同じことを思っていた。
王太子ロイド・ヴァルシュタインのもとにも、ようやく複数の報告が集まり始めていた。
「決裁遅延が続いております。外交使節からも不満の声が……」
「軍務部より、補給に関する再申請が」
「内政部では、地方からの請願が未処理のままです」
報告を聞くロイドの表情が、次第に険しくなる。
「……なぜ、こんなことになる」
思わず漏れた言葉に、側近は一瞬ためらい、慎重に口を開いた。
「殿下。恐れながら……これまでの調整役が、不在であることが影響しているかと」
「調整役?」
「マルグリット様です」
その名が出た瞬間、室内の空気が張り詰めた。
「彼女は……」
ロイドは言葉を切り、苛立ったように机を叩く。
「彼女は、もう関係ない。自ら去ったのだ」
「それは、事実です。しかし――」
側近は、慎重に言葉を選ぶ。
「事実として、マルグリット様が担っていた業務は、想定以上に広範でした。代替の体制が整っていない現状では……」
「つまり、彼女がいなければ、何も回らないと言いたいのか」
低く抑えた声だった。
怒りよりも、拒絶に近い感情が滲んでいる。
「……そうは申しません。ただ」
側近は、一歩引いた。
「正式な形で、助言を求めるという選択肢もございます」
その言葉に、ロイドは沈黙した。
――助言を求める。
つまり、頭を下げるということだ。
あの夜、公衆の面前で婚約を破棄した相手に。
「……考えておく」
それだけ言って、ロイドは話を打ち切った。
同じ頃、ルーヴェン家の屋敷では、マルグリットが庭を眺めていた。
春の花が、静かに風に揺れている。
王宮にいた頃は、季節の移ろいを感じる余裕すらなかった。
「お嬢様」
侍女が一通の書簡を差し出す。
「王宮よりです。今度は、正式な印がございます」
マルグリットは受け取り、ゆっくりと封を切った。
内容は、簡潔だった。
王太子名義での要請。
“助言を求めたい。面会の機会をいただけないか”。
彼女は、しばらくその文面を見つめてから、静かに書簡を畳んだ。
「……ようやく、ですか」
だが、その声に喜びはない。
ペンを取り、短い返書を書く。
――婚約破棄により、私は王宮の政務から完全に退いております。
――現状について、助言する立場にはございません。
――必要であれば、正式な役職と責任の所在を明確にした上で、改めてご検討ください。
それは、拒絶でもあり、同時に最後の線引きでもあった。
曖昧な関係に戻るつもりはない。
都合のいい存在として扱われることも、もうない。
書簡を封じた瞬間、マルグリットははっきりと理解していた。
王宮から届く声は、これからも増えるだろう。
だが、その声は――今のところ、まだ彼女のもとには届いていない。
本当に届くのは、
相手が“失ったものの重さ”を、完全に理解した時だけなのだから。
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