婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ

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第十六話 届かない選択

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第十六話 届かない選択

 辺境公爵領の朝は、静かに始まる。

 マルグリット・フォン・ルーヴェンは、執務室の窓を少しだけ開け、冷たい空気を取り込んだ。
 遠くで鐘が鳴り、城下町がゆっくりと目を覚ます音がする。

「……今日も、平常どおりですね」

 それは、彼女にとって何よりの確認だった。

 街道整備の第二段階は、ほぼ予定どおり進行している。
 物流拠点の再配置も、現場とのすり合わせを終え、今週中に正式決定される見込みだ。

 問題が起きないわけではない。
 だが、起きた問題は共有され、議論され、判断される。

 ――誰か一人が抱え込むことはない。

 会議室では、定例の打ち合わせが始まっていた。

「北部の倉庫ですが、予定地の一部が想定より軟弱でした」

 技術官の報告に、マルグリットはすぐに視線を上げる。

「代替地の候補は?」

「二案あります。ただ、距離が少し延びます」

「許容範囲です。輸送計画を微調整すれば、影響は抑えられます」

 迷いはない。

「では、その方向で再計算を」

 誰も異を唱えない。
 判断は共有され、責任は分散されている。

 フェリクス・フォン・グランツは、静かに頷いた。

「決定でいい。進めろ」

 それだけで、会議は次の議題へ進む。

 マルグリットは、その流れを見ながら、心の奥で小さく息を吐いた。

 ――ここでは、言葉が届く。

 それは、以前の環境との決定的な違いだった。

 一方、王宮では。

 ロイド・ヴァルシュタインは、机の前で一通の書簡を握りしめていた。
 辺境公爵領宛に送ろうとして、まだ出せずにいるものだ。

 内容は、簡潔だった。

 ――一度、話がしたい。
 ――戻ってほしいわけではない。ただ、話がしたい。

「……卑怯だな」

 自嘲気味に呟く。

 戻ってほしいと言えないのは、
 言ったところで、叶わないと分かっているからだ。

 だが同時に、
 話をしたいという言葉さえ、彼女にとっては不要なのではないか、という恐れもあった。

 ――彼女は、もう困っていない。

 その事実が、胸に重くのしかかる。

 側近が、控えめに声をかけた。

「殿下、教会から追加の通達です」

「……読まなくても分かる」

 ロイドは、疲れたように答える。

「聖女エマに関する件だろう」

「はい。称号停止は、ほぼ確定との見方が強まっています」

 ロイドは、目を閉じた。

 奇跡を信じた自分。
 調整を軽んじた自分。

 その選択の積み重ねが、今の状況を生んでいる。

「……マルグリットなら、どうしただろうな」

 問いかけは、誰にも向けられていない。

 彼女なら、
 奇跡に期待せず、
 曖昧なまま担ぎ上げず、
 最初から線を引いたはずだ。

 だが、それをしたのは、彼女ではない。
 彼自身だ。

 その夜、ロイドは、ついに書簡を書き終えた。

 言葉は慎重に選ばれ、感情は極力抑えられている。
 だが、行間には、明確な意図が滲んでいた。

 ――助けてほしい。

 それを封じた瞬間、彼は気づく。

 これは、王太子としての依頼ではない。
 一人の人間としての、遅すぎた選択だ。

 一方、数日後。

 その書簡は、辺境公爵領に届いていた。

 マルグリットは、封を切り、最後まで読み通す。
 表情は、変わらない。

「……そう、ですか」

 そこに、怒りはない。
 喜びも、戸惑いもない。

 ただ、静かな理解があった。

 フェリクスは、彼女の様子を見て尋ねる。

「王太子か」

「はい」

「どうする」

 マルグリットは、少しだけ考えた。

「返事は、出します」

「戻るのか」

「いいえ」

 即答だった。

「話をすることと、戻ることは別です」

 彼女は、机に向かい、ペンを取る。

 ――お手紙、拝読しました。
 ――現在、私は辺境公爵領の職務に専念しております。
 ――直接お会いすることは叶いませんが、
 ――お伝えしたいことがあれば、文面にて承ります。

 それは、拒絶ではない。
 だが、救いでもない。

 届く距離は、確かにある。
 だが、戻れる距離ではない。

 書簡を封じたマルグリットは、窓の外を見た。

 夜空は澄み、星がはっきりと見える。

「……選択は、いつも平等ではありませんね」

 選ぶ時期。
 選ぶ覚悟。
 選んだ後の責任。

 それらが揃わなければ、
 どんな言葉も、届かない。

 王宮と辺境公爵領。
 二つの場所を隔てるのは、距離ではない。

 選ばれなかったのではなく、
 選ぶのが遅すぎただけ。

 その事実が、
 マルグリットとロイドの間に、静かに横たわっていた。

 そして彼女は、もう迷わない。

 自分で選んだ場所で、
 自分の役割を果たす。

 それこそが、
 彼女にとっての、揺るがない答えだった。
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