婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ

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第三十九話 それでも残るもの

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第三十九話 それでも残るもの

 辺境公爵領に、穏やかな季節の変わり目が訪れていた。

 風は柔らかく、空は高い。
 城下町の通りには、特別な緊張もなく、人々の足音が流れている。

 マルグリット・フォン・ルーヴェンは、久しぶりに城の外れまで歩いていた。
 視察というほどではない。
 ただ、景色を確かめるための散策だ。

「……本当に、静かですね」

 隣を歩くフェリクス・フォン・グランツが、穏やかに応じる。

「ああ。
 嵐のあととは思えない」

 復旧は終わり、代替路も元に戻った。
 だが、だからといって祝賀はない。
 人々は、次の季節に向けて動いている。

 それが、この領の今だった。

 歩きながら、マルグリットは考える。

 自分が前に立たなくなって、
 呼ばれなくなって、
 判断を委ねるようになって。

 それでも――
 確かに、残っているものがある。

 午後、自治組織の合同会議が開かれた。

 議題は、来年度の運営方針。
 長期的な人材配置と、判断権限の微調整だ。

「次の世代を、どう支えるか」

 議長役が、そう切り出す。

「判断を増やしすぎると、負担になります」

「ですが、減らしすぎると、考えなくなります」

 議論は、丁寧だった。

 マルグリットは、最後列に座り、聞いているだけだ。

 そして、気づく。

 議論の中に、
 自分の言葉が、そのまま引用されることはない。

 だが――
 考え方は、確かに流れている。

「責任は、戻せる形で渡す」

「線引きは、事前に決める」

「判断は、人ではなく基準に紐づける」

 それらは、彼女がかつて語ったことだ。
 だが、今はもう、
 “マルグリットの考え”ではない。

 この領の、当たり前だ。

 会議後、フェリクスが言う。

「少し、寂しそうだな」

「……いいえ」

 マルグリットは、首を横に振る。

「誇らしいだけです」

 自分の考えが、
 自分の名を離れて、生きている。

 それ以上の証明は、ない。

 夕方、王宮から一通の書簡が届く。

 差出人は、ロイド・ヴァルシュタイン。

 内容は短い。

 ――辺境公爵領は、安定している。
 ――あなたが前に出ていないことも含めて。

 それだけだった。

 マルグリットは、静かに紙を折る。

「……理解されましたね」

「ようやく、だな」

 フェリクスは、どこか安堵したように笑う。

 夜、城の中庭。

 月明かりが、石畳を淡く照らしている。

 マルグリットは、立ち止まり、空を見上げた。

「……それでも残るもの」

 小さく呟く。

 名声ではない。
 称賛でもない。
 役職でも、権限でもない。

 判断の癖。
 距離の取り方。
 責任の扱い方。

 それらが、
 自分の手を離れても、
 確かに、ここに残っている。

 それで、十分だった。

 彼女は、ゆっくりと歩き出す。

 自分がいなくても、
 世界は回る。

 だが、
 自分がいたからこそ、
 今の形がある。

 その事実を、
 静かに受け止めながら。

 マルグリット・フォン・ルーヴェンは、夜の回廊を進む。

 終わりは、まだ先だ。
 だが、
 完成は、すでにここにあった。
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