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第三十八話 必要とされない価値
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第三十八話 必要とされない価値
辺境公爵領は、今日も変わらず動いていた。
街道の補修は進み、
物流は代替ルートを経由しながらも滞りなく流れ、
役所では、いつものように淡々と書類が処理されている。
誰も、特別な達成感を口にしない。
だが、誰も不安も感じていない。
それが、この領の“普通”になっていた。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、執務室で一枚の報告書を閉じた。
街道復旧の最終報告だ。
「……予定どおりですね」
フェリクス・フォン・グランツが、隣で言う。
「ああ。
遅延も、想定内で収まっている」
「私が関与したのは、事前の規定だけです」
「それで、十分だった」
それが、今回の出来事の本質だった。
かつてなら、
彼女が現場に立ち、
判断を下し、
結果に責任を負っていただろう。
今は違う。
彼女がいなくても、
判断は下され、
結果は出る。
それは、
“必要とされていない”ということではない。
“常に必要とされない”という価値だ。
午後、自治組織の若い責任者が、報告に来た。
「今回の件で、住民からの評価は特にありません」
少し困ったように言う。
「苦情も、感謝も、ほとんどないんです」
マルグリットは、穏やかに微笑んだ。
「それは、成功です」
「……成功、ですか?」
「はい。
何かが起きたことすら、
意識されていないのですから」
人は、
不便になったときにだけ、
仕組みの存在を思い出す。
便利であるほど、
気づかれない。
それが、最も高い完成度だ。
若い責任者は、少し考え、やがて頷いた。
「……分かりました」
夕方、城下町。
人々は、いつもどおりの生活を送っている。
補修工事を眺めながらも、足を止める者は少ない。
「もう直るのか」
「そうらしいな」
それ以上の会話は、続かない。
マルグリットは、その様子を遠くから眺める。
自分の名前が出ないことに、
違和感はない。
むしろ、安堵がある。
夜、王宮。
ロイド・ヴァルシュタインは、辺境公爵領の定期報告を読んでいた。
「……今回も、彼女は前に出ていない」
「はい。
ですが、判断は安定しています」
「“彼女がいるから安定している”のではない」
ロイドは、静かに言う。
「“彼女がいなくても安定する”ようにした」
それは、王宮が未だに辿り着けていない境地だった。
辺境公爵領の夜は、今日も静かだ。
マルグリットは、灯りを落とす前に、窓の外を見つめる。
「……必要とされない価値」
小さく呟く。
呼ばれない。
頼られない。
だが、消えてはいない。
自分が前に出なくても、
誰かが、同じ判断をする。
それが、
最も誇るべき価値だ。
彼女は、静かに灯りを消す。
世界は、今日も回っている。
自分の名を呼ぶことなく。
そして、それこそが――
マルグリット・フォン・ルーヴェンが築いた、
完成形だった。
辺境公爵領は、今日も変わらず動いていた。
街道の補修は進み、
物流は代替ルートを経由しながらも滞りなく流れ、
役所では、いつものように淡々と書類が処理されている。
誰も、特別な達成感を口にしない。
だが、誰も不安も感じていない。
それが、この領の“普通”になっていた。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、執務室で一枚の報告書を閉じた。
街道復旧の最終報告だ。
「……予定どおりですね」
フェリクス・フォン・グランツが、隣で言う。
「ああ。
遅延も、想定内で収まっている」
「私が関与したのは、事前の規定だけです」
「それで、十分だった」
それが、今回の出来事の本質だった。
かつてなら、
彼女が現場に立ち、
判断を下し、
結果に責任を負っていただろう。
今は違う。
彼女がいなくても、
判断は下され、
結果は出る。
それは、
“必要とされていない”ということではない。
“常に必要とされない”という価値だ。
午後、自治組織の若い責任者が、報告に来た。
「今回の件で、住民からの評価は特にありません」
少し困ったように言う。
「苦情も、感謝も、ほとんどないんです」
マルグリットは、穏やかに微笑んだ。
「それは、成功です」
「……成功、ですか?」
「はい。
何かが起きたことすら、
意識されていないのですから」
人は、
不便になったときにだけ、
仕組みの存在を思い出す。
便利であるほど、
気づかれない。
それが、最も高い完成度だ。
若い責任者は、少し考え、やがて頷いた。
「……分かりました」
夕方、城下町。
人々は、いつもどおりの生活を送っている。
補修工事を眺めながらも、足を止める者は少ない。
「もう直るのか」
「そうらしいな」
それ以上の会話は、続かない。
マルグリットは、その様子を遠くから眺める。
自分の名前が出ないことに、
違和感はない。
むしろ、安堵がある。
夜、王宮。
ロイド・ヴァルシュタインは、辺境公爵領の定期報告を読んでいた。
「……今回も、彼女は前に出ていない」
「はい。
ですが、判断は安定しています」
「“彼女がいるから安定している”のではない」
ロイドは、静かに言う。
「“彼女がいなくても安定する”ようにした」
それは、王宮が未だに辿り着けていない境地だった。
辺境公爵領の夜は、今日も静かだ。
マルグリットは、灯りを落とす前に、窓の外を見つめる。
「……必要とされない価値」
小さく呟く。
呼ばれない。
頼られない。
だが、消えてはいない。
自分が前に出なくても、
誰かが、同じ判断をする。
それが、
最も誇るべき価値だ。
彼女は、静かに灯りを消す。
世界は、今日も回っている。
自分の名を呼ぶことなく。
そして、それこそが――
マルグリット・フォン・ルーヴェンが築いた、
完成形だった。
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