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第19話 迫られるのは、決断ではなく覚悟
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第19話 迫られるのは、決断ではなく覚悟
その夜、シュタインベルク公国の城は、いつも以上に静かだった。
騒動はない。
緊急の報告もない。
外から見れば、すべてが順調に回っている。
――だからこそ、誤魔化しが利かなかった。
セラフィナは自室で、ランプの灯りだけを頼りに、何も書かれていない紙を見つめていた。
(……書くことが、ない)
それは珍しいことだった。
これまで、彼女の前には常に課題があり、
整理すべき数字があり、
判断すべき案件があった。
だが今夜、
整理すべきなのは――自分自身だ。
王国は、完全に信用を失った。
それはもう、確認の必要すらない。
責任転嫁。
中傷。
外交文書としての一線越え。
どれも、彼女の予測の範囲内だった。
(……予測できてしまうことが、問題なのかもしれませんわね)
セラフィナは、小さく息を吐いた。
あの国では、いつもそうだった。
先を見すぎること。
最悪を想定すること。
感情より結果を優先すること。
それらはすべて、
“可愛げがない”の一言で切り捨てられた。
だが、ここでは違う。
シュタインベルク公国では、
それらは“信頼”として扱われる。
――だからこそ。
(ここにいる理由は、もう十分すぎるほど、揃っています)
政治的にも。
合理的にも。
彼女は、この公国に必要とされている。
問題は、そこではない。
コン、コン。
控えめなノック音が、思考を断ち切った。
「……どうぞ」
入ってきたのは、カルヴァスだった。
執務を終えたばかりの様子で、
上着を脱ぎ、少し疲れた表情をしている。
「邪魔だったか」
「いいえ。
ちょうど、考え事をしていました」
「……王国の件か」
「それも、ですが」
セラフィナは、正直に答えた。
「それだけではありません」
カルヴァスは、黙って彼女の向かいに腰を下ろす。
距離は、近すぎず、遠すぎず。
以前なら、意識して保っていた“白い距離”。
今は――意識しなければ、崩れる。
「君は」
カルヴァスが、低い声で言った。
「ここに残るつもりだな」
問いではない。
確認だ。
「はい」
即答だった。
「私は、自分の判断に責任を持てる場所にいます」
「……そうか」
彼は、ゆっくりと頷いた。
その反応に、安堵が混じっていることを、
セラフィナは見逃さなかった。
「カルヴァス様」
「……何だ」
「もし、私がここにいる理由が、
“政治”だけだと思われているなら」
彼女は、言葉を選びながら続ける。
「それは、少し違います」
カルヴァスは、視線を上げた。
「理由は、一つではありません」
沈黙。
だが、彼は促さない。
それが、彼なりの誠実さだった。
「私は」
セラフィナは、静かに言った。
「この公国では、
“何を選んだか”より、
“なぜそう選んだか”を問われます」
「……ああ」
「それが、心地いい」
それは、初めて口にする本音だった。
カルヴァスは、少しだけ目を細める。
「……なら、聞かせてほしい」
「何を、でしょう」
「君自身の選択を」
セラフィナは、一瞬だけ言葉に詰まる。
選択。
それは、仕事の話ではない。
国の話でもない。
――二人の関係の話だ。
「まだ、結論は出していません」
正直な答え。
「ですが」
彼女は、はっきりと言った。
「“白い結婚だから考えない”という選択肢は、
もう取りません」
カルヴァスの表情が、わずかに変わる。
「……それは」
「逃げない、という意味です」
彼女は、微笑んだ。
「期待しすぎもしません。
ですが、蓋もしません」
カルヴァスは、しばらく沈黙したあと、低く言った。
「……君は、厳しいな」
「ええ。
自分にも、あなたにも」
だが、その声音は柔らかい。
「今夜は、それで十分ですわ」
セラフィナは、そう締めくくった。
「答えを出すには、
お互い、少し時間が必要です」
カルヴァスは、ゆっくりと立ち上がる。
「……ああ」
扉を出る直前、彼は一度だけ振り返った。
「セラフィナ」
「はい」
「王国がどうなろうと、
君の価値は、何も変わらない」
彼女は、一瞬だけ驚き――
そして、静かに頷いた。
「ありがとうございます」
扉が閉まる。
一人になった部屋で、セラフィナはランプの灯りを見つめる。
(……覚悟、ですわね)
選ぶことよりも、
選んだあとに立ち続けること。
それが、今、自分に求められている。
白い結婚は、まだ続いている。
だが――
それを続ける覚悟と、変える覚悟の両方が、
初めて同じ重さで、彼女の前に置かれていた。
---
その夜、シュタインベルク公国の城は、いつも以上に静かだった。
騒動はない。
緊急の報告もない。
外から見れば、すべてが順調に回っている。
――だからこそ、誤魔化しが利かなかった。
セラフィナは自室で、ランプの灯りだけを頼りに、何も書かれていない紙を見つめていた。
(……書くことが、ない)
それは珍しいことだった。
これまで、彼女の前には常に課題があり、
整理すべき数字があり、
判断すべき案件があった。
だが今夜、
整理すべきなのは――自分自身だ。
王国は、完全に信用を失った。
それはもう、確認の必要すらない。
責任転嫁。
中傷。
外交文書としての一線越え。
どれも、彼女の予測の範囲内だった。
(……予測できてしまうことが、問題なのかもしれませんわね)
セラフィナは、小さく息を吐いた。
あの国では、いつもそうだった。
先を見すぎること。
最悪を想定すること。
感情より結果を優先すること。
それらはすべて、
“可愛げがない”の一言で切り捨てられた。
だが、ここでは違う。
シュタインベルク公国では、
それらは“信頼”として扱われる。
――だからこそ。
(ここにいる理由は、もう十分すぎるほど、揃っています)
政治的にも。
合理的にも。
彼女は、この公国に必要とされている。
問題は、そこではない。
コン、コン。
控えめなノック音が、思考を断ち切った。
「……どうぞ」
入ってきたのは、カルヴァスだった。
執務を終えたばかりの様子で、
上着を脱ぎ、少し疲れた表情をしている。
「邪魔だったか」
「いいえ。
ちょうど、考え事をしていました」
「……王国の件か」
「それも、ですが」
セラフィナは、正直に答えた。
「それだけではありません」
カルヴァスは、黙って彼女の向かいに腰を下ろす。
距離は、近すぎず、遠すぎず。
以前なら、意識して保っていた“白い距離”。
今は――意識しなければ、崩れる。
「君は」
カルヴァスが、低い声で言った。
「ここに残るつもりだな」
問いではない。
確認だ。
「はい」
即答だった。
「私は、自分の判断に責任を持てる場所にいます」
「……そうか」
彼は、ゆっくりと頷いた。
その反応に、安堵が混じっていることを、
セラフィナは見逃さなかった。
「カルヴァス様」
「……何だ」
「もし、私がここにいる理由が、
“政治”だけだと思われているなら」
彼女は、言葉を選びながら続ける。
「それは、少し違います」
カルヴァスは、視線を上げた。
「理由は、一つではありません」
沈黙。
だが、彼は促さない。
それが、彼なりの誠実さだった。
「私は」
セラフィナは、静かに言った。
「この公国では、
“何を選んだか”より、
“なぜそう選んだか”を問われます」
「……ああ」
「それが、心地いい」
それは、初めて口にする本音だった。
カルヴァスは、少しだけ目を細める。
「……なら、聞かせてほしい」
「何を、でしょう」
「君自身の選択を」
セラフィナは、一瞬だけ言葉に詰まる。
選択。
それは、仕事の話ではない。
国の話でもない。
――二人の関係の話だ。
「まだ、結論は出していません」
正直な答え。
「ですが」
彼女は、はっきりと言った。
「“白い結婚だから考えない”という選択肢は、
もう取りません」
カルヴァスの表情が、わずかに変わる。
「……それは」
「逃げない、という意味です」
彼女は、微笑んだ。
「期待しすぎもしません。
ですが、蓋もしません」
カルヴァスは、しばらく沈黙したあと、低く言った。
「……君は、厳しいな」
「ええ。
自分にも、あなたにも」
だが、その声音は柔らかい。
「今夜は、それで十分ですわ」
セラフィナは、そう締めくくった。
「答えを出すには、
お互い、少し時間が必要です」
カルヴァスは、ゆっくりと立ち上がる。
「……ああ」
扉を出る直前、彼は一度だけ振り返った。
「セラフィナ」
「はい」
「王国がどうなろうと、
君の価値は、何も変わらない」
彼女は、一瞬だけ驚き――
そして、静かに頷いた。
「ありがとうございます」
扉が閉まる。
一人になった部屋で、セラフィナはランプの灯りを見つめる。
(……覚悟、ですわね)
選ぶことよりも、
選んだあとに立ち続けること。
それが、今、自分に求められている。
白い結婚は、まだ続いている。
だが――
それを続ける覚悟と、変える覚悟の両方が、
初めて同じ重さで、彼女の前に置かれていた。
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