婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

文字の大きさ
31 / 39

第32話 もう、同じ場所には立っていない

しおりを挟む
第32話 もう、同じ場所には立っていない

 その知らせは、穏やかな朝に届いた。

 シュタインベルク公国・公爵邸。

 執務室に差し込む光は柔らかく、
 昨夜の決断を否定するものは、何もない。

「……王国から、使者です」

 側近の声は、慎重だった。

「使者?」

 セラフィナは、書類から顔を上げる。

「どの立場で?」

「正式な外交官ではありません」

 その一言で、
 空気が変わった。

「……個人名義、ということですか」

「はい。
 身分は……」

 側近は、言いにくそうに続ける。

「ノエリア様です」

 セラフィナは、瞬きを一つだけした。

 驚きはない。
 だが、意外ではあった。

「……彼女が」

 カルヴァスは、表情を変えずに問う。

「亡命ではないな」

「ええ。
 あくまで“個人的な訪問”とのことです」

 セラフィナは、静かに考える。

 ノエリア。
 かつて王国で、
 彼女の後ろに立ち、
 何も言えずにいた女性。

(……来るべき人が、来ましたわね)

「お通ししてください」

 即答だった。

「公爵邸の客として」

 それが、
 彼女の立場を示す答えだ。

 応接室。

 ノエリアは、
 以前よりもずっと痩せて見えた。

 豪奢な衣装はなく、
 装飾も最小限。

 それでも、
 彼女は背筋を伸ばしている。

「……お久しぶりです」

 声は、震えていなかった。

「ええ」

 セラフィナは、穏やかに微笑む。

「遠いところを」

 その距離感が、
 すべてを物語っていた。

 もう、主従でも、
 同じ王国の人間でもない。

 **対等な“他国の貴族”**だ。

「突然の訪問、
 失礼とは承知しています」

「構いません」

 セラフィナは、席を勧める。

「今の王国では、
 正式な手続きこそ、
 意味を持ちませんから」

 ノエリアは、
 苦く微笑った。

「……お察しの通りです」

 沈黙。

 彼女は、
 一度だけ視線を落とし、
 それから、はっきりと言った。

「私は、
 謝りに来ました」

 セラフィナは、
 何も言わない。

 否定もしない。
 促しもしない。

「あなたが矢面に立たされていた時」

 ノエリアは、言葉を選ぶ。

「私は、
 “正しい側にいる”と思っていました」

 それは、
 最も卑怯な錯覚だ。

「でも、違った」

 ノエリアは、
 拳を握りしめる。

「私は、
 責任を負わない側に、逃げていただけでした」

 その告白は、
 重かった。

 セラフィナは、
 静かに頷く。

「それに、
 今、気づけたのは――」

「遅い、ですか?」

 ノエリアが、恐る恐る問う。

 セラフィナは、
 少しだけ考えた。

「……遅くはありません」

 その言葉に、
 ノエリアの目が揺れる。

「ただし」

 セラフィナは、
 はっきりと続ける。

「同じ場所に戻れる、という意味ではありません」

 それは、拒絶ではない。

 事実だ。

「王国は、
 今、立て直す気力すら失っています」

「……はい」

「私が戻る理由は、
 もう、どこにもありません」

 ノエリアは、
 唇を噛みしめた。

「……それでも」

 彼女は、
 顔を上げる。

「あなたの選択が、
 間違っていなかったと、
 私は……」

「分かっています」

 セラフィナは、
 静かに遮る。

「あなたは、
 “理解した側”です」

 ノエリアは、
 目を見開いた。

「でも」

 セラフィナは、
 優しく、だが揺るがず言った。

「理解したからといって、
 許される立場に戻れるわけではありません」

 沈黙。

 だが、
 そこに敵意はない。

「……私は」

 ノエリアは、
 小さく息を吸う。

「ここで、
 何かを望む資格はありませんね」

「ええ」

 即答。

「ですが」

 セラフィナは、
 続ける。

「これから、何をするかは、
 あなた自身が決められます」

 それは、
 最後の餞だった。

 ノエリアは、
 深く頭を下げた。

「……ありがとうございました」

 それだけを言って、
 彼女は立ち上がる。

 引き止める言葉は、
 なかった。

 扉が閉まったあと。

 カルヴァスが、
 静かに言う。

「情けを、かけたな」

「いいえ」

 セラフィナは、
 首を振る。

「線を引いただけです」

「……戻れない線を」

「ええ」

 彼女は、
 窓の外を見る。

「私たちは、
 もう“過去の延長線”にはいません」

 王国からの使者は、
 それで終わりだった。

 誰も、
 彼女を連れ戻そうとはしない。

 できないからだ。

 王国は、
 もう交渉のテーブルに
 着ける場所にいない。

 そしてセラフィナは、
 もう振り返らない。

 同情は、する。

 理解も、する。

 だが――
 同じ場所には、立たない。

 それが、
 選んだ者の責任だった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

【完結】恋は、終わったのです

楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。 今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。 『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』 身長を追い越してしまった時からだろうか。  それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。 あるいは――あの子に出会った時からだろうか。 ――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵令息から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

処理中です...