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第113話

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 靴の注文をして一週間から少し……いや、さらに一週間ほど過ぎた後。

 前回にされた窓から熱風が突き抜け、部屋中を舐め去っていく。

「んへーあちゅい……なんで冷房壊れてるの……」
「なあ結城、アイス買ってきてくんね……?」
「やだ……ウニが買ってきてよ。私チョコミント」
「俺仕事中だぞ……うあー……」

 仕事って、受付に誰も来ないじゃん。

 灼熱に包まれた協会。
 連日の猛暑によってどうにか頑張っていたエアコンは完全に沈黙、今では熱風をひり出す悪夢の兵器となって止められている。
 エアコンが壊れたからなんだというのか、構わず燦燦と照り付ける太陽によってこのコンクリートの塊は熱を蓄えに蓄え、内部にいる存在を焼き尽くす地獄の窯と化していた。

 セミの大合唱は休むことを知らず、こちらの耳と頭がおかしくなるほどの音量で奏でられ続けている。
 果たして外に出た方が涼しいのか、それともこの蒸し暑い協会の中でだれている方がいいのか、それはだれにも分からない。

 この熱地獄、ただでさえ人の出入りが少ない昼間の協会であるが、人々はダンジョン内の方が涼しいといって引きこもりを始めた。
 普段は初心者がちらほらと足を運ぶ程度の花咲ダンジョンですら、春の気候だけあって過ごしやすくレベルも低いと人でごっちゃになっているそうだから大概だ。

「大体お前、崩壊なんて起こんねえときは全然起こらないんだから、ここに居たって時間の無駄だろ」

 少しでもと涼を求め、背中をぴったり金属の扉へ貼り付けたウニがほざく。

「だってさぁ……私がいない間に勝手に行っちゃうかもしれないじゃん」

 そう、私だって出来ることならダンジョンに行くか、ホテルに戻ってエアコンを効かせたい。
 だがもし私が協会にいない間にどこかで『ダンジョンの崩壊』が起こり、そして筋肉が一人で向かってしまったらと思うとここを離れるわけにはいかない。

「んあー……お前スマホとか持ってないのかよ、剛力さんだって連絡くらいしてくれるだろ」
「あるわけないじゃん……私住所不定だよ、親だって今どこにいるか分かんないのに……」
「ん……? お前確か協会預金は入ってるんだよな……? じゃあ多分契約できると思うぞ」
「え!? 嘘!?」



 自動ドアの奥、白を基調として清潔感を第一とした店内がお目見えする。
 『きゃりあ』なるものから本当は選ぶ必要があるらしいが、ここいらにそんなあれこれと選べるほど店があるわけでもなく、そもそも私もどこがいいのかなんてのが分かるわけもないので、最寄りの店へ足を運んだ。

 本当にここへ入っていいのか……?

 今まで関係ないと思っていた世界へ踏み入れ頼れるものがない、それだけで人はここまで心細く感じてしまう。
 夏の暑さと張り詰められた意識に汗ばんだ体が、空調の利いた涼しい風に包まれるのを感じながら踏み入れる店内は、今まで踏破してきたダンジョンに勝るとも劣らない緊張感があった。

「いらっしゃいませ! 新規の方ですね!」

 襲撃、店員。

 入り口付近できょろきょろとしていた私へ、笑顔の仮面をかぶった女性が切りかかる。

「うぇ!? えっと……その……そ、そう、新規契約で……」

 『新規契約』

 私がその四文字を口にした瞬間、にこやかな営業スマイルがいびつに歪んだようにも見えた。

 そうか、キャリアショップへ足を踏み入れた時点で、私と嗤う店員、食うか食われるかの運命は動き出していたのだ。
 生存競争のゴングは既に鳴らされている、この獣を飼いならすか喉元を食い破られるかの二択を選ぶしかない。

 下がっていた眉がキリリと吊り上がる。
 相手は唯の人間じゃない、本能的に悟った体が臨戦態勢を取る。

「そうでしたか! では機種についてはどちらを?」

 きしゅ……? 機種!

 そうか、スマホを手に入れることばかり頭にいっていて、そもそも機種だなんだと選ばなくてはいけないことを忘れていた。
 だが機種なんてどれがいいのか全く分からないぞ……

 こちらからどうぞとパンフレットを差し出されたはいいが、そのどれもが似たような見た目、連綿と連なる聞いたことのない言葉によって飾られていてさっぱり何が何だか分からない。
 はて、他の人はこんなものを差し出されてこれがいい! だなんて決められるのだろうか? ちょっと不親切すぎる気すらするぞこれは。

「じゃ……じゃあこれ……」
「パイナップルの相棒シリーズ最新機種ですね!」
「う、うん……」

 帰りたい、もう帰りたい。

 しかし店員さんの追撃はとどまることを知らない。
 これが契約書だ、これは規約だと次から次へ紙が取り出されては机の前に並べられ、さあ読めと拷問まがいの行為を強いてきた。

 クーラーだけが静かに鳴り響く部屋へ紙擦れの音が混じる。

 ようやく読み終われば時計は既に開始から二時間が過ぎていて、しかし本当の戦いはまだ始まってすらいないことを私に思い知らさせた。
 ピカピカに磨かれた爪、それに挟まれて出されたのはいくつかの書類とペン。

 ニタァと彼女の笑みが深まる。

「ではこれへ住所と本人確認証明書を提出ください。健康保険証でいいですよ」

 来た……!

 今まで私がスマホを手に入れられなかった最大の壁。
 だが、だがウニの言葉を信じるなら、協会の預金に入っている人間は様々な登録が既になされており、これ一枚で個人証明などが行えるらしい。
 勿論月々の払落しも可能!

 いける!

「うえ……えへ、い、いえ、その、探索者やってて……家はないんですけど、親もいなくて……こっ、これ、許可証で」
「まあ! 探索者の方なんですね! まだお若いのに預金の登録もしてるなんてすばらしいです! 良かった、今年から探索者の方にお勧めの『わくわく冒険オプション』っていうものを始めたんですよ!」

「え? え? え?」
「この今からでも遅くないデビューオプションと合わせることでですね~」

『いいか、契約するときはオプション全部断れ。お前は間違いなく大量に押し切られて無駄に金を使うことになる、オプションはいらないって言いきれよ。分かったか?』

 ウニがここへ来る前念入りに押して来たことが脳裏を過ぎる。
 うぼじょん? おぶじょんを断る、一切を受けてはいけない、いけないんだ。
 でも、まずい……このままじゃ押し切られる……!

『お前なら行けるスウォム、俺という壁を乗り越えたお前に越えられない壁はないスウォム』

 先生……!

 そうだ、気張れよ私!
 今までいろんな苦難を乗り越えてきたじゃないか、この程度ズバッと言い切ってしまえ!

 言わないと!

 いうぞ! 私は言うぞ!

「あのッ!!!!」

 くそっ、声が裏返った!
 ためらうな、裏返ろうと関係ないだろ! 全部言い切れ! 吐き出せ!

オブジェクション異論はなしで!!!!」
「……? あっ、外国の方ですもんね! 日本語お上手ですね! はい、承知しました! ではお得なオプション全部つけておきますね!!」
「ハイ! お願いします!!!!」

 あれ?
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