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第269話

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 三日かけ、ようやく日本語と魔法陣らしきものを分けることが完了した。
 魔法陣はあちらの世界の文字によって構成されているらしいのだが、筋肉自体には当然その知識がないため、こう、うろ覚えというか、見てくれだけを真似した形になっていることだ。

 分かりやすく言えば日本語を知らない外国人が書いたひらがなに近い。
 『み』と『お』の見分けがついていないようで、魔法陣の上から日本語を消した上、間違っている文字をカナリアが直すという二重の手間がかかった。

 なんて厄介なスキルなんだ……!

 戦う前から高度な情報戦が仕掛けられているとは思いもしなかった。 

 そしてついに分離された式を一枚の紙へ園崎さんが再び写し、カナリアの手に渡されたところなのだが……

「ふむ……」

 口をへの字に曲げ、彼女がランプに紙を掲げる。

「ふむむ……」

 俯き睨む。

「んー……?」

 最後には紙を両手でつかみ、老眼の人さながらに近づけ、遠ざけ、眉をひそめた。
 確かに彼女は自称七十八の老婆的年齢とは言え、まさか本当に老眼になってしまったわけでもあるまい。

「ねえ、早くしてくれない?」
「ふはは、まあ焦るな焦るな。世の中には段取りという言葉がある、全ては順番通りに行ったほうが上手く行くというものだ。そして勇み足は須らく進行を滞らせる」

 上の空で煙に巻くような言葉をずらずらと口にし、再び魔法陣へかじりつく彼女。
 机の上に新たな紙を並べてはなにか書き始め、しかしすぐに手が止まってしまうあたり、どうにも万事うまく行ったわけではないらしい。

「この魔法陣の基礎理論は私が作ったものだ、魔力の消費が多すぎて捨て置いたのだがな。だが……あまりにこねくり回され過ぎて、少し……」
「難しくて分からないのね」

 あまりにストレートすぎる園崎さんの投げかけに、彼女は長い耳をピン、と立たせ、顔を赤くして怒鳴った。

「はぁ!? 分かるが!? 私に分からないものとか少ししかないんだが! これは多重魔法陣なんだ! 本来数層に分けて描かれるものが一つになっているから、元通りバラバラの層に分けるのがちょっと大変なだけだ! 私にかかればすぐに解析できるっ!」

 うるさい。
 第一実際出来てないじゃん。

「落ち着いて、興奮しないで。それより基礎理論って」
「転移だ。ここまで複雑なものとなると膨大な魔力が必要になる、それこそ魔天楼による供給レベルのな。恐らく内容は……あちらの世界とこちらの世界を繋ぐ超大規模での転移魔法。どうやら私の家の中をも随分と荒らされたらしい」

 ぷんすかと自分の家を荒らされたことに酷く腹を立てている様子。

 しかしそんなどうでもいいことより、もっと気になることを彼女は口にした。

「転移……!? それってもしかして」
「ああ。解析して反転させれば、こちらからあちらの世界へ直接乗り込むことが出来る。魔力は幻魔天楼、碧空を利用すればどうとでもなるだろうな」

 筋肉が書き写した魔法陣の正体。それは、異世界をこちらを繋ぐ転移の魔法であった。

「クレストがこちらの世界から旅立ったと知った時、正直どうやって奴を誘いだそうかと思っていた。だが、これさえあれば……剛力め、とんでもないものを遺してくれたものだ」

 にやりとカナリアが笑う。
 小さな手帳から引っ張り出された記憶は、どうやら想像以上に価値があるものだったらしい。

 しれっと、筋肉の手帳が無ければ割と詰んでいたようなことも話しているが、まあ何とかなったから敢えて聞き流してあげよう。


「なるほど、それが貴女達の目的ですか」
『……っ!?』


 その時、三人しかいないはずのこの仮設屋根で、また新たな人の声が響いた。
 私たちの身体がぴりりと警戒に固まる。

 直後、崩れた部分が撤去され、壁だけが残った家の裏から、一人の少女がゆっくりと歩いてきた。

「……っ!? って、なんだ……琉希か……」

 電球一つで保たれた明かりに照らされる彼女の表情がどこか硬いことに気付きつつ、しかし慣れ親しんだ人物であったことに胸をなでおろす。

 いつ彼女に切り出すか、それに関してはずっと考えていた。

 そのスキル、そして私との相性、また偶然とはいえ魔蝕から跳びぬけたレベルになった琉希の力は、現状知る限りで私を除いて最大戦力とも言える。
 きっと今の彼女なら、スキルに頼らず魔法を自在に操るカナリアとも対等に戦えるだろう。

 今、か。

 神の悪戯にも似た、偶然の一致。
 魔法陣の正体を知ることが出来、そして琉希がここにやってきてくれたのは、最悪でもあり最高のタイミングでもある。
 彼女に話すなら、今しかない。

「実はね……」

 筋肉の遺した魔法陣。
 それは異世界へ直接乗り込むことが出来る、現状を打開するための新たな、そして唯一の希望だった。

 やっぱりあいつは凄い奴だ。
 最後の最後まであきらめず、こうやって私たちに希望をつないでくれた。
 まあ、私は最初に会った時から分かっていたけどね。

 そして私は琉希にすべてを話した。

 碧空の変化と、世界へのダメージ。次あの衝撃が来れば、きっとこの周囲に生まれたすべてのダンジョンが一気に崩壊し、最悪の状態へといたることを。
 もはや一からあれこれ準備だなんだとやっている暇はなく、止められるのは状況を理解している私たちしかいないことを。

 手短、数分程度の話を聞き終えた琉希が瞼を閉じ、ゆっくりと頷く。

「ええ、分かっています」
「琉希……!」
「私はそこの駄ルフに話をある程度聞いていますから、フォリアちゃんにこうやって話してもらわなくとも、ある程度察していました。そして貴女が、こうやって私に協力してくれないかと言ってくれることも」

『私を頼ってほしい』

 前に琉希が私に言った事だ。

 ……正直、私個人の考えとしては、こんな危険な戦いに琉希を巻き込みたくはない。
 ただでさえ私とママ、そしてカナリアの関係に彼女を巻き込んでしまった事で、魔蝕や魔天楼という問題に琉希は関わらざるを得なかった。
 もう、彼女には、普通の女子高生として生きてもらいたい。

 でも同時に、一緒に戦った時の安心感は大きなもので。
 きっと彼女と戦うことが出来るのなら、どんな問題でも乗り越えられるような気がしたから。

「だから、断ります。いえ、貴女をそんな戦いへ行かせる訳にはいかない」
「え……」

 だから。
 そんなことを言われるなんて、思いもしなかった。
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