もふもふ浄土は浪の下の都にない

的射 梓

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おまえは人間ではない、叩っ斬ってやる

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(うわぁ……きれいなお召しもの)

 伶莉れいりさまにとつぐことになったわたしは、そのためのお召しものに着替えさせってもらった。
 まっさらで汚れひとつ見つからなくって、指でこすると指がきれいにみがかれそうな布地。
 そのあわせだけじゃなくって、もみじ色の袴とその上にもう一枚の衣も着させてもらった。
 まちがっても土間でごろごろなんてできなさそうだ。

 う……完全に衣装負けしちゃってるよ!
 意地悪なおばさんに見られたら「下衆の紅の袴着たる」なんて言われちゃいそうだ。

(えらい神さまのお嫁さんになるんだし、貧相なわたしは下駄でも雪駄でもはかせてもらわなくちゃね!)

 血痕の戯(?)は鎮守さまでするって聞いたから、まえに神主さんと話したところでやるのかなって思ってたけどちがった。
 まえに行ったところは分社で、神さまはお山の奥にいるからそこまで登らないと終わらないんだって!



 お山は急な坂道が続く。
 神主さんとはふもとでわかれて、今はお兄ちゃんたちと三人だ。
 お兄ちゃんたちは妹の嫁入りがうれしいのか、どんどん先に歩いてく。
 妹のことよろこんでくれるなんていいお兄ちゃんだよね!

「ごめんなさい、もうすこしゆっくり歩いてください」

 でも見失いそうになって、わたしは思わずわがままを言っちゃった。

「あ? とろくせえやつだな」

「このまま置いていってしまおうか兄者。どうせ結果は変わらないだろう?」

(……!!)

 おいていかれたくなくって、重くなってきた足で必死に走った。

「はぁ」

 息がきれる。足が折れそうな気がしてくるけど、それでも必死に前に進んだ。
 言葉ではいじわるだけど、ちゃんと歩くのゆっくりにしてくれたんだよお兄ちゃん。
 さっきとくらべれば、ね。

 きれいなお召しものに泥をはねあげ葉っぱを引っかけながら、なんとか追いかけた。
 ときどき着ているものを払うけれど、かえって払った方向に汚れがひろがっちゃう……。

(せっかくのお召しものをよごしてしまってごめんなさい)

 歩いても歩いてもまだ、鎮守さまにはたどり着かない。
 めげて立ち止まってしまいそうになる。
 でも、なんとかがんばれそうな目印を探して先に向かう。

(あそこにおもしろい形の岩があるし、あそこまでもうちょっとがんばってみようかな)

 あと少し歩いたら、鎮守さまに逢えるかな。
 あの岩のかげに隠れてるところまで行けば、鎮守さまに逢えるかな。
 ずきずきしてきた。足が、壊れそうだよ──

「お兄ちゃん、待っ」

「おら、着いたぞ」

 お兄ちゃんはそういうけど、まだわたしには林と山道しか見えない。
 もう少しだけ先に歩いて、ようやく大きな岩が見えた。
 とてもとても大きな岩。太いしめ縄がぐるりと回されてる。

 もう歩かなくてもいいんだ。
 そう思ったら気が抜けて、近くの岩に座りこんでた。

「なあノノ」

 太郎太郎お兄ちゃんはいつもよりやさしそうに声かけてくれると、こっちに歩いてきた。
 あたたかい心づかいについゾクッとしてしまう。

「餞別だ。いっぱい飲んできな」

「ありがとうございます」

 なんだろう、もらってもいいのかな。
 山登りで疲れてたのもあって、なかなかもらえないでいた。
 そしたら太郎太郎お兄ちゃんにあごを持たれて飲み口を当てられた。

「なあ、遠慮すんなよ」

「ん!!」

 口のなかに甘いような苦いようなものを注ぎこまれる。のどがふさがらないようにって、必死でのみこんだ。飲みきれないものが口元からこぼれ落ちて、お召しものの胸もとを濡らす。

(なんだか分からないけれどお兄ちゃんを怒らせちゃったんだ……)

「ごめん、なさい……」

 理由は分からないけれど、謝ってしまう。
 どくどくと胸が波打つのは、お兄ちゃんが怖いから。
 でも、いつも以上に胸が落ち着かない、気がする──

「ああ? 謝んないでいいぜ。でもそういうのもすごくそそるな。お前、わざとやってんのか」

 いつもの違う雰囲気のお兄ちゃんに言葉がつまる。
 いつの間にか、太郎次郎お兄ちゃんもわたしの背中に立ってた。

「兄者、うしろがつっかえているんだ。遅くなる前に楽しんでしまおう?」

「悪かったな。おまえ、最近いい体になってきたからずっと気になってたんだよ」

 ぞっとしてうしろに引いたら、太郎次郎お兄ちゃんに羽交い締めにされた。
 上に羽織っていた衣の紐を、強引にほどかれる。ほどかれたところの奥、じれったさそうに太郎太郎お兄ちゃんのごつごつした手が入ってきた。

「やめっ」

「おい、暴れんな!」

 じたばたともがいてたら、太郎太郎お兄ちゃんにも腕まわされて身動きが取れなくなる。
 前は太郎太郎お兄ちゃん、背中は太郎次郎お兄ちゃんでぜんぜん動けない。

「へへ……捕まえたぜ。おい太郎次郎、あまりくっつくなよ。男色みたいじゃねえか」

「兄者、男はいいものだよ」

「ははっ、違いねえや! 太郎次郎じゃなきゃな……あがっ!?」

 必死の思いで蹴り上げると、太郎太郎お兄ちゃんが足のあいだを押さえて地面に転がった。
 すぐに太郎次郎お兄ちゃんの指をにぎると、関節の曲がる方向と逆方向に思いっきり曲げた。

「ぐああっ?!」

 お兄ちゃんたちがもだえている間になんとかその場を逃げ出した。
 帰る道も、帰ってどうするかも分からないけれどとにかく逃げ出した。
 でも痛む足はいうことを聞いてくれない。
 もたもた逃げているうちに、太郎太郎お兄ちゃんが抜き身の道中差しを持って追いかけてくる。

「神さまの嫁とか言ってどうせ山犬のエサになるのがオチだから、大人しくしてりゃ助けてやろうと思ってたのによおっ! クソがっ! テメエっ、ぶっ殺してやる!!!」

 逃げなきゃって思う。逃げる。
 けど、歩いても太郎太郎お兄ちゃんとの距離は縮まるばかり。

「お兄ちゃん、やめてっ」

 歩く先に、いつも遊んでくれる大きいキツネくんが見えた。
 あの子がおぶってくれたら助かるかな。
 でもいつもイジワルしちゃってるからだめかな……。

「追いついたぜ、死ねよ、おら!」

 背中に聞こえた太郎太郎お兄ちゃんの声が近い。
 もうだめって思った。
 目を閉じて体を抱え込む。

 そしたら、背中で「キン」と金物どうしがぶつかった音がした。

「んだよ」

やかましい。我の神域をけがす不届き物が」

 這いつくばりながら、おそるおそる背中を振り向く。
 そしたら、背の高い男の人が立ってた。
 神主さんが何もないときに着てるような服を着た人だった。
 ただ違うのは、頭のてっぺんにきつねみたいな耳がついてるとこで──

 津波のとき助けてくれたおきつね様だって、すぐ分かった。

「へへっ、やだな、俺は妹がイノシシに追われてたのを助けに来ただけですよ。逃げちまったみたいですけど」

 おきつね様は刀をにぎったまま、太郎太郎お兄ちゃんを冷たく見おろす。

ゆるせぬ。おまえは人間ではない、叩っ斬ってやる」

 太郎太郎お兄ちゃんに向かって、刀が振り下ろされようとしている。

「だめぇっ!」

 思わず叫んでた。

「ひィっ!」

 金切り声に耳をふさぐ。
 太郎太郎お兄ちゃんは道中差しを落としたまま、逃げていった。

「なぜあのような輩をかばうのだ? 兄だからか」

(ちがうよおきつね様。わたしそんないい子じゃない……)

「おきつね様の神域が、あいつの血で汚れるのが嫌だったからです」

 不安げに見上げると、おきつね様はくすりと笑った。

「ノノのお陰で同田貫どうたぬきに汚らわしい血を吸わずに済んだ。礼を言う」

 不思議に思った。脊髄反射で聞いていた。

「おきつね様なのに、タヌキなんですね」

「タヌキじゃない。同田貫だ」

「どう、タヌキ」

 おきつね様はあきれたようにため息をついた。
 そんなおバカな話をしていたら、すこし気がやすらいだ。ふふっ。

「そして、我の名前は伶莉れいりだ」

 その名前を聞いて、とくんと胸が高鳴る。

「伶莉さま……。わたし、怜悧さまの」

 どきどきして、声が小さくなってしまう。

「ん?」

 やっぱり聞き取りづらいみたいで、伶莉さまはよく聞こえるようにって顔を近づけてくる。そのしぐさにもっとどきどきしてしまう。
 すぅっと息をして、つづけた。

「わたし、伶莉さまの嫁になれと言われて、きました」

 伶莉さまの土色のひとみを、じっと見あげた。
 そのひとみが悲しげに揺れる。

「すまない。我が弱いから、我の力がノノにしか及ばなかったばかりにおまえを孤独にさせてしまった」

 わたしも、泣きそうになる。
 だって、嫌。そんな悲しそうな顔しないでほしかった──

「伶莉さまは、わたしを助けたこと、後悔されているのですか。わたし、伶莉さまに助けてもらったからがんばらなくっちゃって、ずっとそう思って今日まで生きてきました。伶莉さまがいつかまた助けてくれたらいいなって、ううん、そうじゃなくても助けてくれたんだからって」

 言葉がまとまらなくて、ただ音を吐きだすばかりになる──
 そうしてたら、伶莉さまの大きな手でぼさぼさになってた頭をそっと梳かれた。
 心のなかまでかきまぜられたみたいに、考えてることがすっきりとしてくる。

「それにもう、ひとりでがんばらなくていいですよね」

「ああ。ノノは我の嫁だ」

 伶莉さまに向かって手をのばす。のばそうとする。でも、手がふるえてなかなか届かない。
 その手を伶莉さまはしっかりとつかんでくれた。

 背中ささえてもらって抱き上げられる。
 伶莉さまのうでの中に、すっぽりと収まっちゃった。小さい子みたいでちょっと恥ずかしい。

「伶莉……っ、さま……ん……」

 どきどきしてどうしようもない。息もうまくできない。
 体じゅうあつい。とくにおなかの奥がきゅうっとして、足をもじもじとしてしまう。

「ノノ、どうした? 大丈夫か」

「兄に、なにか飲まされたせいかも、……っん、です、……!」
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