音のない世界を裂く!

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~第十一章 『魅せる』手話コーラス~

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 波乱の合宿も終わり、手話コーラスの練習もついに大詰めに近付いていた。毎日、空きコマに練習し、夜も遅くまで残る。
「たっくん、手。もっと、しっかり伸ばす」
「はい!」
「手話コーラスは、単に話すだけじゃない。観客に『観せる』んだから。綺麗に『観せ』ないと!」
「はい! 分かりました!」
 練習を再開した。しかし……
「まだ、手が中途半端!」
「えっ……」
 中々、ビシッと手を伸ばして手話が決まらない僕に、沙羅はため息を吐いた。
「たっくん。今から本番が終わるまで、何かをする時以外には、ずっと手の平を伸ばして生活すること」
「えっ?」
「手の平を伸ばすことなんて、日常生活では滅多にない。だから、手話コーラスで急に伸ばして綺麗な手話をしようとしても、難しい。だから、いっそのこと、普段から、常にビシッと伸ばしときなさい」
「常にビシッと……」
「そう。そうすることで、本番でもメリハリのある、綺麗な手話を『観せる』ことができるわ」
「は……はぁ……」
 想像してみた。手の平を常にビシッと伸ばしている人なんて、あまりいない……というか、ちょっと滑稽で、面白い。
「はぁ、じゃなくて、はい! もう、手話コーラス本番まで、一週間切ってるんだから!」
「は……はい!」
 慌てて返事をした。
 そんな僕を見て、沙羅は微笑む。
「たっくんは、最初、来た時と比べると格段に上手くなってるんだから。本当に、あと少し。あとは、観客を『魅せる』ことが出来るようになるだけよ」
「はい!」
 僕は、今度は力強く返事をした。


 合宿を終わって、僕達『恋唄班』の絆はより一層深まった。僅かな日数ではあったけど、ずっと一緒に練習して、苦楽を共にして……恋愛もして。
 この『恋唄班』なら、絶対に観客を『魅せる』最高の手話コーラスを演じることができる。そう思った。

「あんた……何、その手?」
 昼休みの食堂。里香が、ビシッと伸ばしている僕の手を見てクスッと笑った。
「うん……手の平を伸ばして綺麗に手話ができるように、矯正してるんだ」
「はは~ん。やっぱ、サークルでやる手話コーラスは、『本来の手話』でなく、『観せる』ための『基本』に忠実な手話なのね」
「本来? 基本?」
 僕が不思議な顔をすると、里香は目を細めた。
「実際の聾者で手話を使う人は、そんなにビシッと『見やすさ』にこだわったりはしない。何ていうのかな……手話にメリハリがなかったり、流れていたり。いわば、私達で言う『訛り』があるのよね」
「訛り……」
「そう。聾者の間では伝わるけれど、たかだかサークル員が見ても、分からない。まぁ、きっと、あんたもそのうちに直面する問題だとは思うけど。今は、そうね。サークルで教えてもらう基本に忠実な手話を身につけるのが、一番ね」
 知らなかった。手話にも、訛りがあるんだ。とすれば、方言みたいなのもあるのかも知れない。
 でも……やっぱり今は、里香も言う通り、手話の『標準語』を身につけることが一番なんだろう。
「そうだよな。今の僕は『標準語』でさえ、満足に話せない段階だし……」
 僕は苦笑いする。里香は「ファイト!」と言って、僕に軽くデコピンをした。


 『観せる』手話……。
 僕は、トイレの鏡を見て手話をしてみる。
 確かに手の平をビシッと伸ばしてする手話は、見やすく、分かりやすい。見た目にも綺麗だ。それに、キレがある……というか、メリハリがあり、手話から手話への移行が分かりやすい。
 思えば、『恋唄』は、ラップ調の歌だ。なので、自ずと手話のスピードも速くなり、分かり辛くなる。
 でも、だからこそ、分かりやすい手話で観客を『魅せ』なければならない。
 手話コーラスというのは、細部に渡る心遣いが重要なんだと思った。
 僕は練習の時間まで、周囲の目をやや気にはしながらも、手をビシッと伸ばし続けた。 

 サークルでの練習が始まり、僕は毎日の成果を披露した。
 軽快なリズムのサウンドが流れる瞬間にそのリズムに合わせ、手をすっと伸ばした手話をする。
 自分でも分かる。その手話は美しく、さながら芸術のようだった。
 そしてそれに『伝えたい』という自分の魂を込めることで、自ずと顔の表情も曲の細部に渡り洗練されたような気がする。
「すごい……綺麗」
 僕のコーラスを見る『恋唄班』の皆も目を輝かせる。

「たっくん、凄いよ! ここに来たばかりの頃とは、見違えた!」
 曲が終了すると、沙羅が白い歯を見せた。
「本当に。俺、抜かされたかも」
 パンダは頭を掻いている。チェリーは無言ながらも瞳に歓喜の色を浮かべていた。
「ありがとうございます! でも……僕がここまで上達できたのは、皆さんのおかげです」
 恋唄班の皆を、改めて真っ直ぐ見た。
「この素敵な班で皆さんと一緒に練習できて、すっごく楽しいから……皆で『聾者に音を伝える』っていう目標に向かって進むことがこんなに楽しいなんて……。僕、今まで、そんなことしたことなかったから」
 自分の瞳がじんわりと涙で滲むのが分かった。
「僕、ここに……『歩み』に入るまで、皆と力を合わせてやるなんて、面倒なことだと思っていました。人と関わるのが煩わしくて、逃げていた……。でも、『歩み』で……この『恋唄班』で皆で一緒にコーラスを作り上げて、観客を『魅せる』ことができる。それが、とても嬉しくて……」
「ちょっと、何、しんみりしてるのよ」
 感極まってつい涙声になってしまった僕に、沙羅は可笑しそうに笑った。
「泣くのは本番……全てが成功してからよ。あなたは彼女……聾者のいる『音のない世界』を裂くっていう、大きな夢があるんでしょう」
 沙羅は笑いながらも、その目はしっかりと僕を見つめていた。
「それに、あなた、本当に上手になったけど、まだ少し動きが固い。残り三日間、私達が今まで以上にビシバシ鍛えてあげるから、覚悟しときなさいね!」
「はい!」

 厳しいけれども、皆で一つになれるのが、楽しくて仕方がない。
 本番までのラスト三日間、聾者を『魅せる』手話コーラスを精一杯磨こう……その日も練習をする僕はそう思ったのだった。

 本番も二日後に控えた講義でのノートテイク。もうすっかり慣れて、要点をまとめスラスラとノートをとることのできるようになった僕を見て、里菜は目を細めた。

(ついに、明後日ね)
 講義後。里菜が僕に手話で話す。
(はい。絶対に、観に来て下さいね)
(もちろん)
 自分の手話に熱い想いを込める僕に、里菜はにっこりと笑った。
 毎日のようにサークルの練習に通って、『恋唄』一曲を自分のものにしただけで、僕の手話のスキルは以前とは比べ物にならないほどに上達した。
 それは何の訛りもなく飽くまで『標準語』の手話だったが、彼女に『観せる』手話……。そして僕は明後日、自分の手話コーラスで彼女を『魅せる』のだ。
(僕、明後日……手話コーラスで、あなたの『世界』を裂きます)
(世界を裂く?)
 里菜は不思議そうな顔をした。
 僕は彼女を真っ直ぐ見て頷く。そして、手話をするとともに、はっきりと口に出して言った。
「僕は手話コーラスで、あなたに『音楽』を伝えます。そして、あなたの『音のない世界』を裂きます。僕の全力を懸けて、絶対に」
 里菜はその言葉に、目を輝かせて頷いたのだった。
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