千五百万分の一の三毛猫喫茶

いっき

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最終章 千五百万分の一の三毛猫喫茶

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 美沙との再会から二年後。僕は、現役で某国立大学の獣医学科に合格した。それからの六年間は、動物と向き合う楽しさに溢れている反面、辛いことの連続でもあったが、僕は学校に通い続けた。
 そして、再会から八年後。無事に卒業した僕は、国家試験の合格発表当日を迎えていた。
 朝から、パソコンの前にはりつき結果発表を今か今かと待つ。こういう時間って、一番長く感じる。時計の秒針が一秒毎に時を刻むチッチッチッという音、それが僕の苛立ちを掻き立てる。
 午前十時。
 ついに、ホームページ上に合格者受験番号が掲載された。
 僕の番号は、偶然にも『33』。『みさ』と読める。
 そんな偶然はさておき、食い入るように合格者の番号を見る。
 30、31、32……33
 あった……。ほっと胸を撫で下ろした。
「どうだった?」
 今では十匹に増えた『三毛猫喫茶』の猫達のごはんをやり終えた美沙が、緊張した面持ちで喫茶店二階の部屋に来る。笑顔でOKサインを見せると、彼女も緊張の糸が解けほっとした顔をした。
「ま、一眞なら絶対に受かると思ってたけどね」
 そう言って、輝く瞳を柔らかく横長にする。
 そう。僕は、大学に入学してから、ずっとここで美沙と一緒に暮らしている。
 勿論、お互いの親も公認の同棲だ。
 そして今日、僕は獣医師の国家試験に合格した。美沙の『三毛猫喫茶』も、帰宅途中の学生や、動物好きの子供たちに大人気で、連日賑わっている。
 僕達は、お互い十五年前の夏の『約束』を果たしたんだ。
「それで、もう一つの『約束』も忘れてないわよね」
 美沙は、輝く瞳をさらにキラキラさせて僕を見る。
「まぁね。でも、それより先に、大学に合格証を取りに行かなきゃ。美沙、今日もファイト!」
 少し恥ずかしくなってそう言い、彼女の唇にキスをする。今では、これは日課だ。
「ありがとう。今日も頑張る」
 溢れ出んばかりの笑顔は言った。

 合格証を受け取って帰るまでの間、これまでの道程を思い浮かべていた。
 獣医師になるのは、決して平坦な道ではなかった。動物達の理不尽な死に直面し、何度も僕の心は陰り、挫けそうになった。でもその度に、真夏の太陽のような美沙の笑顔と明るさが僕の心を照らしてくれたのだ。
 天文学的な確率……いや、運命で繋がれた僕達は、これからもずっと一緒だ。そう思った。

 帰る頃にはもう閉店間際になっていた『三毛猫喫茶』の前で、小学校中学年くらいの少年がキジ猫を抱いていた。『三毛猫喫茶』の猫で、『キジ』という名前をつけていた。
 もとは、捨て猫だったのを拾って『三毛猫喫茶』の一員にしたのだ。
「マモル君、キジのこと、大切にしてね」
 美沙の眩しい笑顔は、その少年を明るく照らす。
「うん、もちろん。ねぇ、お姉さん。僕、これからもキジを連れてお店に来るよ」
 トマトのように赤くなった少年は言った。
「うん、ぜひぜひ来てね。うちには、頼もしい獣医さんがいるんだから」
 眩しい笑顔が八重歯を見せると、少年は少しムッとした。
「僕も、大人になったら獣医さんになる。そんで、そうしたら、お姉さん。僕と……」
「え、何?」
 笑顔が不思議そうな顔に変わると、真っ赤な顔の少年はキジ猫を抱えたまま走り去った。
「相変わらず、美沙はモテるなぁ」
 物陰から出て、からかうように言った。美沙はようやく少年の意図を読み取ったらしく、慌てて言う。
「いや、そんなんじゃないって。あのコはうちによく来るコで、キジをもらってくれるって言うから……」
 両頬が桃になる。そんな美沙の左手をそっと持ち、静かに薬指に指輪をはめた。
「みんなが大好きな美沙だから、僕がちゃんと捕まえとかなきゃ。誰にも取られないように」
 僕の大好きな瞳は丸くなって、自分の薬指に光る指輪を見る。
 そして、
「すごい……嬉しい」
 涙で潤んだ。
「僕の体のことで、美沙には辛い思いをさせるかも知れない。僕は普通の男じゃないし、子供ができないかも知れない。でも、やっぱり僕も『運命』っていう言葉に全てを賭けてみようと思う」
 真っ直ぐ彼女を見て言う。
 すると、彼女の頬はまたしても桃になり俯いた。
「そのことなんだけど、実は……」
「どうしたん?」
 その様子を不思議に思って聞いた。
「私、生理がしばらく止まってて。今日、妊娠検査薬で試してみたら……」
 僕に『陽性』の印のついた妊娠検査薬を渡した。
「信じられない……」
 夢のようだった。美沙のお腹には、新しい『命』が宿っている。僕が一度は諦めていたことだけど、美沙は希望を捨てなかった。
 果てしなく低い可能性。僕達は、その『幸せ』を手にしたのだ。
「あの看板も、書き直さなくちゃね。『クラインフェルター症候群』って、子供のできる確率、何分の一なのかな?」
 『千五百万分の一の三毛猫喫茶』と書かれた看板を見て言う。
「もう、『運命』の三毛猫喫茶でいいんじゃない?」
 僕が笑いながらそう言うと、美沙も恥ずかしそうに笑った。
「それより。これから産婦人科へ行って確認しよう。妊娠検査薬って、これまた天文学的な確率で外れることもあるみたいだから」
「うそっ」
 さっきまで微笑んでいた瞳は、急に不安そうな色を見せる。
「まぁ、まずないだろうけどね」
「もう、脅かさないでよ!」
 ほっぺたを膨らます仕草が、堪らなく愛しい。
「それと、確認したら……結婚式を早めよう。どこでやりたい?」
 すると、希望に満ちた瞳はじんわり滲み、横に細く広がった。
「やっぱり私、この町……この店で式を挙げたい。だって私達、この町で出会って、この店で再会して。私、ここが一番好きだから……」

 寄せては返す波を見る。青い海は、オレンジ色の夕陽と温かく調和している。そんな温かい夕暮れ時、僕達は限りなくゼロに近い確率の運命がもたらす、これからの幸せに想いを馳せる。
 店のカウンターテーブルでは、もう十五歳のおじいさん猫になったミケが、気持ち良さそうにすやすやと眠っていた。
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