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マリー
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◇◇◇
マリーの実家であるガルシア伯爵領は、ナイトレイ侯爵領から王都に向かう途中にある。馬車での移動なら一週間、早馬なら三日程で到着する距離だ。ウィリアムが王都へ向かう際は、必ずガルシア伯爵邸に立ち寄り、世話になっている。
その縁で、マリーはシルヴィアの子守兼護衛を勤めることとなった。学園を卒業と同時にナイトレイ侯爵邸入りし、アルバートの家庭教師をしながら、シルヴィアの誕生を待った。不思議な話だが、フローラにはお腹の子が女児である確信があった。そういう訳で、マリーに白羽の矢が立てられた、とマリーは聞いている。
病床に伏すまでのシルヴィアは、天真爛漫で好奇心旺盛、少々我が儘な四歳らしい愛らしい子だった。しかし、昏睡から目覚めたシルヴィアは、別人の様に大人びた。
ナイトレイ家では、この変化を〈覚醒〉と言い表している。
覚醒後のシルヴィアは、悪夢に憔悴し、駆り立てられるように鍛錬に励み、知識を貪欲に求めた。シルヴィアの見せる無意識の振る舞いは、淑女の嗜みを完璧に心得ている者にしか出来ない所作だ。なのに、そのことを隠し、幼女の様に振る舞う努力をしていた。その努力に、ナイトレイ家の皆が気付いていた。
更には、神の加護が授けられた。シルヴィアには、子守も護衛も家庭教師さえも必要なくなってしまった。マリーは今、敬愛するシルヴィアの側にいるために、必死に努力している。用済みと見なされないよう、日々魔法に磨きをかけ、情報収集に勤しみつつ、侍女として、シルヴィアを取り囲む神や精霊達の話を見聞きし、驚きに満ちた、刺激的な日々を過ごしている。
◇
マリーの兄エドワードは、次期伯爵なのだが、今は国の医療研究機関に勤めている。王都の研究棟に住み込んでいるのだが、研究に熱中し過ぎて、部屋に戻ることさえも時間が惜しいと嘆く程の学者肌だ。素材収集の為なら、何処へでも自ら赴く。
念願のナイトレイ領訪問が叶うこの日を、指折り数えて待ちわびる様子が、当人より先に到着した荷物から推測された。
マリーは両親に、ナイトレイ領での湯治旅行へ招待したのだが、それは兄を大いに落胆させた。決めたら即行動の兄は、侯爵夫妻への感謝状に手紙を添えた。両親に先んじて視察したい旨を切実に綴り、懇願した。兄に好感を持った侯爵夫妻は、「是非に」と返答した。
◇
エドワード・ガルシア伯爵令息お着きの知らせを受けて、マリーはエドワードの待つ客室へと向かった。
「やあ!マリー、久し振りだね。こんなに立派な部屋を使ってもいいのかな。長旅の汚れを落としてから、麗しい我が妹を抱きしめてもいいかい?」
知らせは受けていたが、紛うことなき貴族である兄は、本当に単身で来訪した。腕が立つことは知っていても、魔獣が出現したらどうするつもりなのか。と説教する気でいたのに、毒気をぬかれてしまった。
「お兄様、お元気そうで何よりですわ」
「マリーは、随分肌艶が良いね。何か特別な手入れをしているのかい?食べ物や習慣、環境に寄るところかな?」
早速、妹を研究素材のように観察している。肌艶を褒められた事は嬉しいが、こうも間近で凝視されては、さすがのマリーも居たたまれなくなった。
「お兄様、先ずは、温泉へご案内いたしましょうか」
「おお!温泉!」
その言葉を待っていました、と言わんばかりにエドワードは頷いた。
トントントントン、とノック音がし、振り返ると、開け放たれたままのドアの外から「失礼してもよろしいでしょうか?」と、ノアが尋ねた。
「どうぞ」
「エドワード様、ようこそお越し下さいました。御滞在中の世話役を仰せつかっております。ノア・ネイサンと申します」
「ネイサン、世話になるよ。ん…、ノア・ネイサン…」
「ノアとお呼び下さい。これから、温泉へ向かわれますか」
「頼む、ノア。案内してくれ」
「畏まりました」
マリーは、ノアが兄の世話役になるとは思ってもいなかった。
「ノア、アルバート様の執事はどうなさるのですか」
「勿論、私が務めます。マリー嬢、私が兄上の世話役を致しますので、ご安心下さい」
「……、お願い致しますわ」
とは言ったものの、何故ノアが?とマリーは疑問に思った。
ノアはエドワードの着替えを預かり、二人は温泉へと向かった。
残されたマリーは、ソワソワとした心地で落ち着かなかった。
◇
エドワードは、温泉へ向かう道中、効能などを根掘り葉掘り、ノアに尋ねた。
館の門を潜る前に、秘密保持の魔法契約書は交わしてある。研究材料として持ち出せないのは残念だが、知りたいという欲求には抗えない。
「あっ、思い出した!貴殿は、僅か十一歳で学園を卒業した、かの有名なノア・ネイサンか」
「私を御存知ですか。光栄です」
「在学中だったし、今でも語り継がれているよ。ノア直々に話が聞きたいな」
要望に応え、ノアはエドワードの滞在中、時間の許す限り二人で語らい合った。
初めは、来客として、マリーの兄として接していたが、次第に気さくなエドワードと共に過ごす時間が楽しくなってしまった。学園生活を取り戻したかのような気持ちだった。あの時は、早く卒業してナイトレイ家に仕えたいと我武者羅で、学園生活を楽しむ余裕などなかった。
エドワードは、朗らかで気の利くだけではないノアをすっかり気に入ってしまった。波長が合うのか、会話が弾み、一緒に居て落ち着く。
ノアはナイトレイ家からの信頼も厚い上に、目が高い。妹のマリーを意識しているのは明らかだ。マリーの輝くような美しさも、ノアが一役買っているのだろう。一生の付き合いになりそうだ、と嬉しく思った。
お互いが気付かぬ間に、初めての親友になっていた。
◇◇◇
まるで本当の兄弟のように仲良くなった二人の様子にマリーは複雑な心境のようだ。
シルヴィアはフローラとのお茶の時間にマリーの様子を語り出した。
「お母様。マリーはエドワード様とノアの両方に悋気を起こしているようですの」
「まあ。ヴィー、詳しく聞かせて頂戴」
「マリーは、ノアにエドワードお兄様を盗られ、エドワード様にはノアの関心を奪われたようで寂しいのですわ。マリーが結んだ縁ですのに、乙女心は複雑ですわね」
「おほほ。ヴィーのルフ様は、ヴィーだけを想って下さるから安心ね」
「……はい。……嬉しゅうございますわ」
恥ずかしさに全身を赤く染め、瞳を潤ませながら、幸せを噛み締めるように、しとやかに返答するシルヴィアの佇まいは、母親のフローラも見惚れてしまうほどの貴婦人である。
マリーは、シルヴィアの素直な言葉に、唯々、感動していた。
◇◇◇
マリーの実家であるガルシア伯爵領は、ナイトレイ侯爵領から王都に向かう途中にある。馬車での移動なら一週間、早馬なら三日程で到着する距離だ。ウィリアムが王都へ向かう際は、必ずガルシア伯爵邸に立ち寄り、世話になっている。
その縁で、マリーはシルヴィアの子守兼護衛を勤めることとなった。学園を卒業と同時にナイトレイ侯爵邸入りし、アルバートの家庭教師をしながら、シルヴィアの誕生を待った。不思議な話だが、フローラにはお腹の子が女児である確信があった。そういう訳で、マリーに白羽の矢が立てられた、とマリーは聞いている。
病床に伏すまでのシルヴィアは、天真爛漫で好奇心旺盛、少々我が儘な四歳らしい愛らしい子だった。しかし、昏睡から目覚めたシルヴィアは、別人の様に大人びた。
ナイトレイ家では、この変化を〈覚醒〉と言い表している。
覚醒後のシルヴィアは、悪夢に憔悴し、駆り立てられるように鍛錬に励み、知識を貪欲に求めた。シルヴィアの見せる無意識の振る舞いは、淑女の嗜みを完璧に心得ている者にしか出来ない所作だ。なのに、そのことを隠し、幼女の様に振る舞う努力をしていた。その努力に、ナイトレイ家の皆が気付いていた。
更には、神の加護が授けられた。シルヴィアには、子守も護衛も家庭教師さえも必要なくなってしまった。マリーは今、敬愛するシルヴィアの側にいるために、必死に努力している。用済みと見なされないよう、日々魔法に磨きをかけ、情報収集に勤しみつつ、侍女として、シルヴィアを取り囲む神や精霊達の話を見聞きし、驚きに満ちた、刺激的な日々を過ごしている。
◇
マリーの兄エドワードは、次期伯爵なのだが、今は国の医療研究機関に勤めている。王都の研究棟に住み込んでいるのだが、研究に熱中し過ぎて、部屋に戻ることさえも時間が惜しいと嘆く程の学者肌だ。素材収集の為なら、何処へでも自ら赴く。
念願のナイトレイ領訪問が叶うこの日を、指折り数えて待ちわびる様子が、当人より先に到着した荷物から推測された。
マリーは両親に、ナイトレイ領での湯治旅行へ招待したのだが、それは兄を大いに落胆させた。決めたら即行動の兄は、侯爵夫妻への感謝状に手紙を添えた。両親に先んじて視察したい旨を切実に綴り、懇願した。兄に好感を持った侯爵夫妻は、「是非に」と返答した。
◇
エドワード・ガルシア伯爵令息お着きの知らせを受けて、マリーはエドワードの待つ客室へと向かった。
「やあ!マリー、久し振りだね。こんなに立派な部屋を使ってもいいのかな。長旅の汚れを落としてから、麗しい我が妹を抱きしめてもいいかい?」
知らせは受けていたが、紛うことなき貴族である兄は、本当に単身で来訪した。腕が立つことは知っていても、魔獣が出現したらどうするつもりなのか。と説教する気でいたのに、毒気をぬかれてしまった。
「お兄様、お元気そうで何よりですわ」
「マリーは、随分肌艶が良いね。何か特別な手入れをしているのかい?食べ物や習慣、環境に寄るところかな?」
早速、妹を研究素材のように観察している。肌艶を褒められた事は嬉しいが、こうも間近で凝視されては、さすがのマリーも居たたまれなくなった。
「お兄様、先ずは、温泉へご案内いたしましょうか」
「おお!温泉!」
その言葉を待っていました、と言わんばかりにエドワードは頷いた。
トントントントン、とノック音がし、振り返ると、開け放たれたままのドアの外から「失礼してもよろしいでしょうか?」と、ノアが尋ねた。
「どうぞ」
「エドワード様、ようこそお越し下さいました。御滞在中の世話役を仰せつかっております。ノア・ネイサンと申します」
「ネイサン、世話になるよ。ん…、ノア・ネイサン…」
「ノアとお呼び下さい。これから、温泉へ向かわれますか」
「頼む、ノア。案内してくれ」
「畏まりました」
マリーは、ノアが兄の世話役になるとは思ってもいなかった。
「ノア、アルバート様の執事はどうなさるのですか」
「勿論、私が務めます。マリー嬢、私が兄上の世話役を致しますので、ご安心下さい」
「……、お願い致しますわ」
とは言ったものの、何故ノアが?とマリーは疑問に思った。
ノアはエドワードの着替えを預かり、二人は温泉へと向かった。
残されたマリーは、ソワソワとした心地で落ち着かなかった。
◇
エドワードは、温泉へ向かう道中、効能などを根掘り葉掘り、ノアに尋ねた。
館の門を潜る前に、秘密保持の魔法契約書は交わしてある。研究材料として持ち出せないのは残念だが、知りたいという欲求には抗えない。
「あっ、思い出した!貴殿は、僅か十一歳で学園を卒業した、かの有名なノア・ネイサンか」
「私を御存知ですか。光栄です」
「在学中だったし、今でも語り継がれているよ。ノア直々に話が聞きたいな」
要望に応え、ノアはエドワードの滞在中、時間の許す限り二人で語らい合った。
初めは、来客として、マリーの兄として接していたが、次第に気さくなエドワードと共に過ごす時間が楽しくなってしまった。学園生活を取り戻したかのような気持ちだった。あの時は、早く卒業してナイトレイ家に仕えたいと我武者羅で、学園生活を楽しむ余裕などなかった。
エドワードは、朗らかで気の利くだけではないノアをすっかり気に入ってしまった。波長が合うのか、会話が弾み、一緒に居て落ち着く。
ノアはナイトレイ家からの信頼も厚い上に、目が高い。妹のマリーを意識しているのは明らかだ。マリーの輝くような美しさも、ノアが一役買っているのだろう。一生の付き合いになりそうだ、と嬉しく思った。
お互いが気付かぬ間に、初めての親友になっていた。
◇◇◇
まるで本当の兄弟のように仲良くなった二人の様子にマリーは複雑な心境のようだ。
シルヴィアはフローラとのお茶の時間にマリーの様子を語り出した。
「お母様。マリーはエドワード様とノアの両方に悋気を起こしているようですの」
「まあ。ヴィー、詳しく聞かせて頂戴」
「マリーは、ノアにエドワードお兄様を盗られ、エドワード様にはノアの関心を奪われたようで寂しいのですわ。マリーが結んだ縁ですのに、乙女心は複雑ですわね」
「おほほ。ヴィーのルフ様は、ヴィーだけを想って下さるから安心ね」
「……はい。……嬉しゅうございますわ」
恥ずかしさに全身を赤く染め、瞳を潤ませながら、幸せを噛み締めるように、しとやかに返答するシルヴィアの佇まいは、母親のフローラも見惚れてしまうほどの貴婦人である。
マリーは、シルヴィアの素直な言葉に、唯々、感動していた。
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