スパダリ社長の狼くん

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第四章

二十一話

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 お守りを調べながら、春香が頷いた。
「うん、いける。直せるわ。どんな刺繍でもいいの?」
「うん。できれば、瞬がそれを見た時に少しでも気持ちが明るくなるようなものであれば嬉しい」
 そうね、と頷いた春香が針に水色の糸を通す。丹念に縫い合わせてから、何かを刺繍していく。
「すまないね、突然こんなことを頼んで」
忍が美桜をあやしながら詫びる。春香が手は休めないまま笑った。
「ううん、全然いいわよ。あたしこういうの得意だし、瞬ちゃんずいぶん頑張ったんだって裕ちゃんから聞いたもの。それに美桜を見ててもらえるだけでもう」
 美桜がむずかっているのを難なく寝かしつけて見せる忍に首を傾げてしまう。
「ねぇ。前も思ったのよ、東條さんもしかしてバツイチ?」
 忍がぎょっとする。どうして? と驚いたように尋ね返す。
「だってあんまりにも赤ちゃんの扱いが上手いんだもの。隠し子いたりしないわよね?」
 疑惑に満ちた視線に吹き出す。困ったようにかぶりを振って、抱いている美桜の小さな手のひらに指先を触れさせる。ぽっちゃりとした指が反射のようにその指を握りしめた。
「ああ、そういうことか。いないよ。僕が赤ん坊をあやすのに慣れてるのは子供の頃から兄弟の面倒をよく見てたからだね」
「そんな小さな頃のこと覚えてるもの?」
 更に疑わしそうに尋ねてくる春香に説明をする。なかなか深い疑いに加えて、東條家の特徴のようなそれを解説するのがまず骨が折れた。
「僕の実家……というか、中学生まで暮らしていた家というのか。少し特殊な家系なんだ。一族の全員が個人として成功を収めることを強く求められる。結果として一族のほとんどの人間が政治経済の有識者だったり会社経営者だったり、変わり種だと芸術で有名なのもいる。そしてそれを子供にも当然のように求めるし、成功のための人脈を作るためなのかやたらと子供も多いんだ。僕には腹違いも含めて兄弟が18人いるんだよ。だから僕が中学三年の時に面倒を見ていたのが新生児だったというのも当然と言えば当然で……祖母に連れられて独り立ちの準備のために引っ越すまではそんな環境にいたからね」
「…………作り話じゃないわよね」
「残念ながら事実だ。僕もあまり認めたくないけれど」
 休むことなく動く針が、袴を縫い合わせた糸を隠していく。完成を楽しみに待ちながら、寝息を立てる美桜を懐かしむように抱き直す。
 ふと、その形のいい唇から無意識に漏れたように呟いた。
「……成功することってそんなに大事だろうかと僕は思うけれどね」
僅かな困惑を敏感に嗅ぎ取って、春香が視線を上げる。尋ね返すように絡んだ視線から逃れるように、忍がまつ毛を伏せた。
「いくら財力があろうと地位があろうと、人に愛されなければ意味がないと僕は思う。お金がなくても好きな人と一緒にいられることに勝る幸せなんてないんじゃないかとずっと思っていたよ。子供からしたら自分とどんな関係なのかもよくわからない『親たち』が子供を簡単に産むのを見ていてつくづく思っていた」
「……もしかして、だから誰とも付き合ってこなかったの?」
静かに問い返されて、自嘲気味に苦笑を浮かべる。どうしても笑みという形を作ってしまう難儀な表情筋を春香が一瞥した。
「子供じみた話だろう? でも本当にわからなかったんだ、家族というものが。けれど、瞬が……ある日突然僕の前に現れたあの子と出会ってから、色々と視界が開けた。大切な人を守るためには財力も地位もあって困るものじゃない。そしてそれらを持っていたからって欲目だけで寄ってくる人間ばかりでもない……愛してしまったら、もうどんな言い訳も通用しないんだって」
 小さく深呼吸をする忍の腕の中で、昼の光に微睡む美桜が寝息を立てる。穏やかな光景のはずなのに、なぜか染みついて離れない影のような何か……きっとそれは、忍が自ら光を放とうと努力をしていなければ隠せない彼自身の持つ暗い感情なのだろう。だからこそ、聞かずにはいられなかった。
「東條さん。今、幸せ?」
 忍の顔が花が綻ぶように微笑む。かすかに色づいた桜色の目尻が柔らかくお守りを見つめた。空を刺繍された袴。春香はきちんと内側に名前も刺し直してくれた。その晴れやかな水色を見つめて、忍が瞼を閉じる。渡されたお守りに唇を寄せて、囁いた。
「ああ。今まで生きてきた、どの瞬間よりも……今の日々が愛しい。幸せだよ」
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