スパダリ社長の狼くん

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第五章

九話

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 幼い日、そばにいたその女性との思い出は今反芻すると、まさに調教であったことが瞬にも分かる。少なくとも忍と過ごした日々のような温かさも安心感もなかった。それでも、物心ついた時にはすぐそこにいて、瞬が涙をこぼせば抱きしめて拭ってくれるその人の存在は胸を締め付けるように大切に光る。情けないとは思うものの、瞬がこれまで生きてきた時間の中で、瞬が呼んだ時に振り向いてくれたのは忍とミュリアルだけだったのだ。

「世間で言えば、おかしな育て方だったんだと思う。俺は許可がなければ外にも出られなかったし、学校の友達に家を教えることすら禁じられてた。友達が遊びに来るなんてことは一度もなかったしな……そもそも同級生がいたはずなのに記憶がない。今考えるとこの間思い出したあの動画みたいなのを毎日のように見せられてて、そのせいだったような気がするんだ。ほとんど忘れてるから俺にも確信はねぇけど……怒られたことはない。叩かれたりしたこともない。でも、圧が凄かったのは覚えてる。どうして外に出たらだめなのかって俺も駄々を捏ねたりしたことはあるけど、そのたびに静かに怖かったのは記憶にある。
あとは……毎日のようになんかの注射をされてた。俺が嫌がると動画を見せるんだ……そのせいで嫌なことが起きる時には満月が出てるって関連づけられてんのかな。痛い目に遭う時にはそう言い聞かされてたんだから……でも、それでも……あの人は、俺が泣いたら抱きしめてくれた。言うことを聞いたら目一杯褒めてくれたんだ……嬉しかった」
 恥じるようにそう語る瞬の浮かべた優しい微笑がその場に居合わせた誰をも強く魅了する。哀れだから、助けてやりたいから……そして、その与えられるもの全てに感謝をする優しい心根を愛してしまうから。多くを求めず、そこにあるものを大切にする心。美しいはずの、幼子のように澄んだ気持ちが悲しくて仕方がないから愛してしまう。瞬が歪んだ愛を寄せ付けやすいその無垢な色。
「俺を連れて何度か病院に行ってたことを覚えてる。俺が狭いところだとか検査とかが苦手なのはそのせいかもな。何をされるかわからないってどうしてもすげえ思うのは……子供の頃のせいなのかもしれない。忍のことを好きになったのも、お前が……そういう『俺にとってはすげえ嫌なこと』っていうのを耐えて見せれば必ず褒めてくれたからだ。お前に対する俺の想いが子供みたいなもんになるのも多分そのせいだろうな……Subだってのはもちろんあるんだろうけど、それを抜きにしても褒めてくれる人間に無条件に俺は懐いちまう。コマンドは教えられた記憶がない。記憶に残るより前に刷り込まれたのかもしれない」
 忍が慰めるようにその髪を撫でる。
「そうじゃないよ。僕は君のことを叱ることだってあるし、何度もひどい喧嘩だってしたじゃないか。刷り込みで無条件に好きになってるわけじゃない」
 不意に涙を浮かべた瞬を見て、今までどれほどその不安に苛まれてきたのだろうと忍の胸が痛む。自分の唯一の恋人に対する想いにさえ自信を持てず引け目を感じ、だからこそ忍から見放されることに怯えて忠実でい続けたのかもしれない。
「大丈夫だよ。僕にそんなに引け目を感じる必要なんてない。もっともっとわがままを言ってくれて構わないし、もっと僕を頼ってくれていいんだよ。そんなに……そんなに不安な目をされると僕も辛いよ」
己のルーツに何一つ確固たるものがないというのはきっと想像以上に心細いものだろう。己の存在も、感情も、記憶さえも全て本物かどうかわからないのだから。そんな彼に天が与えたのは無情な待遇ばかりで……佑が瞬から目を逸らす。佑がいかに今まで甘えて生きてきたかを知らしめられたような衝撃に、かすかに瞳を歪めた。そしてそれは槙野も、安曇も……忍も。皆がどこか後ろめたいような思いを押し殺してその赤銅色の瞳をゆらめかせる透明な光から目を逸らした。
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