〈本編完結〉わたくしは悪役令嬢になれなかった

伊沙羽 璃衣

文字の大きさ
8 / 16

第7話

しおりを挟む
時は巡る。ルミエラは10歳を迎えた頃、今の母が死んだ。昨年祖父母が死んだことに続く、突然の死だった。驚きはしたが、悲しくはなかった。何しろルミエラは母に愛された記憶を持たない。元兄である父同様、ルミエラの名前を呼んだことさえ数えられるほどにしかない。
1年が経ち母の喪が明けると、即座に父は愛人とその娘を連れてきた。屋敷は騒がしくなったが、基本的にルミエラは用がなければ部屋から出ないので数日は会わずに済んだ。とはいっても数日である。魔法院に再び行く用事があって昼時に部屋を出ると、昼餐室の前で3人と鉢合わせた。

「ベルローズ。いたのか」
「はい。閣下におかれましてはご機嫌麗しく」
「ちょうどいい、挨拶しなさい。今日からお前の母になるリラだ」
「は、初めまして、わたし、リラといいます!」
「初めまして。ベルローズと申します」

リラという女は、年にも地位にも似つかわしくない無邪気そうな女だった。盗人に、どこか似ている。その娘は、父譲りの青い髪と女譲りの紫の目をしており、顔立ちは女に似ていた。母譲りの水色の髪、父譲りの金の瞳を持つルミエラとは、まるで似ていない。ルミエラと1歳しか違わないから社交界では好奇の眼差しを浴びることになるであろうが、この場合ルミエラは哀れな被害者という扱いになるので構わない。

「ベルローズさん、よろしくね。わたしをほんとうのお母さんだと思ってくれたら嬉しいわ。こっちは娘のヴィオレット。仲良くしてあげてください」
「初めまして、ベルローズ様。ヴィオレットと申します」

挨拶を受けて、ベルローズは目を細めた。てっきり父や愛人のようなお花畑の住人かと思っていたが、カーテシーは見苦しいところがなく、ベルローズを姉とも呼ばなかった。

「先に申し上げておきますと、わたくし、一度も公爵閣下を父と思ったことはございません。ですので屋敷ではこれまで通りお過ごしください。わたくしはいないものとして扱っていただければ結構でございます」

微笑みながら言うと、呆気に取られたように愛人は口を開け、父は不愉快そうに眉を寄せ、ヴィオレットは俯いた。

「それでは失礼いたします」

宣言通り、ルミエラはこの3人家族に近づこうとはしなかった。お花畑の住人とは、会話するだけで疲れるものである。唯一、ヴィオレットはルミエラに気づくと略式ながらも礼をし、必ず敬語で敬称をつけて話すため、彼女との時間は苦ではなかった。とはいえ父が嫌がるため、ヴィオレットとルミエラが話をすることはあまりなく、同じ屋敷に住む他人以上にはなりえなかった。
そうして1年が経ち、ルミエラは貴族学園に入学した。

「ごきげんよう」
「ごきげんよう、ザイツェフェルト様! お聞きになりまして? 最近アシュクロフト商会が新しい型のドレスを考案したとか」
「ええ。既に当家では仕立てさせておりますわ」
「流石ですわ! ザイツェフェルト様は何を着てもお似合いになるのでしょうね」
「うふふ、そんな風に褒められたら舞い上がってしまいますわ」

王妃の姪にあたるルミエラは同学年の中で最も高い地位であるため、すり寄ってくる者が後を絶たなかった。目に見えて御機嫌取りをしようとしてくる者たちは、家の付き合いで必要な者だけを傍に残し、後は遠ざけた。取り入りに失敗した者たちが裏でルミエラを悪罵していることもあったが、鈍磨した心では痛くも痒くもなかった。打算なく付き合える友人など存在しなかった。

「ザイツェフェルト様、中庭の紫陽花が見頃だそうですよ。今日はそちらで昼食を食べませんか?」
「......いい考えですわね。そうしましょう」

中庭の中央には大木が生え、中庭の外縁には四季折々の花々が植えられている。春にはバラや桃の花が咲き誇っていたそこは、今はすっかり装いを変えていた。

「美しいですわね」
「ええ、ほんとうに。秋にはコスモスが咲くと聞きましたわ。またその時期に来てもよいかもしれません」

中庭のベンチに腰を下ろし、たわいない話に花を咲かせる。笑顔を絶やさなかったが、ルミエラの心は沈んでいくようだった。
盗人はこの中庭を好んでいた。毎日のようにこーりゃくたいしょーたちとお茶をしていたものである。はしたなく声を上げて笑い、手ずから花を摘む情景を否が応でも思い出した。
至るところに盗人が見た情景があることが、ルミエラを常に苦しめた。
勿論、そんな素振りを見せはしない。学年一位の座も、譲らない。何しろ学ぶのは2回目なのだ。15も年下の子らに負けてはたまらない。

「ザイツェフェルト様は今日の放課後はどうなさいますか?」
「今日は何の予定もございませんわ。皆さん、お時間がおありでしたら、カフェにでも行きましょうか」
「まあ、嬉しいですわ! 是非御一緒させてくださいまし」

放課後は時と場合によって使い道を分けた。魔法院や王宮からの呼び出しは仕方のないことであるから、それ以外の時間を如何に有意義に使うかに心血を注いだ。取り巻きとの交友関係の維持のために定期的にお茶をし、買い物をし、家庭不和を囁かれないために、理由をつけて早帰りをした。そうでない時は閉館時間まで図書館に籠り、これまで学ばなかった分野にも目を向けた。数学やら物理やら、学術的に難しい内容に頭を悩ませる日も多かった。

そうして1年が経ち、異母妹ヴィオレットが学園に入学した。
その生い立ちから、ヴィオレットには好奇の眼差しが注がれた。ルミエラはザイツェフェルト家に不穏な噂を立てないため、定期的にヴィオレットを食事に誘った。おかげでヴィオレットに対する態度は軟化し、ザイツェフェルト家の醜聞も幾らかマシになった。学園内ではお姉様、レティ、と呼ぶことが暗黙の了解となったが、家では相変わらずベルローズ様と呼ばれた。それに対して、ルミエラは何も思うところはなかった。

「――あの、お姉様」
「何かしら、レティ」
「.......どうか、ご無理をなさらないでください」
「あら? 何のことかしら。わたくしは無理なんてしていなくてよ」

ルミエラは意味が分からず首を傾げた。ヴィオレットは表情を取り繕うことも忘れて、必死の様子で言い募る。

「ですが、いつ見てもお休みされていません。確かにザイツェフェルト家の嫡女としてお忙しいのだろうと推察しますが、それでもいつか休まねば、疲れ果ててしまいます」
「まあ......わたくしを心配してくれるのね。ありがとう。けれどほんとうに大丈夫よ、わたくしはやりたいことをやっているだけなのだから」
「......ほんとうにそうですか?」

小さな声だった。向かい合って座っていても尚、耳を澄ませていなければ聞こえなかっただろう。

「私は――お姉様の心からの笑みを、見たことがありません」
「――…………」

ルミエラは微笑みを保ったまま黙り込んだ。

笑い方など、もはや覚えていなかった。

時は流れる。ルミエラが14になってようやく、婚約者が選ばれた。相手は、ふたつ西の隣国の皇太子だった。
側室制度を設けている我が国と違い、あちらの皇帝と皇太子はそれぞれ後宮を持つという。ルミエラの12歳年上の皇太子もまた、正妃こそ選んでいないものの既に20人を越える妃を娶り、7人の子がいる。
その国は魔石の産出が多く、婚約に伴って拡張された貿易には利益が多い。とはいえ、既に妻子を抱える男の妻に王太子妃の姪を、天才魔法使いを差し出すことには、幾らか王宮で議論されたらしい。反対派が多かったそうだが、父が強引に決めた。ルミエラを視界の外に出すためだろうと、容易く想像がついた。
あちらからの要望で、婚姻は3年後となった。貴族学園を卒業出来ないと聞いても、ルミエラは何も思わなかった。
デビュタントも済ませ、穏やかに日々を過ごしていたある日、盗人こと王太子妃から参内命令が下った。
季節は春めき、嫁入りまで残すところあと1年であった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

乙女ゲームの悪役令嬢、ですか

碧井 汐桜香
ファンタジー
王子様って、本当に平民のヒロインに惚れるのだろうか?

悪役令嬢、資産運用で学園を掌握する 〜王太子?興味ない、私は経済で無双する〜

言諮 アイ
ファンタジー
異世界貴族社会の名門・ローデリア学園。そこに通う公爵令嬢リリアーナは、婚約者である王太子エドワルドから一方的に婚約破棄を宣言される。理由は「平民の聖女をいじめた悪役だから」?——はっ、笑わせないで。 しかし、リリアーナには王太子も知らない"切り札"があった。 それは、前世の知識を活かした「資産運用」。株式、事業投資、不動産売買……全てを駆使し、わずか数日で貴族社会の経済を掌握する。 「王太子?聖女?その程度の茶番に構っている暇はないわ。私は"資産"でこの学園を支配するのだから。」 破滅フラグ?なら経済で粉砕するだけ。 気づけば、学園も貴族もすべてが彼女の手中に——。 「お前は……一体何者だ?」と動揺する王太子に、リリアーナは微笑む。 「私はただの投資家よ。負けたくないなら……資本主義のルールを学びなさい。」 学園を舞台に繰り広げられる異世界経済バトルロマンス! "悪役令嬢"、ここに爆誕!

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

悪役令嬢を陥れようとして失敗したヒロインのその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
女伯グリゼルダはもう不惑の歳だが、過去に起こしたスキャンダルが原因で異性から敬遠され未だに独身だった。 二十二年前、グリゼルダは恋仲になった王太子と結託して彼の婚約者である公爵令嬢を陥れようとした。 けれど、返り討ちに遭ってしまい、結局恋人である王太子とも破局してしまったのだ。 ある時、グリゼルダは王都で開かれた仮面舞踏会に参加する。そこで、トラヴィスという年下の青年と知り合ったグリゼルダは彼と恋仲になった。そして、どんどん彼に夢中になっていく。 だが、ある日。トラヴィスは、突然グリゼルダの前から姿を消してしまう。グリゼルダはショックのあまり倒れてしまい、気づいた時には病院のベッドの上にいた。 グリゼルダは、心配そうに自分の顔を覗き込む執事にトラヴィスと連絡が取れなくなってしまったことを伝える。すると、執事は首を傾げた。 そして、困惑した様子でグリゼルダに尋ねたのだ。「トラヴィスって、一体誰ですか? そんな方、この世に存在しませんよね?」と──。

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

婚約破棄してたった今処刑した悪役令嬢が前世の幼馴染兼恋人だと気づいてしまった。

風和ふわ
恋愛
タイトル通り。連載の気分転換に執筆しました。 ※なろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、pixivに投稿しています。

婚約者に見捨てられた悪役令嬢は世界の終わりにお茶を飲む

・めぐめぐ・
ファンタジー
魔王によって、世界が終わりを迎えるこの日。 彼女はお茶を飲みながら、青年に語る。 婚約者である王子、異世界の聖女、聖騎士とともに、魔王を倒すために旅立った魔法使いたる彼女が、悪役令嬢となるまでの物語を―― ※終わりは読者の想像にお任せする形です ※頭からっぽで

処理中です...