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第2話 あなたを知りたい
しおりを挟む――君に二つ、頼み事をしたい。
そう言われた時、レイに断るという選択肢は用意されていなかった。はい以外の言葉を口にした瞬間、殺されるだろうと理解していた。侯爵家の息子を殺しても隠蔽できるほどの権力を、男は持っていた。たとえ国王を殺したとしても、この男ならば飄々としているだろうとすら思う。
――ひとつ目は、公女の婚約者になること。そして二つ目は、公女を殺すことだ。
平伏していてよかった、と心底思った。そうでなければ愕然とした顔を晒していただろう。
――ご依頼の遂行は、いつが望ましいでしょうか。
――さて。それは私と君次第だね。
男は不可思議なことを言った。けれど疑問を挟むことは許されていない。
――承りました。
――よろしく頼むよ。
穏やかに言った彼がどんな表情を浮かべているのか、レイはついぞ知ることが出来なかった。
***
アイリスの日々を形容するならば、静かに尽きる。
広大な王都邸の中で公爵夫妻は本邸に、子供たちは別邸に暮らしているが、別邸の中でも兄とアイリスは別の棟に居を置いている。食事もそれぞれの棟で済ませるので、顔を合わせることは殆どない。領邸から王都邸に移り三ヶ月、父母と会話をしたことは一度もなく、兄と会話をしたのも片手で数えられる。侍女は命令せずとも次の行動を予測しており、声を出す必要性もない。
アイリスは一日の大半を図書館で過ごし、鍛錬の為に2時間は素振りや走り込みをすることを己に課していた。変わり映えのない日常。砂時計の砂のように絶え間なく流れていく時間。それを惜しいと思ったこともなく、振り返って恋しいと思うような日も存在しなかった。
――つい、最近までは。
「お久しぶりです、サザーランド様」
レイを出迎えたアイリスは、およそ一週間ぶりに口を動かした。あまりに使わないせいか、口周りの筋肉が硬直しているような気がする。
「公女さまにおかれましては、ご機嫌麗しく。本日は庭園なのですね」
「はい。天気が良いので、一度我が邸宅の庭園をご覧に入れようかと」
グランヴィル公爵家の庭園の一角は、春になると黄金色に染まる。母を愛する父が、母の髪と瞳の色に準え、黄金色の花木だけを集めて造らせたものだ。
「貴重な庭園にお招きくださったこと、感謝申し上げます」
普段の通り他愛ない世間話をすると、沈黙が落ちる。
普段ならばそのまま過ぎ行く時間を、アイリスは惜しいと思った。いつか殺す標的に、それを告げる正直な暗殺者を、知りたいと思った。
「互いの話を、致しませんか」
レイは二度、瞬きをした。太陽の下にあって、その瞳は黒よりも青に近く見えた。
「私も、同じことを言おうと思っていました」
柔らかな笑みに安堵して初めて、アイリスは自分が緊張していたことに気づいた。
「婚約者がする互いの話というのは、どのようなものなのでしょう。手本があればいいのですが」
「どうなのでしょう」
アイリスは首を傾げ、レイも同じように首を傾げた。互いに友達がいないことが、図らずも発覚した。
「そういえば、以前申し上げた、不細工に見える魔術が副作用付きで完成しました」
「ほんとうにお作りになられたのですね!?」
「はい。魔術をかけて暫く幻覚が見えてしまうので、実用化するには厳しいですが......しかも幻覚というのが悩ましく、植物や動物に顔が見えるというものなのです。なかなか楽しいのですが、兄には絶叫されました」
「ご自分と兄君でお試しになったのね......」
魔術の話から、脈絡もなく話は転がった。好きな色は赤、好きな花は百合、好きな季節は夏……いつもより長い会話の後で、レイは帰って行った。その背を惜しく思った。もっと話をしたい、とさえ。
彼が暗殺者であると、忘れそうになるほどに。
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