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第三十四話 思惑
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レナートが床から起き上がれるようになるまでの1週間、フェデリカは休みなく動いた。調査の結果、ベラドンナともう1種類の毒を混ぜたものがティーカップの内側に塗られていたことが分かった。料理人やメイドたちの身元と金銭状況を洗い、不自然に大金を手に入れた料理人を突き止めたが、家宅捜査に向かった時には料理人は殺されていた。周囲の聞き取りから、男は母親の病の治療費に困っていたこと、酒場で親しくしている男から、金と共に何かを受け取っていたことが判明した。恐らく毒が入った瓶であろうが、これは家宅捜査でも見つけることが出来なかった。料理人に毒を渡した男の痕跡を辿ったが、数名の手を介している上、仲介人が殺されているため判然としなかった。一先ずは料理人の独断として処理し、秘密裏に調査を継続させた。
砂の皇国との同盟条約はレナートの許可を得て押印し、国交の回復が成立した。北の帝国とも僅かばかり条約の訂正を行い、その他の使節団の対応にも奔走した。
また、表向き実父にあたる子爵の葬儀の通夜にも短い時間ではあるが顔を出し、お悔やみを述べた。子爵位はジュリアマリアが一時的に継承し、イゾラ公との間に生まれるであろう子供が継ぐことになる。
子爵の死についてはイゾラ公も疑問を抱いていたらしく、全面的に調査に協力してくれた。調査をして早々に、馬車を曳いていた馬に興奮剤が盛られていたことが明らかになった。現在は興奮剤の入手経路と餌に混ぜた人物を追っている。
この数日間に、貴族たちは面白おかしく噂を囃し立てた。夫が毒に倒れ、実父が事故で亡くなったフェデリカは悪魔の使いであるというものである。情報源は砂の皇国の使節や王位継承順位が高い貴族であり、この対処にフェデリカは手を焼いた。
「――お忙しい中お時間をいただきましたこと、御礼申し上げます」
「いえ。王宮内が騒がしく、不快な思いをさせてしまいましたこと、お詫び申し上げます」
レナートが倒れて5日目、フェデリカは竪琴を持ってアーキルの元を訪れた。レナートの容体が安定してきた矢先のことだ。こんな時期に、と思われるかもしれないが、こんな時期だからこそとも言える。王妃が楽に興じても問題ないと示すことにもなるからだ。
初めにアーキルがケマンチェを演奏し、次にフェデリカが竪琴を奏でた。
「――噂に違わぬ素晴らしい腕前ですね」
「ありがとうございます。妃殿下の竪琴もとても美しい音色でした」
かつての穏やかな時を思い起こさせる音色だった。あの頃に戻りたいとフェデリカは切実に願った。難しいことは何も考えず、方程式だけを眺めていた頃に。
「殿下のケマンチェの腕前がこれほどのものとは、我々も存じ上げませんでした。いやなんとも立派な音色! このサアドゥーン、感激のあまり涙してしまいました!」
フェデリカの物思いを断ち切ったのはわざとらしい大声だった。
「どうでしょう、殿下がこれほどの腕前であれば、妃殿下の演奏に和すこともできるのでは?」
「......さて。妃殿下、サアドゥーンはこう申しておりますが、如何思われますか?」
「殿下の腕前であれば不可能なことではないのかもしれませんね。一度、やってみましょうか」
フェデリカは笑みを浮かべて竪琴を構え直した。奏で始めたのは、かつて共に弾いた合奏曲だ。アーキルは一度も合わせたことがない人の演奏に和すことができると知っていたので、別の曲を選ぶのも面倒だった。ところが明らかに音がずれている時がある。一度としてミスを聞いたことがなかっただけに、その音は脳裏に残った。外した音はsi-do-re-do。しかもその時は、フェデリカの方をずっと見ていた。
——暗号?
si,ut/do,re,ut/do。フェデリカは脳内で文字を切り貼りしたりひっくり返す。sudore,ripeto,pesto——どれも違うだろう。更に考えて、フェデリカは目を見開いた。口を微かに動かすと、アーキルは微笑む。
——答えは、stuproか。
「―—いやあ、素晴らしい演奏でしたな! もしやおふたりは大学で共に演奏をされたことが?」
「いや。しかし、音楽演奏会で妃殿下の演奏を一度だけ耳にしたことがあった」
「おやそうでしたか! いや何、あまりにも和していたので、おふたりの仲もよかったのではないかと思いましてね! あっはっは」
「物理学を専攻しておられた妃殿下とはあまり会話する機会を得られなかった」
「......左様ですか。しかし、殿下も折角留学なされたのですし、この機に花嫁を探されては如何ですかな? 両国の友好の懸け橋ともなりましょうぞ」
「そうだな。検討しておこう」
「賢い殿下のお相手には、大学に行かれるような才媛がよろしいでしょうなあ。それこそ妃殿下のような」
あっはっは、とサアドゥーンは笑う。
「いやあ、惜しいことです。才気煥発な妃殿下に、殿下がもっと早くお会いしていれば」
「――サアドゥーン。言ったことがなかったか。私は年下が好みだ」
フェデリカは思わず吹き出しそうになった。
現在フェデリカは20、アーキルは19である。遠回しにフェデリカは好みでないと言ったも同然だった。
「本日は共に演奏出来て光栄でしたわ。殿下が心から愛する方と巡り合えますように、お祈りしております」
「ありがとうございます」
フェデリカは一礼すると、早足で執務室に戻った。ジュリアマリアとペネロペの傍に影を送り込み、同時に寝室の騎士の数も増員。念の為カルミネにも鳩を送り、ラ・ヴァッレ家の影をラヴィニアにつけてくれるように頼んだ。従者には不思議そうな顔をされたが、構ってはいられなかった。
翌日の夜、フェデリカの下に数人の男が送り込まれ、護衛によって捕縛された。しかし男たちは全員自害を図り、手当の甲斐なく死亡した。容姿も年代もバラバラであることから、誰の手の者かを突き止めることは困難だった。
同時刻に、ペネロペの寝室に侵入しようとしていたならず者が捕えられた。
実行犯は2年前に刑期を終えて釈放された犯罪者で、貴族の女を犯せると唆されて侵入したらしい。内部で手引きをしたのは若い通いのメイドで、ペネロペのことが気に食わなかったのだと供述した。メイドと実行犯に話を持ち掛けたのはフードを被った不審者で、それぞれ街で酒を飲んでいた時、買い物をしていた時に声を掛けてきたのだという。男の肌が浅黒かったかという問いには否と返答があった。これもまた複数の仲介があると見て追跡を命じた。ペネロペの婚約がまとまったばかりであることから、調査は秘密裏に行われた。
——ああ、逃げたい。
報告を聞きながら、フェデリカは思った。
少しだけでもいいから、計算式に浸りたい。もう何も、面倒なことを考えたくない。誰も私を知らないところに行きたい。
もう、もうたくさんだ。
***
『アーキル皇子。なぜあのようなことを仰ったのですか』
『別に、不貞の相手は私でなくともいいだろう』
皇帝は己が手で王妃を殺すことを望んでいる。アーキルたちに下された命は、王妃を誘拐せよ、というものだった。そこでサアドゥーンたちはアーキルを使った計画を立案した。
王妃を寡婦にし、同じ大学に在籍していたアーキルとの不貞関係を匂わせる。国王暗殺事件や子爵の死亡事故と、砂の皇国の関係を示唆する。王妃本人ではなく周囲を狙ったのは、王妃が悪魔であるとか他国の間諜だとかいう偽りを貴族たちに信じ込ませるため。貴族たちが王妃に懐疑的な眼差しを向け始めたところで、王妃が砂の皇国の落胤だという噂を流すのだ。そうすれば、砂の皇国現王朝の手の者だと誤解され、周囲の者からの信頼を失い、護衛騎士の中世も離れ、誘拐するのも容易くなる――そのはずであった。
しかしながら、死ぬはずであった国王は永らえ、アーキルと王妃の不貞関係は匂いもしない。かろうじて王妃は死の使いだの騒がれているが、国王不在の最中も見事に使節団を相手取っているせいもあって、他国の間諜だなんて噂は立つ予兆もなかった。
いずれもアーキルの暗躍の賜物であるが、そんなことを露ほどにも考えていない臣下たちは焦っている。
『随分警護が厳しいし、今回は諦めたら? 陛下は殺し損ねたし』
歯ぎしりをする臣下を放って、アーキルは部屋に戻った。
――全員死ねばいいのに。
アーキルの母を凌辱した者、或いはアイシャの死を貶めた者。どうして皆アーキルが唯々諾々と従うと信じているのか、本当に不思議だ。恨まれていないとでも思っているのだろうか。きっとそうなのだろう。十三番目の皇子なんて、脅威にならないと油断しきっている。
だからこそ自由に動き回ることができたのだが。
計画を盗み聞きし、国王に盛られるベラドンナとサボテンの毒を混ぜた毒瓶を少しだけ地面に零して減らし、王妃に凌辱計画を伝えた。もっとも国王に盛られた毒は思いの外強く、王妃の医学知識に助けられたが。
――子爵が死んだのは予想外だった。
アーキルは、てっきり辺境伯の方を狙っているのだと思った。彼が死ねばアルマア・イブン・イディ族に対する抑止力がなくなり、交易が危ぶまれる。カルミネ経由で警告してもらったが、見当違いになってしまった。
――起きたことはしょうがない。自分の計画も考えなければ。
アーキルはケマンチェを抱き呟く。
『もうすぐだ......もうすぐ、あの男に手が届く』
母と妹の仇を必ず取ってみせる。
たとえこの身が果てようとも。
砂の皇国との同盟条約はレナートの許可を得て押印し、国交の回復が成立した。北の帝国とも僅かばかり条約の訂正を行い、その他の使節団の対応にも奔走した。
また、表向き実父にあたる子爵の葬儀の通夜にも短い時間ではあるが顔を出し、お悔やみを述べた。子爵位はジュリアマリアが一時的に継承し、イゾラ公との間に生まれるであろう子供が継ぐことになる。
子爵の死についてはイゾラ公も疑問を抱いていたらしく、全面的に調査に協力してくれた。調査をして早々に、馬車を曳いていた馬に興奮剤が盛られていたことが明らかになった。現在は興奮剤の入手経路と餌に混ぜた人物を追っている。
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「――お忙しい中お時間をいただきましたこと、御礼申し上げます」
「いえ。王宮内が騒がしく、不快な思いをさせてしまいましたこと、お詫び申し上げます」
レナートが倒れて5日目、フェデリカは竪琴を持ってアーキルの元を訪れた。レナートの容体が安定してきた矢先のことだ。こんな時期に、と思われるかもしれないが、こんな時期だからこそとも言える。王妃が楽に興じても問題ないと示すことにもなるからだ。
初めにアーキルがケマンチェを演奏し、次にフェデリカが竪琴を奏でた。
「――噂に違わぬ素晴らしい腕前ですね」
「ありがとうございます。妃殿下の竪琴もとても美しい音色でした」
かつての穏やかな時を思い起こさせる音色だった。あの頃に戻りたいとフェデリカは切実に願った。難しいことは何も考えず、方程式だけを眺めていた頃に。
「殿下のケマンチェの腕前がこれほどのものとは、我々も存じ上げませんでした。いやなんとも立派な音色! このサアドゥーン、感激のあまり涙してしまいました!」
フェデリカの物思いを断ち切ったのはわざとらしい大声だった。
「どうでしょう、殿下がこれほどの腕前であれば、妃殿下の演奏に和すこともできるのでは?」
「......さて。妃殿下、サアドゥーンはこう申しておりますが、如何思われますか?」
「殿下の腕前であれば不可能なことではないのかもしれませんね。一度、やってみましょうか」
フェデリカは笑みを浮かべて竪琴を構え直した。奏で始めたのは、かつて共に弾いた合奏曲だ。アーキルは一度も合わせたことがない人の演奏に和すことができると知っていたので、別の曲を選ぶのも面倒だった。ところが明らかに音がずれている時がある。一度としてミスを聞いたことがなかっただけに、その音は脳裏に残った。外した音はsi-do-re-do。しかもその時は、フェデリカの方をずっと見ていた。
——暗号?
si,ut/do,re,ut/do。フェデリカは脳内で文字を切り貼りしたりひっくり返す。sudore,ripeto,pesto——どれも違うだろう。更に考えて、フェデリカは目を見開いた。口を微かに動かすと、アーキルは微笑む。
——答えは、stuproか。
「―—いやあ、素晴らしい演奏でしたな! もしやおふたりは大学で共に演奏をされたことが?」
「いや。しかし、音楽演奏会で妃殿下の演奏を一度だけ耳にしたことがあった」
「おやそうでしたか! いや何、あまりにも和していたので、おふたりの仲もよかったのではないかと思いましてね! あっはっは」
「物理学を専攻しておられた妃殿下とはあまり会話する機会を得られなかった」
「......左様ですか。しかし、殿下も折角留学なされたのですし、この機に花嫁を探されては如何ですかな? 両国の友好の懸け橋ともなりましょうぞ」
「そうだな。検討しておこう」
「賢い殿下のお相手には、大学に行かれるような才媛がよろしいでしょうなあ。それこそ妃殿下のような」
あっはっは、とサアドゥーンは笑う。
「いやあ、惜しいことです。才気煥発な妃殿下に、殿下がもっと早くお会いしていれば」
「――サアドゥーン。言ったことがなかったか。私は年下が好みだ」
フェデリカは思わず吹き出しそうになった。
現在フェデリカは20、アーキルは19である。遠回しにフェデリカは好みでないと言ったも同然だった。
「本日は共に演奏出来て光栄でしたわ。殿下が心から愛する方と巡り合えますように、お祈りしております」
「ありがとうございます」
フェデリカは一礼すると、早足で執務室に戻った。ジュリアマリアとペネロペの傍に影を送り込み、同時に寝室の騎士の数も増員。念の為カルミネにも鳩を送り、ラ・ヴァッレ家の影をラヴィニアにつけてくれるように頼んだ。従者には不思議そうな顔をされたが、構ってはいられなかった。
翌日の夜、フェデリカの下に数人の男が送り込まれ、護衛によって捕縛された。しかし男たちは全員自害を図り、手当の甲斐なく死亡した。容姿も年代もバラバラであることから、誰の手の者かを突き止めることは困難だった。
同時刻に、ペネロペの寝室に侵入しようとしていたならず者が捕えられた。
実行犯は2年前に刑期を終えて釈放された犯罪者で、貴族の女を犯せると唆されて侵入したらしい。内部で手引きをしたのは若い通いのメイドで、ペネロペのことが気に食わなかったのだと供述した。メイドと実行犯に話を持ち掛けたのはフードを被った不審者で、それぞれ街で酒を飲んでいた時、買い物をしていた時に声を掛けてきたのだという。男の肌が浅黒かったかという問いには否と返答があった。これもまた複数の仲介があると見て追跡を命じた。ペネロペの婚約がまとまったばかりであることから、調査は秘密裏に行われた。
——ああ、逃げたい。
報告を聞きながら、フェデリカは思った。
少しだけでもいいから、計算式に浸りたい。もう何も、面倒なことを考えたくない。誰も私を知らないところに行きたい。
もう、もうたくさんだ。
***
『アーキル皇子。なぜあのようなことを仰ったのですか』
『別に、不貞の相手は私でなくともいいだろう』
皇帝は己が手で王妃を殺すことを望んでいる。アーキルたちに下された命は、王妃を誘拐せよ、というものだった。そこでサアドゥーンたちはアーキルを使った計画を立案した。
王妃を寡婦にし、同じ大学に在籍していたアーキルとの不貞関係を匂わせる。国王暗殺事件や子爵の死亡事故と、砂の皇国の関係を示唆する。王妃本人ではなく周囲を狙ったのは、王妃が悪魔であるとか他国の間諜だとかいう偽りを貴族たちに信じ込ませるため。貴族たちが王妃に懐疑的な眼差しを向け始めたところで、王妃が砂の皇国の落胤だという噂を流すのだ。そうすれば、砂の皇国現王朝の手の者だと誤解され、周囲の者からの信頼を失い、護衛騎士の中世も離れ、誘拐するのも容易くなる――そのはずであった。
しかしながら、死ぬはずであった国王は永らえ、アーキルと王妃の不貞関係は匂いもしない。かろうじて王妃は死の使いだの騒がれているが、国王不在の最中も見事に使節団を相手取っているせいもあって、他国の間諜だなんて噂は立つ予兆もなかった。
いずれもアーキルの暗躍の賜物であるが、そんなことを露ほどにも考えていない臣下たちは焦っている。
『随分警護が厳しいし、今回は諦めたら? 陛下は殺し損ねたし』
歯ぎしりをする臣下を放って、アーキルは部屋に戻った。
――全員死ねばいいのに。
アーキルの母を凌辱した者、或いはアイシャの死を貶めた者。どうして皆アーキルが唯々諾々と従うと信じているのか、本当に不思議だ。恨まれていないとでも思っているのだろうか。きっとそうなのだろう。十三番目の皇子なんて、脅威にならないと油断しきっている。
だからこそ自由に動き回ることができたのだが。
計画を盗み聞きし、国王に盛られるベラドンナとサボテンの毒を混ぜた毒瓶を少しだけ地面に零して減らし、王妃に凌辱計画を伝えた。もっとも国王に盛られた毒は思いの外強く、王妃の医学知識に助けられたが。
――子爵が死んだのは予想外だった。
アーキルは、てっきり辺境伯の方を狙っているのだと思った。彼が死ねばアルマア・イブン・イディ族に対する抑止力がなくなり、交易が危ぶまれる。カルミネ経由で警告してもらったが、見当違いになってしまった。
――起きたことはしょうがない。自分の計画も考えなければ。
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