只の歌詠みと侮る勿れ ~関ヶ原逸聞伝・弐~

佐倉伸哉

文字の大きさ
10 / 10

終 : 智者の筆より恐ろしい剣はない

しおりを挟む
 忠興は関ヶ原の戦功が評価され、豊前三十三万九千石に加増。これに豊後木付六万石の領有も引き続き認められ、合計三十九万九千石となった。また、関ヶ原の戦いの後に忠興は“長岡”から“細川”へ復姓している。
 片や、幽斎は忠興の転封に付き添わず京での暮らしを再開させた。幽斎は政とは無縁の悠々自適な隠居生活を大いに謳歌おうかしていた。
 慶長六年〈一六〇一年〉三月、自由な隠居生活を満喫する幽斎を訪ねて来た人物が居た。
「おや、懐かしや。何時いつ以来になりますかな」
「かれこれ二年になるかと。春を追いかけて京まで上りましたが、ふと貴殿の顔を思い出しまして参りました。ご無礼、ひらにお許しを」
 ニコニコと笑みを湛えながら軽く非礼を詫びたのは、黒田如水。こちらも幽斎と同じく政から完全に足を洗った隠居人である。
「茶でよろしいですかな?」
「あぁ、茶は茶でもほうじ茶で構いませぬ。格式張った茶の湯は肩がってたまりませぬから」
 心底うんざりした表情と声色で頼む如水に、幽斎は思わずクスリとする。体が不自由なのもあるが、堅苦しい雰囲気が苦手なのだろう。
 焙じ茶を湯飲みに入れて出すと、フウフウと冷ましてからすする如水。その様は人間味を帯びていて、好感を抱く。幽斎も茶の温もりを手で感じながら、湯飲みの茶を一口飲んだ。
「如水殿と言えば、昨年の戦で大層な働きをされたとか。また、我等の窮地を救って頂き、真に感謝しております」
 九州へ帰った如水は長年貯めていた金を放出して兵をつのり、留守居の兵と合わせて九千の軍勢を編成。旧領奪還を目論もくろむ大友勢を打ち破り、西軍方の城や領土を併呑しながら勢力を拡大していき、最終的には島津領を除く九州の大半を掌中しょうちゅうに収める大活躍を見せた。その一環で如水は大友勢が押し寄せた木付城の長岡勢を救出している。
 その活躍から息子の長政とは別に恩賞を授ける意見や提示があったが、如水は固辞。以降、福岡と京の二拠点生活を過ごしていた。
 幽斎の感謝に如水はあまり嬉しくないのか、フンと鼻を鳴らすと吐き捨てるように言う。
「中央の戦がもっと長引いてくれたら、儂にも参戦する機会があった。口惜しい限りじゃ」
 未練たらたらに愚痴を溢す如水。虚勢とは一概に片付けられず、幽斎は思わず苦笑する。
 湯飲みの茶で喉を潤した如水は、打って変わって真剣な表情で幽斎へ唐突に投げ掛けた。
「時に幽斎殿。南蛮の格言で『智者の筆より恐ろしい剣はない』というのはご存知かな?」
「……いえ、初耳ですね」
 如水の言葉に首を振る幽斎。
 先述した内容は十五世紀から十六世紀にかけて生きた人文主義者でカトリック司祭のデジデリウス・エラスムスの言葉で、正確には『智者のペンより恐ろしい剣はない』だ。一般的に有名な『ペンは剣より強し』と同じく“思想や文学は時として武力に勝る”という意味だが、如水は何故この場で披露したのか。
 すると、しみじみと如水は理由を明かした。
「どんなに多くの兵力を持っていても、どんなに強大な権力を持っていても、教養に勝てない事がある。幽斎殿は結果的に敗れはしたものの、中央の戦いに大きく寄与した。……この齢で戦の奥深さを学ばせてもらいました」
 そう言い、謝意を伝える如水。その顔はき物が落ちたようにスッキリとしていた。
 確かに、如水は混乱に乗じて版図はんとを拡げ、幽斎は粘った末に負けた。両者を比べれば如水の方が優れているように感じるが、中央の決戦で貢献したのは紛れもなく幽斎である。当初から“古今伝授”という何物にも替えがたい教養を前提に時間を稼ぐ戦法だったが、そのしたたかさが今回上手く嵌まった恰好だ。幽斎にとってその程度の認識でしかなかった。
「なぁに、偶々たまたまですよ」
 謙遜けんそんするように幽斎が控え目に答えると、如水は「左様さようか」となく返すに留めた。
 暫く静寂の時が流れ、ゆったりと過ごす二人。その沈黙を破ったのは、如水の方だった。
「幽斎殿」
「何でしょうか?」
 穏やかな声で訊ねられた幽斎が応じる。
「儂も幼少期から和歌や連歌をたしなんでおりましたが、暇も出来たので再開しようかと考えております。一度、ご教授願えませんか?」
 如水の申し出に、幽斎は顔を綻ばせた。
「いいですよ。何でしたら、屋敷の庭に咲く桜をでながら今から一句詠みませんか?」
「いやはや……これは緊張して参りましたな」
 返す刀で誘われ、弱る如水。しかし、その表情は当惑というか無邪気に楽しそうだった。
 湯飲みに残った茶を飲み干した如水は、杖を頼りに立ち上がる。同じく湯飲みを空にした幽斎は先導するように奥へと案内していく。
 さて、どのような句を詠もうかな。ウキウキとした気分で幽斎の足取りは軽やかだった。

 その後、幽斎は智仁親王達に古今伝授をおこなったり、交誼を結ぶ公家達と連歌会を催したりと、自由気儘な隠居生活を大いに楽しんだ。
 慶長十五年〈一六一〇年〉八月二十日、細川幽斎は京で死去。享年七十七。平均寿命が現代より短い戦国の世では大往生だいおうじょうと言えよう。
 文化人と名を馳せながら、塚原卜全ぼくぜんから剣術・吉田雪荷から弓術の印可いんかを、武田信豊から弓馬故実の相伝をそれぞれ受け武芸の面でも特に優れていた。また、若い頃に都で暴れ突進してきた牛を受け止めると角を掴んで倒した逸話も残されている。さらに、老齢ながら絶望的な戦力差の中で二ヶ月間も持ち堪える大健闘を見せ、武将としての才も示した。文武両道、いずれも一流の稀有けうな存在だった。
 只の歌詠みとあなどなかれ。幽斎はその気概を田辺城の攻防で証明した事は間違いない――。

(了)
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』でも同時掲載しています◇

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...