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終 : 智者の筆より恐ろしい剣はない
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忠興は関ヶ原の戦功が評価され、豊前三十三万九千石に加増。これに豊後木付六万石の領有も引き続き認められ、合計三十九万九千石となった。また、関ヶ原の戦いの後に忠興は“長岡”から“細川”へ復姓している。
片や、幽斎は忠興の転封に付き添わず京での暮らしを再開させた。幽斎は政とは無縁の悠々自適な隠居生活を大いに謳歌していた。
慶長六年〈一六〇一年〉三月、自由な隠居生活を満喫する幽斎を訪ねて来た人物が居た。
「おや、懐かしや。何時以来になりますかな」
「かれこれ二年になるかと。春を追いかけて京まで上りましたが、ふと貴殿の顔を思い出しまして参りました。ご無礼、平にお許しを」
ニコニコと笑みを湛えながら軽く非礼を詫びたのは、黒田如水。こちらも幽斎と同じく政から完全に足を洗った隠居人である。
「茶でよろしいですかな?」
「あぁ、茶は茶でも焙じ茶で構いませぬ。格式張った茶の湯は肩が凝って堪りませぬから」
心底うんざりした表情と声色で頼む如水に、幽斎は思わずクスリとする。体が不自由なのもあるが、堅苦しい雰囲気が苦手なのだろう。
焙じ茶を湯飲みに入れて出すと、フウフウと冷ましてから啜る如水。その様は人間味を帯びていて、好感を抱く。幽斎も茶の温もりを手で感じながら、湯飲みの茶を一口飲んだ。
「如水殿と言えば、昨年の戦で大層な働きをされたとか。また、我等の窮地を救って頂き、真に感謝しております」
九州へ帰った如水は長年貯めていた金を放出して兵を募り、留守居の兵と合わせて九千の軍勢を編成。旧領奪還を目論む大友勢を打ち破り、西軍方の城や領土を併呑しながら勢力を拡大していき、最終的には島津領を除く九州の大半を掌中に収める大活躍を見せた。その一環で如水は大友勢が押し寄せた木付城の長岡勢を救出している。
その活躍から息子の長政とは別に恩賞を授ける意見や提示があったが、如水は固辞。以降、福岡と京の二拠点生活を過ごしていた。
幽斎の感謝に如水はあまり嬉しくないのか、フンと鼻を鳴らすと吐き捨てるように言う。
「中央の戦がもっと長引いてくれたら、儂にも参戦する機会があった。口惜しい限りじゃ」
未練たらたらに愚痴を溢す如水。虚勢とは一概に片付けられず、幽斎は思わず苦笑する。
湯飲みの茶で喉を潤した如水は、打って変わって真剣な表情で幽斎へ唐突に投げ掛けた。
「時に幽斎殿。南蛮の格言で『智者の筆より恐ろしい剣はない』というのはご存知かな?」
「……いえ、初耳ですね」
如水の言葉に首を振る幽斎。
先述した内容は十五世紀から十六世紀にかけて生きた人文主義者でカトリック司祭のデジデリウス・エラスムスの言葉で、正確には『智者のペンより恐ろしい剣はない』だ。一般的に有名な『ペンは剣より強し』と同じく“思想や文学は時として武力に勝る”という意味だが、如水は何故この場で披露したのか。
すると、しみじみと如水は理由を明かした。
「どんなに多くの兵力を持っていても、どんなに強大な権力を持っていても、教養に勝てない事がある。幽斎殿は結果的に敗れはしたものの、中央の戦いに大きく寄与した。……この齢で戦の奥深さを学ばせてもらいました」
そう言い、謝意を伝える如水。その顔は憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。
確かに、如水は混乱に乗じて版図を拡げ、幽斎は粘った末に負けた。両者を比べれば如水の方が優れているように感じるが、中央の決戦で貢献したのは紛れもなく幽斎である。当初から“古今伝授”という何物にも替え難い教養を前提に時間を稼ぐ戦法だったが、そのしたたかさが今回上手く嵌まった恰好だ。幽斎にとってその程度の認識でしかなかった。
「なぁに、偶々ですよ」
謙遜するように幽斎が控え目に答えると、如水は「左様か」と素っ気なく返すに留めた。
暫く静寂の時が流れ、ゆったりと過ごす二人。その沈黙を破ったのは、如水の方だった。
「幽斎殿」
「何でしょうか?」
穏やかな声で訊ねられた幽斎が応じる。
「儂も幼少期から和歌や連歌を嗜んでおりましたが、暇も出来たので再開しようかと考えております。一度、ご教授願えませんか?」
如水の申し出に、幽斎は顔を綻ばせた。
「いいですよ。何でしたら、屋敷の庭に咲く桜を愛でながら今から一句詠みませんか?」
「いやはや……これは緊張して参りましたな」
返す刀で誘われ、弱る如水。しかし、その表情は当惑というか無邪気に楽しそうだった。
湯飲みに残った茶を飲み干した如水は、杖を頼りに立ち上がる。同じく湯飲みを空にした幽斎は先導するように奥へと案内していく。
さて、どのような句を詠もうかな。ウキウキとした気分で幽斎の足取りは軽やかだった。
その後、幽斎は智仁親王達に古今伝授を行ったり、交誼を結ぶ公家達と連歌会を催したりと、自由気儘な隠居生活を大いに楽しんだ。
慶長十五年〈一六一〇年〉八月二十日、細川幽斎は京で死去。享年七十七。平均寿命が現代より短い戦国の世では大往生と言えよう。
文化人と名を馳せながら、塚原卜全から剣術・吉田雪荷から弓術の印可を、武田信豊から弓馬故実の相伝をそれぞれ受け武芸の面でも特に優れていた。また、若い頃に都で暴れ突進してきた牛を受け止めると角を掴んで倒した逸話も残されている。さらに、老齢ながら絶望的な戦力差の中で二ヶ月間も持ち堪える大健闘を見せ、武将としての才も示した。文武両道、何れも一流の稀有な存在だった。
只の歌詠みと侮る勿れ。幽斎はその気概を田辺城の攻防で証明した事は間違いない――。
(了)
片や、幽斎は忠興の転封に付き添わず京での暮らしを再開させた。幽斎は政とは無縁の悠々自適な隠居生活を大いに謳歌していた。
慶長六年〈一六〇一年〉三月、自由な隠居生活を満喫する幽斎を訪ねて来た人物が居た。
「おや、懐かしや。何時以来になりますかな」
「かれこれ二年になるかと。春を追いかけて京まで上りましたが、ふと貴殿の顔を思い出しまして参りました。ご無礼、平にお許しを」
ニコニコと笑みを湛えながら軽く非礼を詫びたのは、黒田如水。こちらも幽斎と同じく政から完全に足を洗った隠居人である。
「茶でよろしいですかな?」
「あぁ、茶は茶でも焙じ茶で構いませぬ。格式張った茶の湯は肩が凝って堪りませぬから」
心底うんざりした表情と声色で頼む如水に、幽斎は思わずクスリとする。体が不自由なのもあるが、堅苦しい雰囲気が苦手なのだろう。
焙じ茶を湯飲みに入れて出すと、フウフウと冷ましてから啜る如水。その様は人間味を帯びていて、好感を抱く。幽斎も茶の温もりを手で感じながら、湯飲みの茶を一口飲んだ。
「如水殿と言えば、昨年の戦で大層な働きをされたとか。また、我等の窮地を救って頂き、真に感謝しております」
九州へ帰った如水は長年貯めていた金を放出して兵を募り、留守居の兵と合わせて九千の軍勢を編成。旧領奪還を目論む大友勢を打ち破り、西軍方の城や領土を併呑しながら勢力を拡大していき、最終的には島津領を除く九州の大半を掌中に収める大活躍を見せた。その一環で如水は大友勢が押し寄せた木付城の長岡勢を救出している。
その活躍から息子の長政とは別に恩賞を授ける意見や提示があったが、如水は固辞。以降、福岡と京の二拠点生活を過ごしていた。
幽斎の感謝に如水はあまり嬉しくないのか、フンと鼻を鳴らすと吐き捨てるように言う。
「中央の戦がもっと長引いてくれたら、儂にも参戦する機会があった。口惜しい限りじゃ」
未練たらたらに愚痴を溢す如水。虚勢とは一概に片付けられず、幽斎は思わず苦笑する。
湯飲みの茶で喉を潤した如水は、打って変わって真剣な表情で幽斎へ唐突に投げ掛けた。
「時に幽斎殿。南蛮の格言で『智者の筆より恐ろしい剣はない』というのはご存知かな?」
「……いえ、初耳ですね」
如水の言葉に首を振る幽斎。
先述した内容は十五世紀から十六世紀にかけて生きた人文主義者でカトリック司祭のデジデリウス・エラスムスの言葉で、正確には『智者のペンより恐ろしい剣はない』だ。一般的に有名な『ペンは剣より強し』と同じく“思想や文学は時として武力に勝る”という意味だが、如水は何故この場で披露したのか。
すると、しみじみと如水は理由を明かした。
「どんなに多くの兵力を持っていても、どんなに強大な権力を持っていても、教養に勝てない事がある。幽斎殿は結果的に敗れはしたものの、中央の戦いに大きく寄与した。……この齢で戦の奥深さを学ばせてもらいました」
そう言い、謝意を伝える如水。その顔は憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。
確かに、如水は混乱に乗じて版図を拡げ、幽斎は粘った末に負けた。両者を比べれば如水の方が優れているように感じるが、中央の決戦で貢献したのは紛れもなく幽斎である。当初から“古今伝授”という何物にも替え難い教養を前提に時間を稼ぐ戦法だったが、そのしたたかさが今回上手く嵌まった恰好だ。幽斎にとってその程度の認識でしかなかった。
「なぁに、偶々ですよ」
謙遜するように幽斎が控え目に答えると、如水は「左様か」と素っ気なく返すに留めた。
暫く静寂の時が流れ、ゆったりと過ごす二人。その沈黙を破ったのは、如水の方だった。
「幽斎殿」
「何でしょうか?」
穏やかな声で訊ねられた幽斎が応じる。
「儂も幼少期から和歌や連歌を嗜んでおりましたが、暇も出来たので再開しようかと考えております。一度、ご教授願えませんか?」
如水の申し出に、幽斎は顔を綻ばせた。
「いいですよ。何でしたら、屋敷の庭に咲く桜を愛でながら今から一句詠みませんか?」
「いやはや……これは緊張して参りましたな」
返す刀で誘われ、弱る如水。しかし、その表情は当惑というか無邪気に楽しそうだった。
湯飲みに残った茶を飲み干した如水は、杖を頼りに立ち上がる。同じく湯飲みを空にした幽斎は先導するように奥へと案内していく。
さて、どのような句を詠もうかな。ウキウキとした気分で幽斎の足取りは軽やかだった。
その後、幽斎は智仁親王達に古今伝授を行ったり、交誼を結ぶ公家達と連歌会を催したりと、自由気儘な隠居生活を大いに楽しんだ。
慶長十五年〈一六一〇年〉八月二十日、細川幽斎は京で死去。享年七十七。平均寿命が現代より短い戦国の世では大往生と言えよう。
文化人と名を馳せながら、塚原卜全から剣術・吉田雪荷から弓術の印可を、武田信豊から弓馬故実の相伝をそれぞれ受け武芸の面でも特に優れていた。また、若い頃に都で暴れ突進してきた牛を受け止めると角を掴んで倒した逸話も残されている。さらに、老齢ながら絶望的な戦力差の中で二ヶ月間も持ち堪える大健闘を見せ、武将としての才も示した。文武両道、何れも一流の稀有な存在だった。
只の歌詠みと侮る勿れ。幽斎はその気概を田辺城の攻防で証明した事は間違いない――。
(了)
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