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二 : 立志 - (14) 岩村城
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元亀三年十一月。秋山虎繁を大将とする武田勢が岩村城を包囲した。『武田勢来襲』の報せは直ちに岐阜城へ届けられた。
当主の信長は京に居る為、城代の奇妙丸は濃姫に呼ばれてすぐに大広間へ向かった。大広間に奇妙丸が到着すると、濃姫と留守居の家臣二人は既に座っていた。奇妙丸が座るのを待ち、濃姫が口を開いた。
「つい先程、岩村城から早馬が入りました。武田の軍勢が城を囲んだ、と。大将は秋山虎繁」
「なんと……」
濃姫の口から明かされた内容に、家臣達は絶句する。奇妙丸も衝撃のあまり言葉を失った。
秋山虎繁。大永七年(一五二七年)の生まれで四十六歳。信玄の父・信虎の代から仕えている武田家の重臣で、“武田の猛牛”の異名を持つ猛将として知られていた。信濃の伊那衆を率い、永禄十一年十二月の駿河侵攻でも成果を上げていた。
武田家には一国を治める程の実力を有する家臣が何人も居るが、虎繁もその内の一人だ。そんな重臣が軍勢を率いて城を囲んだとなれば、その本気度が窺い知れる。
「では、急いで救援の兵を――」
反射的に自らの考えを述べた奇妙丸に、濃姫は黙って首を横に振った。
岩村城は美濃の最も東に位置し、信濃から攻め込まれた場合に最初の関門となる最重要拠点だ。岩村城が陥落すれば近隣の城も危機に晒される事となる。その重要性を認識していたからこそ、遠山景任が病死した後に信長の五男・御坊丸を養子に入れて影響力を維持しようとした。
奇妙丸も岩村城が武田の手に落ちるのは何としても避けたいと思ったからこそ、救援の兵を向かわせるのは当然と考えたのだが……それに待ったをかけたのは濃姫だった。
「お気持ちは分かります。されど、我等には兵も将も足りません」
口惜しいと言わんばかりの表情で、濃姫は零す。
織田家本貫の地・尾張、本拠地であり本貫に準ずる美濃の両国は、これまで外敵から侵攻される心配が無かった為に、必要最小限の兵しか置いていなかった。守りの兵を少なくしてその分を他勢力への侵攻や他地域の防衛に回していたが、今回はそれが仇となった。美濃や尾張から兵を掻き集めても、今度は別の方面で兵が手薄になって狙われる恐れがある。
加えて、外敵の侵攻を警戒する必要が無いことから尾張・美濃に残る家臣に第一線で働いている者は居らず、留守居を任された年老いた者や内政を任される官僚ばかりだった。仮に兵を集められたとしても岩村城に押し寄せた武田勢を追い払えるだけの実力を持つ将でなければ、ただの烏合の衆である。
奇妙丸としては自分が大将となって救援に向かう事も一瞬頭に浮かんだが、先日初陣を果たしたばかりの若武者が百戦錬磨の猛将を相手に挑んだとしても、文字通り赤子の手を捻られるのが目に見える。自分の力ではどうする事も出来ず、奇妙丸は唇を噛む。
「殿へ大至急早馬を。それから、東濃の国人達に戦支度を始めるように」
濃姫が淡々とした口調で命じると、留守居の家臣は重々しく頭を下げた。
その後、岩村城の織田方は武田勢の猛攻を懸命に耐えたが、十一月十四日に力尽きて開城。城兵の助命と引き換えに“未亡人のおつやの方が敵将・秋山虎繁と結婚する”という珍しい条件を提示され、おつやの方も受け入れた。受け入れざるを得なかった、と表現した方が正しいか。御坊丸は人質として甲府へ送られた。
岩村城を落とした武田勢は東濃の幾つかの城を攻め落とし、押さえの兵を置いて遠江の本隊に合流した。一連の東濃侵攻で織田方は武田勢が好き勝手するのを見ているだけしか出来なかった。こうして、東濃の一部は武田領となり、岩村城は武田方の拠点として美濃に楔を打ち込まれる事となる。
当主の信長は京に居る為、城代の奇妙丸は濃姫に呼ばれてすぐに大広間へ向かった。大広間に奇妙丸が到着すると、濃姫と留守居の家臣二人は既に座っていた。奇妙丸が座るのを待ち、濃姫が口を開いた。
「つい先程、岩村城から早馬が入りました。武田の軍勢が城を囲んだ、と。大将は秋山虎繁」
「なんと……」
濃姫の口から明かされた内容に、家臣達は絶句する。奇妙丸も衝撃のあまり言葉を失った。
秋山虎繁。大永七年(一五二七年)の生まれで四十六歳。信玄の父・信虎の代から仕えている武田家の重臣で、“武田の猛牛”の異名を持つ猛将として知られていた。信濃の伊那衆を率い、永禄十一年十二月の駿河侵攻でも成果を上げていた。
武田家には一国を治める程の実力を有する家臣が何人も居るが、虎繁もその内の一人だ。そんな重臣が軍勢を率いて城を囲んだとなれば、その本気度が窺い知れる。
「では、急いで救援の兵を――」
反射的に自らの考えを述べた奇妙丸に、濃姫は黙って首を横に振った。
岩村城は美濃の最も東に位置し、信濃から攻め込まれた場合に最初の関門となる最重要拠点だ。岩村城が陥落すれば近隣の城も危機に晒される事となる。その重要性を認識していたからこそ、遠山景任が病死した後に信長の五男・御坊丸を養子に入れて影響力を維持しようとした。
奇妙丸も岩村城が武田の手に落ちるのは何としても避けたいと思ったからこそ、救援の兵を向かわせるのは当然と考えたのだが……それに待ったをかけたのは濃姫だった。
「お気持ちは分かります。されど、我等には兵も将も足りません」
口惜しいと言わんばかりの表情で、濃姫は零す。
織田家本貫の地・尾張、本拠地であり本貫に準ずる美濃の両国は、これまで外敵から侵攻される心配が無かった為に、必要最小限の兵しか置いていなかった。守りの兵を少なくしてその分を他勢力への侵攻や他地域の防衛に回していたが、今回はそれが仇となった。美濃や尾張から兵を掻き集めても、今度は別の方面で兵が手薄になって狙われる恐れがある。
加えて、外敵の侵攻を警戒する必要が無いことから尾張・美濃に残る家臣に第一線で働いている者は居らず、留守居を任された年老いた者や内政を任される官僚ばかりだった。仮に兵を集められたとしても岩村城に押し寄せた武田勢を追い払えるだけの実力を持つ将でなければ、ただの烏合の衆である。
奇妙丸としては自分が大将となって救援に向かう事も一瞬頭に浮かんだが、先日初陣を果たしたばかりの若武者が百戦錬磨の猛将を相手に挑んだとしても、文字通り赤子の手を捻られるのが目に見える。自分の力ではどうする事も出来ず、奇妙丸は唇を噛む。
「殿へ大至急早馬を。それから、東濃の国人達に戦支度を始めるように」
濃姫が淡々とした口調で命じると、留守居の家臣は重々しく頭を下げた。
その後、岩村城の織田方は武田勢の猛攻を懸命に耐えたが、十一月十四日に力尽きて開城。城兵の助命と引き換えに“未亡人のおつやの方が敵将・秋山虎繁と結婚する”という珍しい条件を提示され、おつやの方も受け入れた。受け入れざるを得なかった、と表現した方が正しいか。御坊丸は人質として甲府へ送られた。
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